何でも思い切ってやってみることです。どっちに転んだって人間、野辺の石ころ同様、骨となって一生を終わるのだから

ちがうからこそ

それぞれのひとが存在してる意味があるんだなーと。

 

 

 

「自分がやりたいことをやってる人で、立派なひとでなく、できるだけクズで軽蔑できるひとを見ならおう」www

 

 

 

これまでは「みんなやってるから私も」の時代

これからは、「自分だから」という「個人の時代」

 

 

 

嫌だはNO!

 (秒速でやめる)

 怖いはGO!

 (怖いはちょっとやってみたいこと。

 勇気を出してやってみる)

 

 

 

才能が発揮できてない一番の理由は環境。

自分に合ったベストな環境を選んでいくと勝手にうまくいく。

人生の様々な場面でその都度自分に合った環境を選択していくこと。

 

 

 

 

仕事で新しいことをしようとしたり、人と会おうとしたり、ブログ書こうとすると「めんどくさい」が出てくるって、人生の中で変化を恐れている部分があるのでは?

 

 

 

 

 

 

「私」だったらこれするかな?

「私だったらするよね」ならめんどくさくてもやる。

「私だったらやらない」ってことはやらない。

 

でもここで大事なのは、めんどくさくてチャレンジしない自分を責めないこと!!!

 

 

 

 

自分がクズ化してもいいんだと許可すること。

 

 

 

その人はその人でベストな選択をしているのだからと信じて温かく見守る。その上で自分はどう付き合っていくかを考えればいい。

 

 

 

 

「絵を描けること」にではなく、「私」にお金を払ってもらう。

私自身で勝負しなくてはならない。

まずは「私」が魅力的な人で、そのうちのツールのひとつとして「絵」があるととらえる。

私自身の魅力を発信していなくてはならない。

 

 

 

 

 

人間の生は、無目的ではあっても、無尽蔵ではない。

 タイムオーバーの存在する、束の間のものだ。

 しかも、いつ寿命が尽きるのか自分では判らない。

 

 そういう危うい条件のもとで自分の生が成立していると自覚すると、この一回きりの人生をどう料理してやろうか、死ぬまでの束の間をどのように過ごそうかという発想が生まれてくる。

 

 

 

 

「美味いラーメンを食った」「今週のアニメが面白かった」__そんなささやかな喜びも、生きていればこそのものだ。死ぬまでに美味いものを食いたい、大好きなエンタメを楽しみたいと思う人は、それがために毎日を真剣に生きたっていい

 

 

 

 

 

私、就職活動を止めた時があるよ 

2週間くらい朝7時半から8時くらいまでファミレスでモーニングを食べながら忙しそうに出勤するサラリーマンを見て「あらあら皆さん大変ね~」ってお金持ちごっこをしてた

そして歩いた事のない場所に行って平日の午前中からアイスを食べたり昼からお酒を呑んでみたり… 

背徳感のあることを少しだけやったら満足したみたい 

無理すんなよー 

 

 

 

 

親が他界したら自分もテキトーに生きてさっさと死のうって思ってたけど、初めて人を好きになってから何かが壊れた 

その人とお付き合いして結婚して子供産むのが一番の望みだけど、何をどうすればそこまで行けるのかが分からない 

自分に自信が無いし圧倒的に経験値が足りない 

今更こんな気持ちになって、今まで無駄にしてきた時間とか無気力だった自分の愚かさとか考えると後悔しかない

 

 

 

 

 

全ての評価を他人に委ねてるからかもよ 

 

時々妙に自信満々のやつがいるけど、ああいう人達って自己評価めちゃくちゃ高いよね 

「私はこんなにもやった、十分でしょ?文句言われる筋合いない!」みたいな事を平気で宣ってふんぞり返って、絶対言い負かされたくない!みたいなの 

ちょっとだけそれやってみても良いのでは? 

