一番手っ取り早いのは、できるだけ放っておくことです。

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どう?
あんまり楽しそうじゃないだろ?
 
だから、あんまり急いでゴールにたどり着かない方が良いよ。
 
これって、みんな言ってくれないよ?

 


おじいさんになってわかったこと。
・自分の人生が後10年20年で終わるとは信じられない
・40代がまだ若者に見える
・アッという間に人生が終わる
・才能より成果より細くとも長く続ける事が一番尊いし幸せだと知る事
・何よりも健康が大事

 

俺が30代が若者に見えるのと同じだ。
人生なんてあっと言う間に終わる。
ほんとその通りだ。
先人の貴重な言葉から学ぶ事は多い。
人生楽しんだもの勝ちだ。

 

死ぬのが
終わりが来るのが
めちゃくちゃ怖い。
まじ怖い。

 


人生という双六では、ほんまにやるべき時期にやる事をやらんとドンドン追い込まれていくという原則があるわな、例えば子供を産むべき時期、男が勝負に出られる時期、もっと言えば子供と自転車の練習を一緒にしてやれる時期、難しいで、とにかく完璧は追い求めるな、程よく流され、程よく粘れ、やな

 


(私は自分が60代で死ぬと思ってるので)桜を見れるのもあと10数回かと思うと、ほんとに人生ってあっという間だなーと思う。小学校を卒業したのも看護学校の毎日の辛さも、こんなに鮮明に覚えているのに。そして「健康」って当たり前じゃない、毎日健康なのは奇跡だから。

 

「インドの聖地バーラーナシーには人を看取るための『死を待つ人の家』があり、人々は死が訪れるのをじっと待っている。彼らは宗教上、『輪廻』という概念を強く信じている。だから死や別れを恐れないのです。
 一方、今の日本人はどうでしょうか。昔の人は年を取り、自然にものが食べられなくなると、だいたい2週間ほどで枯れ木のようにやせ細り、亡くなっていった。しかし、現代人は様々な治療を講じて、むしろ、別の苦しみを増やしてしまっている。生きたいという我欲が死への恐怖を生んでいるのでは、という視点が欠けています」(釈氏)


人間は死ぬために生きている。刻々と死に向かっていくことを理解して、老いや病を引き受ける。それが我々が目指すべき、恐怖を感じず死を迎える理想的な方法かもしれない。

 

人間、過去と未来を考えすぎると不安になるといいます。筆者は、悩んでも分からない死後のことは考えないようにしています。怖いのは自分だけじゃないと考えて、先のことを考えすぎるより「今を生きること」に集中するほうが良いと思いますが、どうでしょうか。

 

自分がいつか死ぬ。そのことを認識しつつ、無理矢理にでも「人生を充実させるために行動する」ことで、恐怖を遠ざける。
遠ざからないけど、一時的に忘れることができる。
でも、いつか死ぬことは忘れない。
我ながら結構倒錯してる。

 

 

例えば、僕は凄く多趣味なんだけど、そこには強迫観念的なほどの「人生を良くしたい」って気持ちが含まれている。
その根源にあるのは、確実に「死への恐怖」、「失われゆく時間への恐怖」です。

 


だから落ち込んだときは、欲張りすぎてんだ。
全員から受け入れられようって。

 

 

そう!考えないでバカになるのがコツなのさ。

すると「この指とまれ!」って感覚で集められるよ。
ほんでね、一見矛盾するよーなこと言うけど、もし集まらなかったら、魅力が無かったからって思わなくて良い。
たまたまだったんだって思えば良い。
もうそんだけ。それ以上考えなくて良い。
再びバカになろうw

 

男の甲斐性ってなんだと思う?
 
俺は
 
出会った時よりも
結婚した時よりも
嫁さんが綺麗になるってこと
 
じゃないかなと思っちょる。

 

やけくそだからやってみたかった事思いつく限りやったる

 


どうでも良くなると思い切った事したくなる 飛行機のチケットとか取って飛び出したいわ

 

やけくそって、案外悪くないのかもしれない

 

 

人生を変えるということは
信じていることを変えるということ。


で、そのためには
自分が何を信じてるのか
知らないといけない。

問題が起きたときっていうのは
自分が何を信じ、何に勝手に期待してるのか

それを知るチャンスなのだ。

 

 

一生懸命、世界を自分の思い通りにしようとして、それが叶わなくなって、内面を見つめ出す。これは、ある意味、人生を真剣に生きようとすれば、必ず、通らなければならない道のりです。
 
 
 
 
ですから、スピリチュアルや宗教にハマり出すのは、人間として、決しておかしいことではありません。
 
 
 
しかし、「精神世界」という言葉通り、それは、やっぱり、ひとつの世界なのです。いろんな生き方があるうちの、ひとつの世界。それにハマるというのは、視点がそこだけに、絞られてしまって、心にも偏りが生じやすくなります。

 

本来、内面を見つめるというのは、最終的に、そういう教えとか、(願いを叶える)メソッドとかを超えていくところに、その面白さがあります。


あえて、はっきり言っちゃうと、自分の人生に、思い入れを抱かなくなる、「どうでもいい」と思えるようになると、すべてがなるようになっていきます。っていうか、どうでもいいんだから、なるようにしかなりません。

