凡百の死達


人生はいいことばかりではありません。当たり前です。
これから先起こる事。悲しみや悩みは生きて行く上で乗り越えるものです。
人の死が辛いから自分が死ぬって勝手ですよね。
アナタが死んで悲しむ人はきっと沢山います。
自分が背負えず苦しんでいる悲しみを
友達や家族に背負わせるなんてあんまりです。

ところで自殺ってどんな理由があっても
実は他人に対する攻撃だって知ってました?
他人を悲しみや苦しみのどん底に貶めるための攻撃です。

生きて行くのが辛いから死のうと思います。
誰のせいでもなく自分が弱いからです。と遺書を書いたとしましょう。

でもきっと周りの人は
「苦しんでいるのに助けてあげられなかった」となります。
顔では笑っていても、心では泣いていたのだと気づいてあげられなかった。
つまりアナタの気持ちに気が付かなかった人に対しての攻撃になるんです。

アナタは今死にたいと言いながら怒ってるんです。
前向きなフリをして辛い思いをしている自分に誰も気が付いてくれないと。
そしてそれを自分が悪い、自分の所為だと無理矢理思い込んでいる。

他人に迷惑をかけたくない。心配を掛けたくない。
そういう気持ちを持つ事は大事な事です。
でもそれも行き過ぎると不満や不安となって心に溜まって行きます。
そして自分が悪いからこうなったんだと勘違いをしています。

自覚して下さい。それはアナタの怒りです。
どうして辛い思いをしているのに笑っていなければいけないのか。
悩みがないなんて思われ続けなきゃいけないのか。
それを死によって誰かに知らしめたいのですよ。

アナタが死んで辛い思いをするのは一体誰ですか?

本当に誰も悲しませたくないのなら死を選ぶのは間違いです。
自分が死んで悲しむ人がいると知っているのなら尚更。

もう一度言います。自殺は攻撃です。
アナタを今の苦しみへ追いやった全ての人に対してのね。
「私が死んで悲しめばいい!」って怒ってるんですよ。


一年間くらい死ぬことばかり考えていたので、質問者様程辛い目にあっている訳ではないのにおこがましいかも知れませんが……
今はだいぶ回復しましたけど、自殺願望は常にあります。ただ、この世に未練がある内は無理に死ななくてもいいかなって、睡眠薬だけではなかなか死ねないのでどうやったらそれなりに楽に確実に死ねるかを調べて調べて考えて考えて、ああ、これなら、本当に本当に死にたいって思った時に確実に逝けそうだから、今はまだいいかなって死を先延ばしにしました。健康な人に言うとドン引きされますけどね……。楽しみなことが先にあると、その日付を見ながら、これが終わったら死んでもいいんだ、と言い聞かせて毎日欝々と生き延びる。でも楽しいことがあると幾分救われて(まあ三日もしたら死にたくなるんですけどね)……の繰り返し。
好きなこと・遣り甲斐のあることが残っている内は、無理に死ななくてもいいんですよ。でも、どうせ本当に八方ふさがりで身動き取れなくなったら死ぬ人間だからな、って考えながら過ごしていたらどうにか今も生きてます。
楽しみなことを何か作ってほしいと思いますし、私のような無責任人間になれとは言えませんが、生きている間にかけなかった負担を死んだときもかけてはいけない理由がわかりません。死ぬ時負担をかけないんだから、生きている今負担をかけたらどうですか?元気なフリなんかしなくていい。寧ろ、死ぬ時の為のお金をかけていたんだと分かった時こそ、家族としては発狂モノではないでしょうか……。


