結局、人生しんどい人は、自分にフィットしたゲームをやってないんよね、きっと。 苦手なゲームに取り組んでるからしんどいんだよ。

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とにかく、ぼくらが楽しそうに遊んでいたら、若い人たちも、年上の人たちも、みんな安心して遊べるんじゃないかあと思うのである。
逆に言えば、ぼくらがあまりにも何もかも真面目にやりすぎてきたのじゃないだろうか。
インターネットで大暴れしたぶん、現実世界で賢者モードになりすぎて、アホな自分を出してこなかったのじゃないだろうか。

うん、ぼくはもっとアホを隠さずにいこう。
この世界、現実だろうが仮想だろうが、知ったもんか。
めいいっぱい遊ぼうと思う。

 

 

 

 


「まずは嬉しい、幸せなことって、自分が受け取ってもいいんだよー」って許可してあげてみては? 「暗かったり、負の考えが浮かんでも…どんな自分でも、まずはそんな自分でもいいじゃん?」と、認めてあげて欲しい

 

 

 

不器用な人って「半端にいい子ちゃんなんだよなぁ」と思いました。 「人の目を必要以上に気にせず、自分を満たせばうまくいく気がする」

 

 

 

あなたの人生では、必要な時に必要なものが手に入ります。時期が来れば手放さなければなりません。いつまでも自分のものなんてないことを悟り、今てもとにあると感じているものを大切にしましょう。

 

 

 

 


だましだましやって平和を保つこと、成熟するには時間がかかると思って、少し寝かせておくなど工夫するようになってきました。  寝かせておいた梅酒が美味しいなら、人間だって少し寝かせたほうが深みを増していることがあると思います。

 

 

 

人間、死亡率100%

どう生きても全員死ぬ。人の目なんて気にすんな。努力なんてしなくていい。なにも頑張らなくていい。

でも自分を大切に。今日まで生きてきた自分に、声を出して毎日ありがとうと言ってます。

 

 

 

 


「断愛」であり、
「何もしない」、
 
ただ落ちていくのを
手を離して眺める、
 
という行為でした。
 
 
 
何とかしようと
し続けてきた人生を
 
もう、
何ともしようとしないこと。

 

 

 

 


昨日は何にもしませんでした。あ、洗濯と掃除とワンコとにゃんこのお世話と、晩御飯は作りました。お風呂掃除もしました。以前は、あ~ダメだなあ、もっと何かやらなくちゃ!しっかりしなくちゃ!と自分を責めてました。でも、これだけでもいいのかなと少しだけ思えるようになりました。私たちは存在するだけでも意味があるのでしたよね?まだまだ府に落ちませんがこの自粛期間に落としてみたいです。

 

 

 

まずはなによりも自分の心と体を守ることをちゃんと自分の責任としてやっていこうと思います。どうしても「登っていく」プレッシャーに追い立てられるようになるけど、この歩き方が十分立派なスピードなのだと自分に言ってあげたいと思います。

 

 

 

ぼくは今、よく「自然体ですね!」
「無理してないのにうまくいっているんですね!」と言われます。
それは、やめる力を身につけたからです。
自分が無理だと感じることは手放し、自分らしいと感じること、
自然にできることを選択できるようになりました。

 

 

 

私は「今世は諦めてください」と自分が自分に言えた瞬間、最悪の時期を脱することができた気がします。それまでは、どうしても「周囲と同じように生きられるようにならなくては」とか「人並み以上になんでもこなせる自分を演じなければ」などと思って、肩肘の張った生き方をしていました。

 

 


一般的な人々が持っているものを自分も持たなくてはならないと思っていたのですが、その思いを諦めました。

 

 

どうあがいたって自分は自分でしかないのだから、これで生きよう。今生は諦めよう。人と同じように生きるなんて無理だ。俺は俺を生きよう。そんな思いが腹落ちした時期から、生きることが途端に楽になりました。

 

 

 

真の充足感に、他者の承認は不要であることを学びました。

 

 

結局、人生しんどい人は、自分にフィットしたゲームをやってないんよね、きっと。
苦手なゲームに取り組んでるからしんどいんだよ。

 

 

自分にコントロールできないことは、いっさい考えない。 考えても仕方ないことだから。 自分にできることだけに集中するだけです。

騙されたつもりでもいいから、今感じている不安は虚構なんだと思い込んでみると、トクすることはあっても、損することはない気がしますよ。  そうやって考え方を常識からちょっとずらしてみると、人生という時間の楽しさも、自由も、幸せも、増えていくんじゃないかと思います。

