い
いつも 自殺した人は逃げたんじゃなくて、 逃げられなかったのかな、と思います
何もかもどうでもいいや。
ただただ生きてる感じ。
この先の人生に楽しい事なんてあるんだろうか…
いや、ないな。このまま変わらない。
さんまのお笑い向上委員会。面白いけど、見てると少し芸人の悲しみみたいなものも感じる。
あばれる君、ちょっと空回りしてるな。面白くないし、焦っている。
さんまさんからのハゲいじりにガチでキレてる感じが伝わってきて、ぴりぴりしてた。
あれは、まずいで。
さんまさん、独身63歳。正月に村上ショージさんとゴルフ。あまり会話なし。
「コーラってこんな美味いんやなぁ」と感想を述べる。
会場、つまんないです、さんまさん!wwwとなる。
さんまさんほど昇りつめても、やっぱり人生の悲しみは避けられない。
そんなことを感じた。
カミナリはやっぱ今勢いがあるな。永野さん同じ事務所だったのか。サンドウィッチマンもそうらしい。・・・永野は面白くない。
トロサーモン久保田さんは、個人的には好きだけど、受ける時と受けない時の差がけっこうある。力はあるけど、場の空気の関係だろうか?
今日のA1理論さんの記事最高だったなぁ
生物は、
「環境の変化に対応できた種が生き残る」
と言われるけど、そう考えると、
これからは「昭和のノリ」ではなく『ゆるいつながり』の社会に対応できた人が生き残るんじゃないか?
と思いました!
なんか、元気をもらいました。
ブログって素晴らしいね。
「もっとできる」「もっとうまくなる」って努力し続けて、で、できちゃって
たくさんの仕事が舞い込んできちょうような
振り返れば背中に荷物をたっぷり、という向上心の強いできるひと。
世の中には、こんなふうにがんばりやさんで、やさしくって
しっかりしていて、正義感にあふれていて、向上心の強いできる人って、たくさんいます。
でも、なかにはなんとなく疲れてしまって
「つらいな」「しんどいな」「何もかもどうでもいい」
なんて思ってしまう人もけっこういます。
でも、僕は、そんな人に言いたいのです。
「いいかげんに生きてみませんか」って
僕たちが
「あの人は、いいかげんだ」と言うとき、
それにはちょっと悪い評価が入りがちです。
「いいかげん」という言葉は
「だらしない」「ルーズ」「適当」「手抜き」「無責任」「クズ」
などの言葉に置き換えることもできます。
それでも、僕はあえて言いたいのです。
「いいかげんに生きてみよう」って。
僕自身も
会社や世間のいろんな「~すべき」「~しなきゃ」を背負って、がんばり続けてたんですよね。
そして、それを周りの人にも押し付けていたところがあるんですよ。
「~すべき」「~しなきゃ」って
でね、そんな僕自身もどこか苦しかったんです。
なんとなく、ちょっと辛かったんです。
で、そんな状況を変えたくて、心理学の勉強をするようになりました。
そんな経験を重ねていくなかで、わかったことがあるんです。
昔の僕のような、ついがんばってしまう人は、
「がんばる」のをやめて、あえて手を抜く
いいかげん、適当、なまけるくらいが、
人生うまくいく、って。
というのも、「~すべき」「~しなきゃ」でがんじがらめになって、
昔の僕のように、なんとなくしんどい毎日を生きている人、
やさしすぎ、がんばりすぎ、しっかりしすぎて
疲れてしまい、ちょっぴり心が折れかかっている人。
そういう人は「他人」に、重心を置きすぎているんです。
「他人の評価」や「世間の目」を気にして行動したり、
やさしさゆえに、「自分の思い」よりも「他人の思い」を大事にしたり
がんばるときも「自分がやりたいからやる」というよりは、
「迷惑をかけないようにしなきゃ」とまわりの都合を意識したりする。
「自分」より「他人」な人なんです。
たしかに、自分以外の他者と生きていくうえでは、まわりのことを考え、ルールやマナーを守ること、ちゃんとすること、我慢すること、がんばることも、それはそれで大切です。
誰かを思いやるやさしい気持ちも素敵だったりします。
ただ、仕事が、家庭が、人生が、どこかうまくいっていないのだとしたら
自分がなんとなく苦しかったり、ちょっぴり辛かったり、もっと言うと、心や身体に負担がきてしまうのなら・・・
「~すべき」「~しなきゃ」を捨てて、「がんばる」のをやめて
自分の「心地いい」や「好き」「やりたいこと」をやっていく。
つまり「自分」を優先してもいいんじゃないかなって
「他人」から「自分」に軸をもってくるんです。
でね、「他人」から「自分」に人生の軸をもってくるときに、大事なことが
「いいかげんになること」だったりするんです。
「いいかげん」って言い方を変えると、
「目標を決めない」「迷惑をかける」「行き当たりばったり」です。
他人の決めた目標のままに動かない
他人に迷惑をかけないようにって自分の気持ちを殺さない
他人のことはかまわず、自分のすきなようにやってみる。
ってことです。
「いいかげんに生きる」とは、
自分のやりたいように、自分の気の向くままに
ワガママに行動するってことです。
他人優先の人生から、
「まず自分」のわがままな人生に変えるってことです。
とても怖いことですよね。ありえない、って思いますよね
でも、そうするとわかるんです。
「自分はどうしたた心地いいのか」
「自分は何が好きなのか」
「自分は何をしたいのか」
がね
料理でも、いいかげんに適当につくる人のほうが、本のとおりに調味料をはかってきっちりつくる人よりも、自分好みのおいしい味がわかったりしませんか?
ぺぺぺーって適当に調味料を入れて、
「あ、でも入れすぎたかも~」なんて水を足したりして
で、そのうちに、「あ、おいしい」「あ、これだ」って味にたどりつく
地図を見ないで、適当に毎日車を走らせているほうが、抜け道を知っているいいタクシードライバーさんになったり、なんて、
そう、いいかげんに生きてみると、
自分にとっての「ちょうどいい加減」がわかったりするんです。
悪いほうの「いいかげん」に生きると、「良い加減」が分かる。
「いいかげん」「適当」になったほうが
自分にとって「ちょうどいい加減」がわかったりするんですよ。
「いいかげんに、生きる」とは、たとえば失敗しても、たとえ嫌われても、自分のやりたいようにやること。
「いいかげんに、生きる」とは、そこから自分の心地いい場所を探していくこと。
「いいかげんに、生きる」とは、自分を取り戻すこと。
「迷惑かけない範囲で、いいかげん」なんてダメですよ
「思いっきり」いこう。