「死にたい人に何か言うとしたら?」と聞かれて「もっといい加減でいい、もっと不真面目でいいと思う」みたいなことを答えたのだが、真面目に思いつめる人より、ちゃらんぽらんな人のほうが生きやすいのだから、人生とは理不尽なものだ。ずっとそう思っている。
自殺の問題に始まる『シーシュポスの神話』で、人生が生きるに値するか否かを考え抜いたカミュは、不条理に抗って反抗的に生きることは幸福であるという結論に達している。
私も同じような状況だったことがあります。
21歳から29歳、30歳目前まで付き合った人と別れました。
自分は貴重な20代を無駄にした。
もう取り返しがつかない。自分は女として終わった。
死んでしまいたい。20代をやり直したい。
と、毎日失った20代を悲しんでいました。
周りの友達は幸せな恋愛や結婚をしていましたので
相談できませんでした。
小町のような相談掲示板で抱えている悩みを相談したところ
「今君は40代の未来から30代をやり直すために、戻ってきたんだよ。」
と言われました。
失ったものを嘆いても仕方ない。前に進もう!30代を後悔しないようにすごそう!と、おもいました。
いろんなことに興味をもっていろんなチャレンジをして、今は20代と比べ物にならないくらい仕事に、恋に、友人に充実しています。
あの言葉がいつも支えになっています。
30代は楽しいよ!がんばれ!
特別仲良くなくても普通に何の気なく連絡取り合える友達や家族がいる人が寂しいとか孤独を語るなって思ってしまう
全てを独りで抱え込まなきゃいけない人間もいるのに甘えるなよ、って
間違ってるのは分かってます
必要とされてない位の人間の方が、なんかを達成する事が多い。好きな事ガンバレ。
今生きてるってことは生かされてるんだから、そのまま生きていけばいいんだよ
私もあなたに負けないくらい残念な人間だけど、なぜか震災にも遭わず大きな病気にもならないので死ぬまでは生きているつもりです
辛いを突き抜けちゃったら楽になれるよね
米朝はその著『落語と私』(ポプラ社)を自分の師、桂米団治から言われた次の言葉で結んでいる。
「芸人は、米1粒、釘1本もようつくらんくせに、酒が良えの悪いのと言うて、好きな芸をやって一生を送るもんやさかいに、むさぼってはいかん。ねうちは世間が決めてくれる。ただ一生懸命に芸をみがく以外に、世間へのおかえしの途はない。また、芸人になった以上、末路哀れは覚悟の前やで」。