たぶん人間にとって幸せとは 余裕 だろうな 

たぶん人間にとって幸せとは 余裕 だろうな 
明日は休みだから夜更かしできる 
とか 
リラックスした時間のときに一通りの満足感がある 
とか 
その程度 
一瞬かもしれないが不安が一切なく安心した時に感じる余裕みたいなもの 

とりあえず一度絶望の底を味わえば大概のことなら楽しめるようになるよ 
というかいかにその状況を楽しむかって感じかな 
俺はそういう価値観持つようになった

 

 

 

あと最近思うのは読書は楽しいんだけど、もう本買わなくてもいいんじゃないかぁってことだ。もう充分に読んだし、今手元にある本を読んであとは、新聞とか図書館で本を借りて、本代にお金は使わないほうがいいかなって思っている。俺的には活字であれば意外となんだっていいところある。こだわりがそんなにないという。ああ、でも面白い本はやっぱ買うんだろうけど。でも今まではちょっとでも面白そうな奴はどんどん買っちゃっていたからそういうの辞めたい。別に読書なんてしなくても生きていけるしね。

 

 

 

ふと、
人生にゴールなんてないんだな、と今日思った。言ってしまえば今いるところがもうゴールみたいなもんで、目的だってもう俺にはない。いくべきところも、やるべきことも。人生の目的なんてない。世界を救わなきゃいけないわけでもないし。会いたい人がいるわけじゃない。人生でやりたいことリスト100なんてものも作ろうと思えばムリクリ作り出せそうだけど、そんなことをしなくてもいいや。べつに。
むりやりやりたいことなんてもうないのさ。

言うなれば、

この終わりなき日常を繰り返していくことがやりたいことだろう。

そして、それがなかなかムズカシイのよ。淡々とした毎日が思っている以上にムズカシイ。むずかしくしているのは自分自身だろう。

 

 

 

ゴールのない人生。終わりなき日常。どこがゴールで、どこがスタートなのか、もう俺には分からない。分かったような気分のときもあったがそれは昔のことだ。今の俺にはもう何がなんだか分からないよ。

 

 

 

もうなんていうか、余裕みたいなものがほしい。休みや遊び。気楽に気負わず日常をすごしていきたい。がんばるとか、精一杯とか俺はもういいかな。そういうのはもっと若い人がやればいいと思う。

 

 

 

なにはともあれ、「日常」ってやつは人それぞれまったく形は違っている。それぞれの「日常」をうまくやりすごしてほしいと願う。

そんな、マジにならないでいこうぜ。いい大人ならさ。
大人には遊びをもってほしい。粋でいてほしい。