安西先生に捧ぐ、休みたい時の文章

 安西先生、ごめん。先生は「あきらければそこで試合終了ですよ」って言っていたよね。
でも、ぼくはもう諦めます。もうあきらめないとかがんばるとかいうのはいいかなって。

 

もうね、充分やってきたかなって思うのよ。この社会どんどん縮小していってるじゃん?
こう、がんばっても報われないっていうかさぁ。もうどうしようもなくね?みたいな空気が漂っているじゃん。ただならぬくらい。俺の人生の周辺にはね。俺の人生にも。


いやね、もちろん、これからだってやるだけやってみるよ?その姿勢は変わんないよ。でもさ、こう、もう無理じゃね感があるのよ。この先に希望なんてほんとにあんのかよって。


なげやりになっちゃうよ。どうにか自暴自棄にならないように努めるよ。


でも安西先生。ぼくはもう、やめます。がんばるのは。いやがんばりますけど。
こうなんていうか、まぁ。がんばるのは必要最小限で行きます。


「あきらめちゃダメだ」とか「がんばれ」とか「元気になろう」とか「ポジティブ」とか
ちょっとそういう熱い感じは今の気分じゃないかな。そういう精神論、根性論も嫌いじゃないけど。


ちょっと少し休もうかなって。

 

この生きづらい時代に、ぼくたちに必要なのはさ、人生を少しずつ、少しずつ薄皮をはいでいくかのように、上手に人生を諦めていく知恵と工夫だと思うんだよね。そっちの方が役に立ちそうじゃない?


そんな自分を、他人を追い込まないでさ。

 


大事なことはさ、生きていて、思うようにいかない毎日の生活の中で自然と生まれてくるネガティブな感情を、お互いに聞き合って、頷きあうことかなって。

「まぁ、いいか」
「仕方ないよ」
「もう、だめだわ」
「だめならダメでいっか」
「あきらめるしかないわ」
「人生詰んだわ」

そんな言葉を言うことを自分に許して、仲間や友達とも言い合って傷の舐め合いしてさ
成長なんて目指さずに。


そんなことをしていれば少し安心感が出てくると思うんだよね。そうすればまた一歩を進めるんだ。


ディオブランドーさんも言ってたじゃん?「人間に必要なのは安心感」だって。

 


なんとか生きしのいでいくために、これからの厳しい時代、ますます多くの人が夢や希望を諦めて、孤独や寂しさと生きていかざるを得ないこともあると思います。

 


その苦しみや寂しさを抱えながら、「なんとか死ぬことなく、生きていくための方法」そして「生き方」を求めていく所存であります。

 

ちょっと固くなったけど、きほんゆるくやっていくよ。固くなってもしょうがないだろ。まずは肩の力ぬこう。深呼吸&りら~っくす。

 

ほんじゃ、本日も一歩だけ進んでみよっか。