残暑が続く中にも、日ごとに空は澄み渡り、涼風混じる。
夕闇せまれば、草むらから聞こえてくる虫の声。そぞろ物思いにふける秋への移行。お盆に続く秋の彼岸も間近か。
人生の一番大事なことを先送りにしてきたせいか、ひたすら時の早さだけを感じ、つかみどころなく空しい。
行く先の不透明さから、心の底にただよう不安。思えば、人生の充実を求めているSOSだ。
それを受信され、南無阿弥陀仏として発信されたのが、仏からの救済であった。
ただし、娑婆を厭うて彼岸に連れ去る救いではない。
この岸で、つまずき、踏み外し、落ち込むことの多い現実をたくましく生き抜く力が与えられる事である。
彼岸から与えられる力は南無阿弥陀仏として現してある。
落ち込む中身は生老病死、自力であがくまえに、まず聞くことが先決ではあるまいか。
__平成三年九月
まぁ、周りを見て、自分と比べても無駄に落ち込むだけだからやめよう。意味はないし、むだ。そんなことしなくていい。どーせもうダメなんだから、お先ないんだから気楽に行こうぜ。
梅雨明けのギラギラする太陽の下、沖合いには白波を立てて疾走するモーターボートにサーフィン、白帆のヨット。波打ち際では真っ黒に日焼けした若者や子供の歓声。夏の海は若さでムンムンとしている。この若さをいつまでもと願う。
しかし、盛者必衰を免れることはできない。
だが、道を求める者に老いはない。ひたすらに真実を求める心は、いつも隠されたものに眼を向け、人のことばに耳を傾ける。新たなる感動がつねに心を潤す。
たとえ歳は若くても、他人の涙が見えず、歓喜の声が聞こえないならば、心の乾いた人間、つまり精神的老人といえよう。
かたくなな心を潤し、柔和な心を与えるのは仏の光明。触光柔軟の徳を賜る聞法者は永遠の青年である。
___昭和六十一年七月
損か得か
良いか悪いか
私の思いですべてを決めた
ただ一つ
これで「よし」と
私自身が
決まらない
目の前の現実に意味はない。
好きなことを想像するようにしなさい。
嫌いなことを想像する時間を減らしてな。
「ない」ではなく「ある」を探す。身の回りの充足を探せ。
金持ちになりたいじゃなくて、金持ちであると勘違いして
そう、どの道、すべては勘違いなんじゃよ。
幸せであると感じるのも
不幸であると感じるのも
その本人のただの勘違いなんじゃよ。
不足を見れば、永遠に「なりたい」を夢にしてしまう。
金持ちさえも経由せずに「いま、幸せである」
とその場で勘違いすればいい。感じればいいだけ。
いまにくつろげば、もう幸せ。
いつかの幻想を捨てて、今を楽しんでみよう。
いまには、全てのいつかが含まれています。
いーんだよ、それで。
これでいいのだ。
その場で今すぐくつろぎなさい。
くつろげば、お前が望んでいる役割は全て「ここ」にやってくる。
君はもう、君なんだから
君には君の「役割」がある。
そのままでかけがえのない「あなた」なんだから。