人によるかなぁ。私も辛くて死にたい言いながら10年生きてます。こんな共感いらねえよって思うかと思うのだけど、今から思えばわかりすぎてるから悩むんだよね。愛されてる、でも未来に逃げ道が見えない。辛いことがこれから何十年続くかわからない、怖い、甘ったれてるかもしれない、生きることが怖いの無限連鎖。なら死ねば楽になれる、考えなくていい、でも親が悲しむ、みたいにグルグル回転木馬です。
私は生きろって言えるほど強くないんだけど、まあ生きててやっぱツライし。
ほんのすこし、光が見えたら私も貴方も生きるくらいの元気は持てるんだよね。悩むのはやっぱ死にたくないんだよ、多分。スパッと死ねたら楽になるかもだけど、諦めきれない。
根底にあるのは隣の芝生は青い現象だと思うの。私は私のしあわせがあるって言い切れる何かがあれば人はどんな苦痛さえ屈指ないと思います。
私アニメ好きでさ、物語作るの好きなの。あなたは何か好きなのある?他人が干渉出来ない好きなもの。とりあえずそれを見つけるまで諦めないでギリギリでいいから踏ん張ってみたらどうかな?まず第一目標は朝起きる。次はカフェにいってみる、みたいな。今と違う世界を恐れないことから始めてみたらどうかな ️

 


赤ちゃんを、おろして、そのせいでお父様にガンが見つかったと言ってますが、それは大きな間違いです。神様は、ちゃんと見てないです。いいことばっかりしてる人にも、平気でひどいことするし、悪さするやつでも、バチはあたりません。そんな世の中です。
私の知人で、最低な人がいます。人を傷つけ、利用し、騙し続けた人。でもその子、普通に優しいださんなさんと、結婚して、今、幸せです。そんなもんです。ばちなんか、あたりません。なので、赤ちゃんをおろしたせいで、お父様にガンが見つかったというのは、嘘です。たまたまです。あなたが、罪悪感を感じてるから、それに自分で結びつけてるだけです。大丈夫です。

 


あー
歌うの好きだなぁ


身内に自殺されたら、それを乗り越えることはありません。ずっと「あの時気づいてやれたら」「生きていたら、もう〇歳なんだな」「子供の気持ちに気付いてやれず、私は親失格だ」「私は子育てで何かとんでもない失敗をしたのではないか」そんな後悔と未練がずっとお母様に残ります。病気や寿命で身内を亡くすのとは大きな違いです。激しい罪悪感と自問自答の日々が続きます。子供を愛していなかった親であれば別。でも、普通に子供を愛していた親であれば一生を悔やみながら過ごすものです。そして時に「私もあなたのそばにいけたら」とマイナスの感情に揺さぶられます。

ものすごく辛いことで、地獄といっても過言ではないほど、自死で子を亡くすのは親にとってこれ以上ないほどの壮絶な苦しみに身を置かれます。

自殺者を出した家っていうのは、ふつうに亡くなられたのとは違うので、やっぱり世間の目も厳しいです。家族として崩壊していたのではないかとか、自殺は遺伝もあるのでそういう疑いをかけられたりとか、親としてどうだったのだろうと非難めいた目でみられたりとか、逆に可哀想と同情されまくるとか、自殺原因を詮索されるとか・・だから、ご遺族が親戚や近所など周囲に対して、身内が自殺だった事実を隠し、突然死だったとか心筋梗塞だと曖昧にぼかすケースも実は多いです。

隠し通せない場合は、周囲の反応もギクシャクしたものになり、腫れ物に触るような扱いを受けます。自死と自然死ではこうも違うものかと・・残された家族は本当に大変です。通夜や葬儀の時にも、葬儀場の隅や陰で参列者のヒソヒソ話が絶えなかったり・・独特の雰囲気です。

自殺する人は、自分が背負っていた重荷を全部この世において身軽に旅立っていきます。その重荷は倍になって身内に降りかかるのです。こんなに身勝手な死もないと思います。

娘さんを自死で亡くされた人を知っていますが、わずか1年で別人のように老け込んでしまい、それまで明るく社交的だった女性なのに、今は人づきあいを避け、世間から逃げるように家に閉じこもって生活されています。顔つきも目つきも変わってしまい、話し方も変わり、どもる、おどおどと喋る、チック症なのか喋るたびに顔の左側が引き攣れます。心療内科にかかられているようですが、とても良くなっているようには見えません・・あまりに親不孝です。