上ばかり見ていると居場所を失うよ。

理想を追われずに、のんびり、じっくり。
目の前の現実をちゃんと楽しもう。
自分を苦しめる理想なら捨てよう。

ちいさな幸福のために理想を捨てよう。


人は理想なんてなくても生きていける。理想に殺されるくらいなら、理想なんていらない。理想にとらわれすぎるあまり、息苦しくはなってはいないか。


目の前にある現実をきちんと愛することができれば、理想がなくても人は成長できるし、毎日も楽しくなり、ちいさな幸福を手にすることができる

 

もう十分すぎるほど持っている。

持たない。周囲はやたらと消費することをオススメしてくる。


新たななにかをほしがるのではなく、今すでに持っているものを、受け止め直すというふうにしてみるとどうだろうか。

手に届きそうなものを求めない。


ちょっとムリすれば届きそうな花はあぶない。


描いた理想が達成されなかったときの精神の自衛がまったく準備されていないのは非常に危険。


上っ面の言葉だけで塗り固められた理想を抱いたが最後、待っているのはひとつも現実にならない空回りの理想に肩を落とし、グチグチと不平をこぼすだけの人生である。

 

実現可能そうな理想を掲げ、でもそれすら実現しなかったら、いよいよ私は立ち直れないじゃないか。

 

私は将来をちっとも見据えていない。だからこそ、気楽に生きられるのである。理想の実現のために追い詰められることもなく、所有しないがために失うことに怯える心配もない。


もう十分すぎるほど持っている。

所有欲を捨てれば、「持っている」気持ちになれる。

 

そんなに急いでどうするの?


理想は時間を奪う。
時間に追い詰められて苦しい思いをするくらいなら、サッと時間を無視してみるのもどうだろう?
時間を無視する態度を堂々と貫くにはかなりの勇気がいるはずだ。無能や愚鈍の謗りは免れない。

しかし、「時間という武器を振り回す理想」に心を殺される未来を享受するぐらいなら、無能と蔑まれてもよいから、時間を笑い飛ばす態度でいたい。


私が提案する最も心に負担をかけない解決方法は、立ち止まることだ。流れる時間に追い立てられて苦しめられるぐらいなら、流れるのをもうやめてしまおう。急いでいるとき、急がなければならないときほど、勇気を出して立ち止まるのである。


人生が、精神が、現実が、理想に飲み込まれて押しつぶされて藻屑とされてしまうぐらいならば、立ち止まろう。

荒れ狂う時間に貼り付けられた理想なんて、私はそれほど立派なものとは思わない。期限のある理想など、本当の理想ではないとすら思う。偽りの理想に振り回されて心が殺されるくらいなら、地蔵のように立ち尽くしてしまおう。

 


別に「すごい人」にならなくてもよい。