「何をしたらいいか分からなくなった時は、一度全部のことを辞めてみるといい。そして何もしない。そうしていると、次第に少しずつ自分のやりたいと思うことが自然と出てくることがある。」
どれだけなやんでも考えても答えが見つからないとき、あなたは勇気を出してまったく異なるアプローチを取る必要があります。
それが今までと真逆のやり方をするということです。
結局のところ、答えが見つからないのは、今までと同じやり方で今までと同じ場所を探しているからです。
そうではなくて、自分が怖がって見なかったところや、タブーとして目を背けていた部分にこそ答えがあります。
本当は、私達がここで求められているのは、死ではなく、
「生まれ変わる」ことなんです。
それには、自分自身や、状況が徹底的に変化することを積極的に歓迎する(=心を
こめて選ぶ)ということなんです。
今日は一日中、仕事をサボって寝てた。人生の後悔やら寂しさやら、これからどーすりゃええんじゃとか
布団にくるまりながら唸っていた。
あぁもうダメだぁってなゴロゴロ。
あ、でも昼にラーメン屋に担々麺を食べに行って、とても美味しかった。
よーく見とこーね。ここどん底だから。
“さみしさ”が教えてくれているサイン
“さみしさ”は、分離感を超えて、これから新しい人生へスタートしなさいというサインなんです。ですから、嫌がらず向き合って下さい。
それは誰にでも訪れる通過点で、ここからが、あなたらしい個性で人生を創っていく時期なのです。まずは、何でさみしいのか、しっかり向き合うこと。
手間をかける事柄が多いほど、彩りのある、深みのある人生に繋がっていきます。
自分の人生にも、生き方にももう一度一手間かけてみませんか?
思うように進まない、生きにくいと感じるとき、そんな時こそ手間をかけ、自分を見直す良い機会なのかもしれません。
はかない世の中に、今ここに生きている。
結局は実現が確実でないことに投資することに躊躇し、いまの仕事を手放す勇気もなく、現状への不満と今後への不安と決められない自分への苛立ちで、胸の中がいっぱいです。
過ぎ去った過去の事に捉われても道は開けません。
現状をあるがままに受け容れようと考えてみてください。
現状を受け容れてこそ、そこから未来が見えてくるものです。
苦しいお気持ちはわかりますが、ご自分が楽になるために、また、より良い未来を見据えて前進するために、過去への執着を手放そうと決意し、よりよい選択をされることを願っています。
この文章の中から絶望のようなものを感じました。
目の前の壁があまりにも高すぎるかのように見えたり、
とてもじゃないけど変化が訪れることを信じられなかったり、
このままの自分が永遠に続いてしまうのかもしれないと感じたり・・・
死にたいという感情の奥には、新しい自分の誕生が望まれています。
でもそこへ至る過程は辛く、それはあたかも出産の時の陣痛のようなものです。
人には必ず生まれてきた目的があります。そしてそれをなすには、自分にしか
できないユニークな方法が必ずあるんだと思うんです
本願を信じ念仏する生き方。
生き方の呼び名、
それが
浄土真宗。
南無阿弥陀。なむあみだぶつ。
人生はやり直す事ができない、しかし見直す事は出来る。
見直す事は出来る。受け止めて行く事は出来るんだ。もう一度頂き直すことは出来るんだ。