鯉のぼり

調子どうですか?

うまく立ち振る舞えてますか?

渡る世間はなんとやら。


岸に立つ
仏に遇うのは此の岸で
私が途方にくれるとき


 途方にくれるたとえに「日暮れて道遠し」がある。


 歩いている道が遠いのではない。道がみつからない遠さである。歩いてきたつもりの道は四苦八苦の渦の中、足あとも残らぬ流転の姿だ。
 気がついたときには日暮れに近い。いい知れぬ孤独に落ち込む。

 しかし、まだ間に合う。迷うてきた人生はなんであったのか。この問いかけだけがあなたの道をひらくにちがいない。

 教えを求めよ。師に出逢え。生死の迷いを超える道こそ彼岸からの大道。身を託する道ではないのか。

 ごまかして通れぬ後生の一大事だ。

__昭和五十九年九月


おばさんが言っていた「この先の未来はないね」
生きることの不安との付き合いについて考えても答えはでない。
どうにもできない現実をただ生きる。それしかできない。それならできる。いま、ここだ。気づいて、捨てろ。そして照らされ摂取不捨。


孤独と、それゆえの贅沢。没頭と三昧。


間違ってもいい。損をしてもいい。おはよう。

 

 風にさそわれて窓を開けると、大空に鯉のぼりが泳いでいる。
 江戸時代、男子の立身出世を願い、五月節句の幟の模様に鯉の滝のぼりを描くようになったのが、それの始まりである。

 その後、幟のまねきに紙製の鯉をつけるようになり、さらに吹き流しにヒントを得て今日の鯉のぼりができあがったという。

 経済事情や住宅事情によって揚がる鯉のぼりも様々であり、生活改善で鯉のぼりを自粛する地区もあるが、大きな口を開け青空を風の吹かれるままに泳ぐ鯉の姿はなんと爽快なことか。

 空に魚を泳がせた先人の知恵は、実に素晴らしい。そこには物事を決めつけない、実に柔軟な思想が働いている。

 決めつければ、自らの住める世界が狭くなる。環境の変化になじめず、五月病に悩む現代人がいかに多いことか。

 鯉のぼりの口のごとく、心の窓を大きく開き、世界虚空を自在に泳いでみようではないか。

___平成五年五月


この世界を自由に泳ぎ回ろう。鯉のぼりのように。