日本仏教の父といわれた聖徳太子(574〜622)は推古天皇の摂政という役職にあって、いわば今日の総理大臣にも匹敵する、政権の中心におられた人物
そんな彼はよく
「世間虚仮 唯仏是真」と
言われていた
ここで言う「世間」とは、世の中という意味にとどまるものではなく、私たちが握りしめている価値世界全体を指しているといえるでしょう。
どこの学校を出たか、
どういう職についているか
どんな家に住み
どれほどの財産を持っているか
・・・などなど
私たちは知らないうちにそうした価値観を握りしめ、その拡大を求めて生きています
そうした価値の根底にあるのは
自分の持っているものを増やそうとする欲望であることを知らなければなりません
そして、
その欲望はついに満たされることなく拡大し続けるものであるかぎり
真実の喜びを生み出す価値ではない
虚しい仮のものに過ぎないと知らされるのが
仏の教えだと言われているのです
このような意味で、仏教は古来、出世間道であると言われてきました
それは、自分の欲望の満足を求めて生きている人生の中に価値を確立しようとする態度を世間世俗の道ととらえ
それがついに虚しいものであることに気づいて、そこから出ていく道を歩もうとするのが
「仏道」
であるということです
「仏教はむずかしいものですね」
とよく言われますが
仏道を歩むことの難しさは
仏の教えが指し示す答えの難解さにあるのではなく
人生に対する私たちの問いが深まらないところにあるのではないでしょうか?
仏道の出発点は、
まず自分の握りしめている価値が本当に確かなものであるのかを問い直し
全く新しい別の価値を求めようとするところから始まるのです