死ぬほど暑い

要はなんでも相談できるコミュニティがあれば自殺は低減できる。同時にそれは幸せの基準にもなるだろう。
悩みの孤立化を様々なレイヤーのコミュニティでカバーするリデザインが必要。

 

出来るだけ生きながら逃げてほしいです。生きている間の苦しみは逃げ切ることが出来ます。


他人と比べるからダメなんだよ。せっかくこの世に生まれたんだから
美味しいもん食べて、楽しい趣味見つけてエンジョイすればいい。

 

少しずつ自分でできることを増やす。
常日頃から意識していることがありますが、

それは、人生は「見極めと判断の連続作業」
そして、「この世は自分の都合に合わせてくれない」

チャレンジするにしても、そこには見極めと判断がつきものでしょうし、
人や運、自分の特性、健康などが味方してくれないのは当然だ、ぐらいの覚悟は、当然想定しておくべきです。

 

ただ、常に結果が出て、常にその影響下に置かれ、常にスタートの連続であることを知っていれば、
「慎重に」「リスクが~」という言い訳で動けないのは、ただの“手抜き”であることが知れます。連続性であることを深く理解していれば、都合どおりに行かない、
ましてや不幸にしてやろう、してやろうという「力」に対し、悲観的になることも
愚かしいことにも気づきます。

不幸や不運の致命的弱点は
「継続的連続攻撃(常にアップデートする判断も含む」です。

 

チャレンジする者にとって必要なことは孤独を恐れないメンタル。これに尽きるだろう。


歳をとると他人の目を気にする気持ちが多少なりとも薄れていくことと思います。

歳をとってからでも、自分の目標や好きなことがあれば、そこに向かって歩き出すことができると思います。

でもそのためには、若いうちから少しずつでも、それを実現するための努力が必要です。
がんばってください。未来に目標があるのはいいことです。

弱い人ほど目前の損が我慢できない。状況を考えず前に出てしまう。
それが自分のリズムを崩すきっかけにもなる。成長とは変わること。


勝ちだけを意識した取り組みでは強くなれない。成長しながら力をつけることで自分が楽しいし、良い結果が生まれやすい。最終的には自分の身を守ることになるのではないかと思う。

行動力がない人には共通点がある。リスクと捉えるものが多すぎること。

 

成長できたとしてもむやみにハードルを上げない。目的は成長のループを安定して継続すること。

 

“好きなこと”という縛りを与えず、スキルといい知識の形成を優先する。
すると、そのスキルと知識が次のレベルでより心の向かう先へといく自由を与えてくれる。

 

評価軸が一個しかない世の中なんてつまらない。スポーツだってそういうものだし、そもそも貴族の遊びってのはそういうものだ。

 

もっと努力しなきゃいけないんじゃなくて、もっと楽をしたほうがいいんじゃないか、ということです。自分を認めてくれる人に会ったり、自分がしていて楽しいと思えることをしたり。


自分を見つめることからほんの少しでも逃れて
こころを休ませることのほうが大事なんじゃないかと思うんです。


何かをすることではなく、自分を責めることをやめることが、大事なことではないかと思います。

何も禁じられていないし、間違っていることでも、悪いことでもないですよ。


安心して何かをやってみてください。
「やってみる」ことよりも
「安心して」やることが大事なんだと、なんとなく覚えていてください。
心の底から楽しいな、と思えるとき、人は自分がどう見られているかなんてすぐ忘れます。

 

周りからどう思われるかとビクビクしている状態で、何かを楽しむなんて無理です。
私は「楽しめた」という体験をまずすることが大事だと思います。


挑戦に遅いなんてことはないのです。
タイミング的にスタートを切れない時でも、諦めないでいればいつか必ずチャンスがあるし、本気であれば、年齢は関係なくなるんだと思います。


失敗すると落ち込むのは仕方ありませんが、行動にフォーカスしていれば、立ち直りも早くなります。私は結果よりも行動を重視しています。だから自分のペースで頑張れるし、無理しすぎて挫折することもありません。