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騙されたつもりでもいいから、今感じている不安は虚構なんだと思い込んでみると、トクすることはあっても、損することはない気がしますよ。  そうやって考え方を常識からちょっとずらしてみると、人生という時間の楽しさも、自由も、幸せも、増えていくんじゃないかと思います。

 


時間というのは、基本的には誰であれ公平に与えられています。  せっかくの時間なので、自分が幸せになるために使うほうがいいと思うんですよね。

 

今後、何十年と生きる予定の人だったら、「自分の時間をなんのために使ってから死ぬか」ってのを考えてみるといいんじゃないかと思います。

 

 

勝手にこうやって生きるべき!って決めてる…って衝撃です。 幸せな人生を生きるべき! 楽しい人生を生きるべき! って決めてるかもしれないです。 不幸で楽しくない人生もありじゃん?って思えたらなんか笑えました(笑) どんな人生もあっていいんだぁ~って通勤中に泣きそうになりました。 なんで幸せで楽しい人生がいいって思うんだろ?って考えたら、なんか楽しそうです。

 

 

 

余力を残し〝ありのままに〟で災いを避ける

 

 


人生の節目に立っているときほど強がらず、必要以上に自分をよく見せようとしないことも大切です。仕事も生活も、今の自分の実力で〝ありのまま〟でいく、それで心身に余力を残してください。 「余力」は健康になるためのキーワードで、心と体に余力があれば副交感神経が優位になり.

 


不安・心配から離れて望む人生を生み出すためにはどうすればいいのでしょうか?答えは「問題を預けて、他のことについて考える」ことです。 問題を預けるとは、直面している出来事に対する解決策を無理に考えようとせず、流れに任せることです。

 


全ての願望は「楽しい/嬉しい、ワクワク、気持ちいい」という感情がベースになっています。 あなたはお金そのものというよりも、 お金で得られる「快の気持ち」を求めているのです。

 

本来、お金とは「快」につながるもの

 

 

 

あなたが行動を起こす時は、 「それが気分を良くしてくれる」ことが分かっている時です。 「お金のため」「家を買うため」に無理な行動をするのではなく 「気分を良くする」ためだけに行動をする。

 

 

 

 


厳島神社みたいな精神構造にした方がいいとおもいます。台風が来たら壊れる前提で、あんまり「これが芯だ」とか、譲れないものを作らない方がいいと思います。

心柱みたいなものもあればいいとは思いますが、それがある人はそもそも脆くないですよね。

脆いのは直しようがないです。脆いものを建物の形にしておこうとか、カッコよく見せようとするから無理なんであって、ひと山の砂とかちょっとした丘みたいなものでいいと思います。

もっとも、そんな形のものでも台風が来て構成物を根こそぎ持っていかれたりもしますので、適宜、なくなったら足していけるような供給先を持っておくといいと思います。

 

 

 

 


・お金を使わないで幸せを感じられる体質

・お金を使わないで楽しみを探せる人生術

・節約

・貯金

こういう地味なこと、

大切にされてくださいね。

 

 

 

実際に、がんばりすぎてエネルギーが低下すると、さまざまな身体疾患になるだけでなく、過労そのもので死んでしまったり(過労死)、過労からうつ状態になり、自殺に至ることもあるのです

 


名声や利益を求めたり守ったりすることに追われて、静かに過ごす暇がないまま一生苦しむなんて、バカバカしい

 

 

 

芸能とは、みんなの心を和らげて、上や下などという考えから自由になって、寿や福を増やしていき、寿命を長くするためのものなのです。すべての道は、極めるとすべて同じことです。寿や福を増やしていくためのものなのです

 

 

 

人生のゴールは「いい気分」で生きること。いくらハワイに別荘を持っても、ストレスだらけで毎日暗い気分なら意味はありません。小さな家でも、毎日いい気分のほうがずっといい人生だと言えるでしょう。

 

 

 

ゲームの中でも自分のキャラクターだけ
装備強くして技覚えさせて闘うでしょ?
その感覚でいる。
いちいちこの敵キャラ強いなーいいなーと思わないじゃん。
この敵強いな。勝てない!よし装備変えてみよってなる。

 

 

 

