ワイはとりあえず自分が好きなものをたくさん見たり集めたり知ったりすることで何かしら見つけようと思うわ。

鯉のぼりの口のごとく、心の窓を大きく開き、世界虚空を自在に泳いでみようではないか。

 

目の前の現実に意味はない。
好きなことを想像するようにしなさい。
嫌いなことを想像する時間を減らしてな。

 

私は湯水のように時間を無駄にしてしまったんだけど過去は戻らないし生きていくしか道はない 
それなら悔やんで生きるより「生き直す」って決めちゃった方が私は楽だったよ 

 

 

他人と比べるからダメなんだよね。せっかくこの世に生まれたんだから。
 
生きているうちにできることは何でもやってしまおう。
別にいつでも死ねるんだからいろいろやってみようと思ってダラダラ生きています。
 
先のことを考えても意味はあまりないよな。一生懸命生きるしかないな。それがどんな未来でも

 

その先が不安ってのも分かるんだけど、だからって言ってどうしようもないしな。今にプラス1ずつしていけばいいんじゃないか?それしかできない。でも努力は裏切ると心得よ。だから楽しい努力が一番ってこったね。

 

 

真面目に考えすぎるよりもなんとかなるくらいの心持ちでいた方が上手くいくとは思う。少し適当に生きた方が楽かもな。真面目に生きると息苦しい。

 

結局この人生なんて1回だけなんだし社会的地位とかを求めないならバカの行なっていることは正しいんだよな。
 


私は結局、一度全部投げ出して、自分自身の生命力だけに懸けてみました。
積極的にそうしようと決めてそうした訳じゃないのですが……
元気に振る舞うのも限界に来て、外にも出られなくなって、ご飯を作るどころか買いに行く気力も失い、しまいにはベッドから起き上がることすら億劫になって。
何も片付けられないので段々部屋の中がぐちゃぐちゃになっていき、最後は一週間くらいほとんど水も飲まずに寝てました。
そしたら、お腹が鳴るんですよ。
何も食べてないんだから当たり前ですけどね。めちゃくちゃお腹が減って、何でもいいから食べたいって思う瞬間が、本当に一瞬だけど、時々来る。
でも起き上がれないからそのまま食べないでいると、またその内お腹が鳴る。

 


そんな、空腹を訴えてくる自分の身体に気付いたある瞬間に、ふと「少なくとも私の身体はまだ生きたがってんだな」と思って。それで何となく一念発起して、お風呂に入ってご飯を食べて、病院に行きました。
その後も色々あったものの、今は元気に働いて生活しいます。

 

 

先日ジムでとても素晴らしいご老人にお会いしました。
そのご老人は、ジョグマシーンで私より先に走り始めていたのに
私が1時間走ってもまだ余裕で走っておいででした。
とても興味深かったので、終了されてから声をかけました。
お年寄りでも走ることが好きで、考えることも好き。

 

 

一歩前に踏み出すたびに、何もかもが初めてのような新鮮な感動を毎日頂いている
とおっしゃっていました。
よくそのお年で、と失礼にも申し上げましたが、ご老人は一つも気にせず
ご自身の体験をお話下さいました。
自分の限界を打ち崩したのは自分の内なる声を無視して挑戦した自分だった。
今の世の中は核家族化や少子化、情報収集の簡易化が進み過ぎて、
自分の声に耳を傾ける時間が多すぎる。
自分の声をいつも聴いてやるのは自分への甘やかしでしかないのだ。
辛い、辞めたい、悲しい、逃げたい、アイツが憎い。

 


聴いているうちに自分は弱音を吐く天才だったとわかった。
しかしそれをまともに取り合っていたのも、誰あろう私でした。
生きるのが辛いと自分が言い始めた時、走り始めた。
はじめは誰しも走るのは辛い。辛くて走るのを止めたくなる。
しかし、この俺は今さっきまで、生きるのが辛いと嘆いていた俺だ。
生きることに比べれば、走ることなどわけのないことで
それすら満足にできないのに生きることなど到底できんのだろう。

それから毎日走り始め、段々と弱音を吐かない自分に変わった。
そのうちに走るのが生きがいに変わり、生きがいは自分に
輝きと喜びを与えてくれるようになりました。
ご老人はそうおっしゃっていました。
あなたにも夢中で過ごす自分だけの特別な時間が必要なのだと思います。
長くなってすみません。

 

 

 


自分より人生うまくいっている同世代の奴をぶん殴りたくなる気持ちはわかる。でも妬んだり羨んだりするのに費やした時間の分だけ自分の心が貧しくなっていくのに気づいてやめようとしている最中や。
人と比べると病むし、ワイはとりあえず自分が好きなものをたくさん見たり集めたり知ったりすることで何かしら見つけようと思うわ。