昨日の「あー死にたい」って憂鬱はリアルにあるよ、しかしそんな憂鬱なんてまともに相手していたらダメなんですよね。意味なんて元からないわけだし、憂鬱に意味なんてあるか!!そんなのに時間を費やすとか、あんたバカァ!?
私はこの前仕事でみんなの前で話さなきゃいけない場面があったんですが、一生懸命話してみたんですが、それが良くなかったですね。「何言っているか分からない」と言われましたwww
どうせひとは土になるのである。それなのに現世に執着して、財産を貯めこんだって意味ないじゃないか。そんなの全部捨てちまえ、土になれ、なんにもなくなったまっさらな大地からもういちどやりなおすんだと、そういっているのである。
散って狂って捨て身で生きろ。念仏がオレの命だ、それを禁止するというのであれば、どこにも行き場所なんてない、いまここで死んでやる!!
今この自分をここで生きていかなければならない。それを引き受けていくしかない。この退屈な日々、日常を受け入れるしかないのだよ。まったく憂鬱になることだけれど、やはり、それがリアルだ。逃げられない。この自分で生きていくしかない。変えられないのであれば、受け入れるしか方法はない。だからこそ逃げたり、開き直ったりがとても大事になってくるんだ。それを今練習しているんだろう。これからもきっと大変だ。でも引き受け、受け止め、受け流し、開き直る。それを繰り返すのだ。楽しいことをしようとかしなくていい。普通の日々を普通に生きればよくて無理に充実させようとしなくて結構ですよ。
生を駆け抜け死でゴールだ。いくぞ、獣道。いくぜ極楽。
というか、ちょっ!?
ちょっと待って!
って感じよな。
こんな感じで人生が終わっていくのかよっ!っていう納得できない気持ち。このままでいいのか?ホントに
というそんな気持ちがある。どうすればいいのか?
上司も言ってたな、フラットな今が勝負時、どうこれから動いていくのか、、、悩みどころである。
パソコンやスマホの登場でネットに接続して情報を発信できる、これ自体がかなり凄いことなんだろうな、
普段何気なくやってることだろうけど。既に凄い価値の中に存在出来ているんだろうな、、、ありがてぇ
否定することに時間を使っている場合じゃない。こんなことしてる場合じゃねーわ
こういう生き方しかできなかった自分を認める覚悟、自分を殺して生きるくらいなら、自分を出し切って死ぬのだと腹を括る覚悟!
健康を失いかけて、思う
結局は
全ての日々に感謝だった。
全ては尊いものだ。
何気ない景色それらも全て尊く光っている。
ただ存在するだけで良かったのだ
オレには家族が一番大事だつたのだ。ありがとう。
ここに希望はない。早めに諦めたまえ。諦めの現実の中に苦しみあり、まさに地獄だ。地獄の苦しみの中に生きる実態がある。そして少ないけれど喜びも。
世間虚仮、唯仏是真
この世界は全て幻のようなもの、朧げなもの、移り変わり、流転し続ける。解けて消えて壊れて砕ける。そして最後は死だ。ま逃れられない。
だから好きに生きな、どう生きたって嘘ぱちさ。念仏こそ真だから、好きに暴れろ。壊して燃やせ。
うーーし、今日も死ぬゾォォォォ\(^ω^)/
将来を考えたときに、個人として出来ることって、結局毎日をただシンプルに、きちんと生きていくしかないのでは?きちんと生きていくというのは、なるべく機嫌良くして、美味しい水を飲んで、出来るだけ体に良いものを食べて、疲れたらしっかり寝て、損得勘定やおかしいと思うことに流されてしまうのではなく、いつも自分でいることとか。もうダメだーって思ったら、もうダメなんでちょい休みます。と周りに宣言するとか、そんなこと。地味で目立たなくて、誰にも褒められない、ごく普通のことを淡々とこなしていくこと。
この手は昨日の手でもなく、明日の手でもありません。「今」の手です。また、どこか他のところにある手でもなく、イメージで描いた手でもありません。「ここ」にあるリアルな手です。手はいつでも中立的で、そして「今ここ」のリアルな手です。ですから、この手に気づきを取り戻せさえすれば、過去や未来にさまよってしまっていた心を、「今ここ」に立ち戻らせることができるわけです。
失敗しても気にしない。出来ることができなくても気にしない。志は高く持たない。
一から学んで、少しずつでも進歩しています。
だから絶対に遅いってことはないです。
練習していて上手くいかずに
「もっと若い時にやっていれば」って思ったあなた。
それは自分を過大評価しすぎています(笑)
若いころやっても、同じように、いえいえ
それ以上に出来なかったと思います。
若い方が我慢できないですからね。
だから気にせずどんどんはじめましょう。
一つでも何かを得るものができたら
それだけで勝ち。
ハードルを下げたとしても、何も得られないというわけではありません。
そもそも何もやらないよりマシ。下手な鉄砲数を撃てば当たるの精神で続けていればいいんです。
その中で何か手応えを感じて掘り起こして、磨き上げて練り直して、次へと。
その何かを見つけられたら勝利なんじゃないですか?
そのくらいの発想でいいじゃん。
少なくとも自分はそう思うね。力みすぎると辛くなる。
結論からすると人間などどうにでも生きていけるのだ。インドに行って特にそう思った。インドの路上生活者のたくましさを見て人間の強さを知った。こうでなければ生きていけないというのはほとんどの場合思い込みであって、実はこうでなくても全然生きていけるものである。逆に、こうでなければ生きていけないという思いに縛られて無理な我慢を強いている状況ほど自分の身体を蝕んで不健康にし、死を早めている感がある。
まーどうなっても生きていける。そして生きていけなければ死ぬだけかな・・・南無
頂点まで行ってこい!!
勢いだして生きていこうぜ!