私、よく引き合いに出す話があります。むかーしむかーし、鬱で入院していた頃のこと。 高いんですよね、入院費。したいこともせず、やりたいこともやれず、悶々として病気になって、医療費高額。 だったら、好きなことして、ちゃんとお支払いをして、「うほっ!」となる方が断然健康。 「うほっ!」は90日間入院した費用より、めっちゃ安い。 いちいち「生きてて良かった!」とか「皆に感謝」とか唱えなくても、 「面白そう!よし、行くぞ!」と電車に乗ってしまえばいい。 「ちょっと笑い足りないな、ザ・ニュースペーパーの公演観にいこう!」で、ゲラゲラ笑って帰ってくる。 「うーんよく歩いた、スタバでカフェモカ」とかでも十分。

 

 

 

仕事で幸せになるというのは、タカが知れている、ということです。
 もちろん、給料が上がったり昇進したりするのは嬉しいことですが、私たちの生活に直接幸せをもたらすか、といったら、それはちょっと違うんですね。
 それよりも、いつも部屋がきれいに片付いていて、キッチンに行くとおいしいご飯や飲み物を作ることができ、着るものはちゃんと洗濯された清潔な服で、ベッドのシーツやカバーがパリッとシワが伸びていて気持ちいい、というほうが絶対幸せなのです。
 そうした空間と時間は快適そのものでストレスフリーですから、体と心の疲れをリセットできるので、仕事に対するモチベーションが上がることも実感できます

主人公キャラとしての自分の能力値は見切ったらどうでしょうか。「自分の努力スキル」には頼らないようにしたほうが、だいぶラクに生きられるようになりますよ。

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「日々、自分だけの心地よさに意識を向けて過ごす」ということ。 心地よさを感じていれば、いつも元気でいられます。 心地よさを感じていれば、心地よい現実がやってきます。

 


決められたお金の範囲でやりくりできる自分の成長ぶり、自分の能力の高さにこそ豊かさを感じる。

 

 

 

自宅が「宝の城」になる時代がきた

 

 

 

 


ストレスが生じるのは、困っていることや、逃れたいことがあると、心はそれに気づいても否定しようとするせいです。なぜ否定するかというと、自分の弱さや無力さを認めたくないからです。見ないふりをして平静を装い、気のせいにして流そうとするわけです。そうして抑え込んだ不安や恐れが、体を傷めつけるのです。

 

 

 


とにかくがむしゃらに頑張るとか、無理をどうにか通そうというのは、そもそも「負け」が確定している中での努力なので、そこは早々に諦めて、さっさと別の勝利条件をそろえたほうがいいんじゃないでしょうか。

 

 

 

主人公キャラとしての自分の能力値は見切ったらどうでしょうか。「自分の努力スキル」には頼らないようにしたほうが、だいぶラクに生きられるようになりますよ。

 

 

幸せな時間を確保するために、仕事を選ぶ

 

 

一般の人は、SNSなんて見ないほうがいいと僕は思っているのです。

 

 

何かイヤなことがあったとしても「ああ、楽しかった」と思えるような生活習慣を持って、そこでストレス解消したほうが、毎日ラクだろうと思います。

 

 

結局、住む場所と食べものがあって、人とコミュニケーションがとれる状況であれば、人は幸せを感じることができるのです。  たとえ失業したとしても、仕事がないほうが時間に余裕があるぶん、面白い人や出来事に遭遇するチャンスが増えるかもしれない

 

 

 

 


自分も無理して幸せに生きようとか考えるより、マイペースにダラダラ生きて適当な年齢で死にたいと考えています。
でも周りの大人達はそんな生き方を勿体ない人生、底辺の人生と言ったり、若い内は色々な事を経験するべきと言ってくるので自分の価値観は普通じゃないんだなと日々考え込んでいます。
もういっそ「お前はこの世に必要とされてねえ人間なんだよ!」と切り捨てられた方が楽に生きられるんじゃないかと思うようになりました。
誰かに必要とされたり期待されるからこそ生きることが面倒に感じます。

 

 

 

所詮暇つぶしなら、ひどく悩む必要なんてないもんな。
次は何やろう?くらいのモチベーションでいいのかもしれない。

 

 

 

自分にできることを最大限駆使して伸ばしている時間こそが最高に充実した今を生きているということ。
ひたすら目の前のことに夢中になる。
そしたら結果が出るし、そうしないと結果は出ない。
自分の手の届く範囲のことを一生懸命やることが一番の宝だ。

 

 

 

 


「いい仕事をしていくには、自分がまず楽しめて、心がものすごくいい状態で、生活にぎちぎちにならず、ゆとりある気持ちで対応していかないといけない、と考えていました。だから、週3日と決めたんです」

