自分は素晴らしいということにした。それは自分のすごい部分を素晴らしいじゃなくて全然できていない、最低だと思ってる底辺の部分を、素晴らしいと言うことにしてしまった。

 


すばらしいと思う痛くて、自分を素晴らしく思えるような努力を重ねるのではなくて、「自分の最も底辺な部分」をすばらしいと勝手に決めてしまったと言うことです。

 


積み上げた自信は崩れますが、そもそも「積み上げていない」自信は崩れません。自分の中の底辺だと言う部分を素晴らしいと決めてしまうと、底辺の部分が自信に変わって、その自信は絶対になくなる事はありません。

 

心を凪にして
穏やかでありながらも、好奇心にあふれた感覚です。

 

自分の「欠けた部分」に愛情注いでいると、まるで上りのエスカレーターに乗っているような軽やかな感覚で前に進めます。気持ちが軽くなるとラッキーにも出会いやすくなるし、運を運びやすい人にもなれるんです。

 

 

10日前にガンの宣告を受けました。
まだ40代、半ば強制的に「乗り換え」となりましたが…

身体の中にガンを生み出した、これまでのココロとカラダの習慣を(何の未練もなく)手放して、
新たな人間として残りの人生を生きるチャンスだと捉えています。

これまでは、何でも自分一人でやろうとして無理してました。
これからは、人に頼りながら、ラクに生きることを学んでいきます。

 

とゆうわけで、頑張るのやめますw
だって、もうすばらしいんだもん。
でも、逆に行動すると思います。
だって、すばらしいから(笑)

今まで動いてこなかった分
失敗だらけだろうなぁ。

 


はっきり言って、学校や職場が楽しい、家庭が円満で人間関係もうまくいっている、将来に不安もないというひとには文学も哲学も必要ないです。人間に裏切られた、物が壊れた、将来が不安だ、自分に不満がある、そういう苦境のときに人間に柔軟性を与え衝撃から守るのが教養なんですね

 

文学や哲学を好む人は自殺しやすいというイメージがありますが、これは「薬を飲む人は病死しやすい」と言ってるようなもので、人生がキツイ人ほど本能的に文学や哲学を欲し、結局耐え切れずに死に人が多いというだけの話で、文学や哲学自体には人間を打たれ強くする効果があると思います。