 


早い話が、ひとつの世界にこだわらないで、バランスよく適当に、生きていく。これだけですね。現実の世界も、「適当」っていう余裕があると、適当にうまく進んでいくんじゃないでしょうか。

 


これで、すべて、万事解決です。そこに、叶わない説明や理由はいらないし、叶う理由と理論もいりません。なぜだか、わからないけれど、叶うものは叶うのです。
 

 

最終的に、あなたは、あなたの真実を見つけるしか方法がありません。

 


願望をもつことはもちろん、いいんですよ。人間の癖みたいなものですから。実現を諦める必要もありません。
 
 
 
 
 
 
でも、「どうしたら・・・?」っていう問いは、あまり、深く考えないで、放っておいた方がいいでしょう。考えて、見つけた(と思った)としても、結局、納得できなくて、また、考え出してしまうからです。

 


そもそもの視点が初めから違うのです。でも、彼らの言いたいことは、シンプルです。「願望なんて、放っておいて、今起きてくることを楽しもうよ」っていう、この一言に尽きるのです。

 


私たちは、もしかしたら、勝手になっていくものに対して、あとから、そのようになっていった意味づけをしているだけなのかもしれません。
 

 


どちらにしても、スピリチュアルを特別なことのように思うのは、やはり、偏った見方と言えます。日常の何気ない出来事が、ある成就されるべき方向に、自動的につながっていると考えるのなら、平凡な日常も、いわゆるスピリチュアル的な「ご神託」も大差はないのです。

 


すべての出来事が同等で、しかし、貴重な伏線となっているのですね。時間がかかっているように見えても。

 


だとしたら、繰り返しになりますが、私たちにできることは、目的達成のために、性格を変えることではなく、なにがなんでも、実現しようとするガムシャラな努力をすることでもなく、ただ、今の状況がどんな伏線となっていくのか、他人事みたいに、楽しんでいくことだけかもしれませんね。
 

 

考えてみたら、矛盾していますよ。本当は、なんにも心配する必要がないのに、勝手に、悩んでいる。そして、スピリチュアルというのは、「いかに、自分がすでに持っていたか、恵まれていたか、勝手に悩んでいたか」という矛盾に気付いて、卒業していくものなのです。

 


今のご時世、「なにが勝ちで、なにが、負けなのかは、終わって見ないと、わからない」ということが顕著に現れるようになってきたのです。
 
 
 
 
なので、私たちは、勝つことではなく、「楽しく生き残る」ことを意識しておくと、一喜一憂することは少なくなっていきます。

 


多角的、長期的な視野にシフトしたとき、やがて、あなたの本質的なもの(生き方とか、必要なもの)が、自ずから、姿をあらわすようになるかもしれません。

 


人生は長期に見据えれば、いつでも逆転可能ですし、生きる方法はいくらでもあります。短期で勝負を決めつけるなんて、もったいない!これぞ、人生の醍醐味であります!

 

 


世の中って、けっこう、自分が体験して構築した価値観とか、実技ノウハウ、なんでもないと思えることが、ある人にとっては、ものすごく重要な情報であったりすることが多いものです。
 
 
 
そういう、自分のもっている好きなこと、得意なこと、乗り越えたことを発信することによって、誰かの役に立った時、なにかの形で発信者に還っていくのではないか、というのを強く感じています。

 


還るものは、お金とか、人との縁とか、あるいは、ちょっとしたよいこととか、様々な形があるのでしょうけれど、全体的に、その人の運みたいなものをあげる効果があるような気がします。

 

 

しぶとく生き残ろう!辛いと思うのは、人生を真剣に、よりよく生きようと考えている証。悪いことではありません。ただ、人生と戦うのはやめましょう。

 

 

たいてい、戦ってしまうのは、思い通りにならないとき。でも、思い通りにならないときに、戦っても、あまりうまくいきません。運良く、うまくいっても、自分が疲弊してしまっては、その戦いは負けです。

 


人生は、勝たなくても、負けなければ良いのです。負けないとは、とにかく、生きること、逃げても、例え、恥をさらしたとしても。生きていれば、そのうち、運が向いてくることもあるし、状況が変わっていくことを体験できるでしょう。そのなかに、思い通りになることも、いくつか、でてきますよ。

 

 

 
スピリチュアルだと、自分の内面を変えて、どうのこうのって説明があるかと思いますが、一番手っ取り早いのは、できるだけ放っておくことです。もちろん、命の危険があるとか、実害があったら、そのときは、しかるべきところに相談するなり、なんなりの方法も必要だと思いますが。

 

 

これは、武術の心得とかにも通じるんですよ。武術って、勝つための技の練習だと思うでしょ?でも、違うんです。生き残るための術なのです。だから、戦って勝つためだけの技ととらえた時点で、負けです。状況に応じて、逃げるもありなのです。

 

 

その基本姿勢こそが、冷静な状況判断と的確な攻防を生み出せるというわけです。これって、日常生活にも通じるでしょ。勝とう、なんとかしてやろうと、はやるより、目の前の基本的なこと、ごはんをしっかり食べるとか、今できることをやるとか、規則正しい生活をするとかができていれば、自然に生き方が整ってくるのと一緒です。当たり前っちゃ、当たり前ですけど。