 

 

 

 


安心を求めるために必死に頑張る
安定を求めて必死に頑張る

のではなく、

自分の中に「ある」をみつけて
その「ある」ものは「なくならない」という確信を持っていく。

それは、愛 だったり お金 だったり
そして、信頼 だったり 評価 だったり 才能 や 使命 だったり

するのかもしれません。

 

 

 

不思議な出来事は起こるということ。いま生きている場所が世界の全てではないということ。

ひとは新しい一歩を踏み出す時、こんな世界もあったのか!という自分の精神世界を拡張する斬新で新鮮な感動に包まれることがある。

 

 

 

 

「いままでの『自分は何か足りていない前提』での努力『足し算』をすべてやめる」

 

 


何にも考えないって本当に大事だなと思った! 

病むことが無くなった

 

 

 

3つ目は、年がいくつであろうと、
今どんな状況に置かれていようと、
誰にでも必ずある、得意分野を見つけるチャンス。

私は会社に勤めながら、さまざまな人を見てきた。
それぞれに好みがあって気質もちがうが、
誰にでもうまくやれることが存在する。

仕事を辞めてそれを探せと言っているわけじゃない。
もちろん、自分が望むならそうしてもいいけれど、
大切なのは好きなことを見つけるのをあきらめない姿勢だ。

誰の人生にも、好きなことを探すチャンスがある。
そのチャンスを捨ててはならない。
好きなことはたいてい、
時間が経つにつれて得意なことになっていく。

 

 

 

どうせいつか死ぬんだから、限られた条件のなかで少しでも楽しく生きたいわ

 

 

 

 


どうせいつか死ぬし、人間の死亡率100%だし、死んだら終わり、はいそれまでよ。
何か目標を決めて、それまでは死なずに頑張ってみる。
自分が思ってることは、自分の思い込みすぎだったり、勘違いなこともある。
振り返ってみれば、自分も悪かったり。
せっかくだから生きてみる。
結婚も子供を産むこともしないと決めてたけど、私なんかでもやってみるか!と思って挑戦してみた。
実にならなくても、だめでもともと。
まさかの人生待ってるよ!
死なない方が得かな。面白いこと意外とくるから

上手にあきらめて、 みんなで楽しい妖怪になって生きましょう。

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お金は減るもんだし
人はどうせいつか死ぬのに、
なんで嫌なことして、
好きなことにお金つかうの我慢してるんだろうって気づいて、
好きなことだけする日々がどんどん加速していってます。
もらったお金も好きなものに遠慮なく使います

 

 

 

朝ドラべっぴんさん
淡々と生きる

辛いことでも地味なことでも日々を淡々とこなす、無駄なことは考えずやるべきことを淡々と働き生きることこそが大切だと気づいた

 

 

 

前は、よくこんなこと思ってました 

でも行き着いた先は、生きることに意味を求めすぎてたなってことでした 

意味を求めすぎると、疲れちゃうんですよ 

すごい人はこの世にたくさんいます、天才もたくさんいます。 

そういうところはそういう人たちに任せて、自分は自分で日々を過ごしていけばいいんです

人に任せればいいんですよ 苦手なこと やりたくないこと したくないこと 

やらなくていいんです 人に任せればいいんです

最低限、やればいいの。

 

 

 

 


「汗、いいのに。生きてる感じがする。僕なんか、わざわざ炎天下で草むしりするもん。車のワックス掛けするもん。汗出るよ。だらだら流れる。限界になると塩が欲しくなったり。でも、生きてる実感がする。世界を感じる。僕は絶対、人に任せない」

 

 

 

 


そもそも、別に生きる意味がなくてもいいのかもしれないとも思ったりしました。

意味なんてないのに、呼吸をして、ご飯を食べて、活動してしまう。無意味なのに、そうやって私は生きている……この状態が不思議で、奇妙で、なんだかおもしろいのかもしれない。

まるで他人ごとみたいに、そう思いました。

 

 

 

 


過去は忘れて、未来は想像しないようにしよう
その代わり、今ここに集中するために没頭できる作業を見つけて実際にそれに取り組もう

 

 

 

あきらめるべきことは上手にあきらめて、じたばたしないことをよしとするのです。簡単にあきらめていいわけではありませんが、自分の力の限界がくれば、より価値の高いものを守るために降りるのは悪いことではありません。人生と命を守るために、この世のあらゆることを、降りる選択肢にしておくべきです。この世のことをすべてあきらめてしまって、一度身軽になるのはけっして悪いことではないと思います。それは人生そのものを降りることでは絶対ありません。

