ムダムダムむだダムダむだ無駄をしよう

どうせ死ぬならニューヨークに行って、どでかいステーキとあまーいケーキを頬張ってイケメンに私死にたいんだけどどうしたらいい?って人生相談してからだな。

 

溺れている時はもがくと沈む。そういう時は何もせずに浮いたら助かる。

 

だらけも大事な期間。大切なんだよ。開き直ってしまえ。今自分が何もできないのは長い人生で大切な休息期間なんだって割り切ろう。

やりたい事を全部やってから死んでも遅くないさ。やりたい事が何もなければずっと寝てるのも悪くないさ。

 

 

うつからの回復は「生まれ直す」ような変化であると述べましたが、まさに「うつ」とは、人を「死んだような」状態から「生きた」状態に引き戻してくれる重要な契機であると見ることもできるわけです。

 

 

「適応」という変化とは、大なり小なり五感を「麻痺」させ、感情を「麻痺」させていることにほかなりません。

 

 

うつに徹するようにというアドバイスを行います。それは「うつ」の無気力状態を自己嫌悪しムチ打ち続ける「頭」の意志力を解除するためなのです。「頭」の意志力による過剰な「自己コントロール」が、内なる自然である「心」=(身体)のストライキが引き起こしたのが「うつ」なのですから。

 

 

本来は心(身体)側が食べたいという自然な食欲の形で教えてくれるものです。「身体」は、その日その時の体調に合わせて、その時に必要なものを間違いなく教えてくれます。

本来の心が欲する自然な食欲は、毎日同じものを食べたがったり、過剰に何かを欲しがったりしないものです。見事にバランスを発揮してくれます。

 

 

自分を守るために、たくさんの人を突っぱねるしかないのです。たくさん自分を守って誰も邪魔しない一人の世界を作ることで初めて、自分の意見を考えるようになるし、それを積み重ねることで初めて自己肯定感は生まれます。そして、それができて初めて人のことも本当の意味で肯定できるようになるのです。

 

 

身も心も生きる活力を失っている時、先ず身体を動かす事から始めるのです。

 

 

 

節約や節制ばかりの人生は、自分をおりに閉じ込めているのと同じです。行動範囲が狭くなり、やりたいことが制限されます。生きるのが苦しいです。節約と節制ばかりでは、人生の質は向上しません。人生の質が向上するのは、無駄なことをするときです。

「なんて無駄なことをしているんだろう」と思ったとき、プラスアルファの体験が生まれます。

ストレスが解消されます。リッチな気分が味わえます。新しい刺激に出会えます。意外な発想が生まれ、新しい出会いもあります。たまに無駄なことをするから、役立ちます。

量は少なくても、大きく変える力があります。無駄とはスパイスのようなものです。

無駄なことをするのが、人生における最高の贅沢です。

 

 

常に有効に稼働しなければならないという考え方は、生き物としての自然に反したもの。

無駄な時間も必要な時間。脳に必要なのは「無駄な」時間。

 

 

効率再優先、損得勘定・完璧主義などの頭だけの考えに従うと、時間に追われることになり、楽しめなくなってしまう。

無駄の全くない世界は、余裕もなく窮屈に感じられ、かえって様々な悪影響を及ぼす。

一見無駄に見えたり、人からは無価値に思われるようなことでも自分が心から喜べればいい。

他人から見れば無駄と捉えられるような休息時間も、本人にとっては大変重要な無駄となります。