一生懸命になればなるほど空回りしてしまう僕らの旅路

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40才過ぎて思うことは、悩んでるだけでは何も変わらないからとにかく行動あるのみ!なんだよね。

 


どん底なんて皆隣り合わせだよ
何がきっかけでどうなるかなんてだーれもわからない。

他人って現状や肩書きだけでその人の人格や未来を決めつけて無責任な発言するけど、的外れだから。

頑張ろうと思えれば良い方向に人生運んでいけるよ
たった一度きりの人生だし、幸せに歩んで欲しいよ

貴女みたいな立場から幸せになった人間知ってるから、だいじょーぶ

 

最近おもう。
自分の人生、人の評価とかきにしないで、やりたいこといっぱいやって、楽しんでいいんだ。
自分の為に生きよう!と

 


「悩んでても悩んでなくても同じ時間過ごすから悩むことが無駄。」
「なーんだ、考えすぎだったわってなることも多いから今から悩むのやめとこう」
「あーどうでもいい(言い聞かせる)」
「深く考えない・自分に期待しない・自分を過大評価しない」
「ゆるく生きよう」
「プライドもない」
こんな感じに生きててほぼほぼストレスフリーです。まぁ思い込みって言ったら思い込みですし、ゆるく生きるといいつつ、仕事なんかは努力はしていますが、基本に楽観的です。元自殺志願者、元ネガティブ、元根暗ですけどね

 


どんなに慎重に考えてどんな選択をしようとも、「これでよかった」と思う部分と「あっちにすればよかった」と思う部分は絶対に出てくる。
選択の数だけ後悔はあるもの。
このことを知ってからは、やりたいようにやろうと思うようになった。

 


悪いことでもない限り、やりたい事はサッサとやる、食べたい物は今日すぐにでも食べる
そのうち…なんて言ってるとそれが癖になって、望みは何も叶わない人生になる

 


人にどう見られるか、どう評価されるかを人生の主軸においてはいけない。
たとえオタク趣味でも、貫いた方が人生はひらける。

 

 

後で絶対、良い思い出になりますからね!
そして今は思い出作りをしてるんだ!なんて思えたら楽しめるんじゃないでしょうか。

 

ビジネスのキホンは、お客さんの生活をより快適にするものであり、
それは『お金を出すほど価値があるもの』だと考えています。

 


私も、いつのまにか刷り込まれた
社会の常識やレールに乗った人生に縛られ、苦しみ悩みました。
でも、病気になって、死を目前にしたとき
社会人になる以前に、ただ生きて、充実した喜びのある人生を生きる方が
先決だと思いました。 

 


私も普通に歩けることが、たったひとつの望みです!
お天気いい日に、あー走ったり、チャリ乗ったり、電車に乗ったりしながら、一人で買い物にでも行きたいな。近所でも散歩がしてみたい。
普通って凄いことなんだよ。

 


筋トレするとすべて解決するってTwitterで見た

 

うん、やっぱり

「やると決めて」
「あきらめずにやり続ける」それが、大切なんだ。

 

朝起きて、鏡の向こうの自分に

『おめでとう。今日から楽しい人生になります。覚悟します!ありがとうございます!』

って言いました!笑

 


すべてが失敗なのだとしたら、どうするか?
どう生きるか?

全部を、ただ、選り好みせず、体験するだけ。

(体験しようとしなくていい。体験は勝手に起きる)

 

楽しいも
つらいも
悲しいも
寂しいも
つらいも
しんどいも
嬉しいも
ラッキーも
好きも
嫌いも
幸せも
恥をかくことも
認められなくても
認められても
せっせとなにかを、してもしなくても
コツコツなにかをしても、しなくても


それらは、あらゆる失敗の、バリエーションの単なるひとつでしかない。

そして、そのあらゆる失敗は

ひとつひとつが、宝石のようにキラキラと輝いていて

どれも同じものなどひとつとしてない。


体験は、こころを開けば、どんどん勝手に起きてくる。

たぶん、人間は、「あらゆる体験をしたい」という欲求を持って生まれてきているはず。


生きるとは、失敗し続けること。

生きてることすべてが失敗である。