 

 

 

 


この世で一時的に敗者になっても、別の道が必ずあるからです。逃れの道は必ずあります。敗者には敗者なりの自分を生かす道があります。前進、飛躍だけが人生ではありません。後退、どん底もまた人生です。失敗する、負ける、窮する、傷つく、面子が潰れる、あきらめる・・・・そうしたことは人生の一コマであって、人生のすべてではないのです。

 

 

 

 


「人生を降りる」とは、社会的成功や他人との競争を離れて、自分に合った持続可能な幸せを自分で発見していくことだと思うのです。

 

 

 

 


出世するのは無理かも」と思った人は、職場での評価にこだわるより早めに別の人生の楽しみ方を覚えたほうが楽しく生きられるはずです。

 

 

 

 


「人生を降りる」という言葉を僕なりに言い換えると、
「社会的幸せから解放される」ということになります。

 

 

 

“あるべき論からの離脱”これが、人生のテーマだと、最近はつくづく思います。
いかに世間から逃れるか、如何に“あるべき論”から解放されるか。人間の人生はそれとの戦いだと思う。“自由”、“精神の自由”を得ようと思うと、「いい人」「できる人」「思いやりのある人」ではいられない。

 

 

 

人生がしんどくなる理由って実は明確です。
それは、いろいろと欲しがりすぎているから。

 

 

 

 


人間、生きてたら勝手に積み重なっていく性質とか、ついやっちゃうこととかあるじゃないですか。いかにそういうものを分析してコンテンツにしていくかが、基本というか。

 

 

 

あきらめることは決して悪いことなんかじゃない、それは殺されないための技術であり、よりよく生きていくための教義だ、あきらめることでその人なりに豊かになることができる。という内容です。

 

 

 

僕にとって
「しんどい人を減らす」
が少テーマなら
「ヤバい人(妖怪)を増やす」
は大テーマです。
上手にあきらめて、
みんなで楽しい妖怪になって生きましょう。

 

 

 

 引き寄せについても調べるうちに、「願望実現」以前に、自分のなかにあるさまざまな思いこみが、自分を苦しめているのではないか?

 


自分で自分が心底嫌だからこそ、苦しいのではないかと、気がついたのです。

 

 

 

「いまの自分ではだめ」「結果を出さなければだめ」「人の役に立たなければだめ」……。自分を否定する気持ちにとらわれてしまうと、「もっとがんばらなければ」というループに入りこみ、どんどん苦しくなってしまいます。

 

 

 

「誰かに何を言われようと、何かをして失敗しようと、成績が微妙だろうが、面接に落ちようが、人から認められなかろうが、(中略)あなたの存在自体の価値とは全く関係ありません」

 

 

 

“「できないこと」を嘆くより、「このままどう生きるか」を考えてみよう。”

 

 

 

“「職業というのは夢を実現するための一つの手段であることを忘れてはいけないし、それがダメだからといってすべてがダメというわけではないわ。また別の手段を使って自分の夢を実現する方法を考えればいい。それだけのことよ。」”

“飛行機に乗れないからといって目的地に行くこと自体を諦めるな!”

笑ってる時間が100倍に増えたよー! あ、自分って、こんなんだった!って 思い出したよ! 貯金はなくなったけど、 生きてるよ!むしろ生き返った!

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気持ちが落ち込む理由をなくそうとしたり、無理して気持ちを上げようとしたりするのではなく、『脳の神経伝達物質が足りなくて、頭がまわっていないという“現象”にあるのだ』と自分を客観的に捉えれば、少しラクになって、なんとかなりそうな気持ちになるものです」

 


ただいま余生を生きております
余生だと思えば全てにおいて頑張る必要がないと思えます

 

 

 

消化試合だからこそ出来ること。
勝ちを気にせず気楽にやる。
別にボールはどこに投げてもいい。
飛んできたボールを別にとらなくていい。
試合中に昼寝してもいい。

でも、消化試合をどう生きるか悩む私たちは、心の底ではまだ何かを頑張りたいのかもしれない

 

 

 

「死」への執着が強かった時は、もう何しても死ぬしかなかったんですが、今は「死」だけにこだわらなくてもいいかな、辛かったら寝ればいいし、酒飲んじゃえばいいし、好きな動画延々と見てりゃいいよ。どうせ人生、いつか勝手に終わってくれるし。って思っています。選択肢が増えて、「死」への執着が消えたら、テキトーに人生やれるようになったんです。