多分そういうことする自分に嫌気がさしてしまうかもしれないけど 

潰れて腐ってしまうよりかは良いかも

 

 

 

 

迷惑かける勇気

怒られる勇気

嫌われる勇気

あいそ尽かされる勇気

バカにされる勇気

そして「突き抜ける」勇気

 

 

今まだ生きているってことは、まだやってないことがあるということです。

 

だから楽しむことですよね。

 

 

 

 

日本がマニュアル社会化過ぎるんだよ 

学校出ていい会社入って就職して、、、、、 

これが一番正しいのか?そうじゃない 

 

どうでもいい。どうだっていいんだ。 

学校出てからの人生なんて、自分でどんな風にでもなる 

どんな風にでも変えられる。学校も会社も一つだけじゃない、

それだけで終わりなんかじゃない、決してそうじゃない、 

この世の中には選択肢なんてごまんとある、そんなの本人次第だよ。 

 

このレールは日本が勝手に作ってるモデルケースみたいなもん

勝手なレールに振り回されたらいかん。 

ここから外れたって自分さえしっかり自分の道歩いていれば 

それで前に進めるんだから、だから大丈夫がんばれ 

いろいろな道がある、いろんなやり方がある、

 

 

 

 

 

 

私も、いつのまにか刷り込まれた 

社会の常識やレールに乗った人生に縛られ、苦しみ悩みました。 

でも、病気になって、死を目前にしたとき 

社会人になる以前に、ただ生きて、充実した喜びのある人生を生きる方が 

先決だと思いました。 

 

 

 

 

みんなまじめすぎる人、大丈夫!もっと適当で生きてこう!まわりの評価なんて期待してはだめ、自分が自分を認めると楽になったよ。

 

 

 

働けないでずっと悩んでる。 

今日買ったコーヒー屋の女性。両手全体入れ墨、メイクも眉が入れ墨でオレンジのアイシャドウ、エジプト風アイラインのせいかすごかった。 

私用のスマホを置いてゆっくりマイペースで一人で仕事。 

正直それで社会の居場所があって羨ましかった。

 

 

 

 

 

まず、変えられるものと変えられないものを整理するんや。

変えられないもの=過去 
変えられるもの=現在

ではどのように現在を変えるか。

過去の自分の行動と逆の行動をしろ。これだけで全てうまくいく。


因みに、過去の対義語は未来やなくて現在や。現在、今この瞬間0.1秒だけ、過去と反対の思考・行動をするだけでえええのや。

「今この一瞬、過去の自分と反対のことをするだけ。」と常に心に念じる。

 

 

 

 

 

今日死んでもいいや。殺すなら殺してみろ死ぬまで生きてやるから。 
っていう覚悟みたいなもんができたら生きるのが楽になった。 
お金がなくなって貧乏な生活をしてっていう死ぬだいぶ手前の段階の事に脅えてたんだなって事が解った。 
上手くいかなくなって苦しむならそれもまたよし、と思って運命に身を委ねてたら色んな事が上手く回り始めた。 
多分自分は上流に向かって必死に泳いでたんだなと思う。
覚悟さえ決まれば自分に起こる事はぜんぶ楽しめるよ

 

 

 

 

 

人というのは生まれてきていずれ去るもの。ボヤボヤしていたらすぐに死んでしまう。今自分がしたい心が向くことに、いつでも心を喜ばせ、楽しいことを貪欲にやっていったほうがいいと思う

何でも思い切ってやってみることです。どっちに転んだって人間、野辺の石ころ同様、骨となって一生を終わるのだから

ケータイにメモしてる言葉

 

 

 

 

 

スカイツリーとか、高い場所から住宅街や東京のビルの灯りの数を見渡すと、私1人の人生なんて誰も気にしてないし、悩みなんて本当に小さいな もっと自由に生きてみよ! と思います。

 

 

 

 

 

他人からみて価値があるか」でやることを決める必要なんてないし、とにかく「これは価値があるんだ!」と思いっきり勘違いできることをそれぞれがやっていきゃいいんだよ。ただそれが気持ちいいとか、苦しいとか、たのしいとか。じぶんにとっての価値なんてそんなもんでいいんだよな。どうせ虚業

 

 

 

 

「そんなのなんの意味があんの」とお互い立場の違うひと同士で虚無を突っつき合うひとたち。「将来のために動く」が正しくて、「いま好きなことをやる」が不毛でバカらしい行為だというひとたち。そんな将来に意味なんてないというひとたち。そんなひとたちを横目に、ただ好きなことをやれるひとたち。