 

 

 

危機感持つ必要なくね?www
危機感持っていようが、人生なんも変わらんぞwww
もっと楽しいことを考えようぜwww
あれだな、悩みごとあったらなんとかなると思うと悩む必要はないだろ?
俺はいつもこれだわwww

 

 

 

 


自分を責めない!
最近これが最も大切だと気づいた!
もちろん明らかに自分が原因で物事が上手くいかないことはあるけれど
自分を責めても何も解決しないし
むしろ自信がなくなって負のスパイラルにはまってしまうことに気づいた

 

 

 

自分の人生が他人と違うことを不安に思うのではなく、プライドを持とうと考えた。こんなユニークな人生、誰も生きられないぞ、と。
だけど考えてみたら、人の人生はすべてユニークだ。世界中探してみても同じ生き方は二つとない。

 

 

 

 


いつか自分も死んじゃうんだ。

やけっぱちな意味では無くて、その現実を思えば、遠慮するのが本当アホらしくなる。

生きている間に、この世界でやりたいことはやる。

味わい尽くす。

笑う時間をうんと長くする。

それが多分、腹をくくるってことなんだと思う。

 

 

 

私たちは現状、生きてる。それだけでオッケーよ。何にも執着せず、考えず、どこに行っても「楽しい!」を拾って勝手に生きてくわ。

 

 

 

人生版ドラクエも、夢を叶えることはいったん忘れて、スキルやステータスを上げることそのものを目的にする。
新しい技術を覚えることや、同じ仕事の時間をどんどん短縮する。健康に関するステータスを上げる。

 

 

 

立場でも地位でも、「守らなければ……」と考えれば考えるほど、余計な心配のタネをまくことになって、心の安定を失っていくのです。

 


いい加減」とは自分の持っている「力量」のこと、そして、「いい加減」を知るとは、つまりは、自分の力量を的確に把握している、ということなのです。

 

 


(やりたい事が、まったりのんびりしたい。なら、それとことんやれ!みたいな。) まじか…!と思い、 やってみよう…!と思って 勇気出して仕事辞めて、 ぐーたら、のんびり… したよーー!!割と長期間! 最初はザワザワしたけど だんだん慣れてきて 気づいたら 笑ってる時間が100倍に増えたよー! あ、自分って、こんなんだった!って 思い出したよ! 貯金はなくなったけど、 生きてるよ!むしろ生き返った!

「ちゃんと」しなきゃというリミッターを外すと人生の難易度は格段に下がるよ。

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「もっと上から目線でいいんだよ。人と話すのがめんどくさい!とかさ。」と。 私は弱々人間。というのも、わがまま人間で良いって。 「自分にレッテル貼っちゃえばいいんだよ。 私はわがままだから人とは滅多に話さない! それで嫌な思いすることもあるかもしれないけど、だからって変わろうとしなくていい。 怒られたって何だって、そういう人間なんだからもう仕方ない、私はこれで行きますけど何か?くらい開き直っていいんだよ。」と。

 

 

 

 

SNSで大事なことは、自分を盛ることではなく、等身大の自分を様々な人に知ってもらうことです。

 


こまめにいろいろ自分の状況を発信していくだけで随分と周りからの理解や新しい情報が得られるようになります。

 


今の境遇を「嘆く」のもあり「嘆き続ける」のもあり。
でも、今の境遇を笑い飛ばす、と決めてみるのもありですよね。
レーニングとして、割りきって楽しんでみるのも、あり。

 


死んだらお菓子も食べられないし好きなテレビも見れない。

死んでしまったらささやかな楽しみも止まってしまいます。

 

 

 

わたしあまり体が丈夫じゃなくて何もできなくなるときがあるんだけど、そんなときは歌丸さんがいつだったか「病気とけんかしちゃあいけない、本気でやったら相手にかなわない。向こうの言い分も聞いて、ある程度は仲良くやっていこう」って言ってたのを思い出して気が楽になる。お疲れ様でした歌丸師匠

 

 

 

結局「幸せになる」ためには「結婚する」に留まらず、独身でも、恋人がいてもいなくても「自分に一番あってる」状態で生活することではないかと思います。でも、それが「どういう状態なのか」わかるためにはよくよく自分を知る必要があるのだと思います。この先自分も試行錯誤しながらやっていきたいと思います。

 

 

「ちゃんと」しなきゃというリミッターを外すと人生の難易度は格段に下がるよ。

 

 

 

人生は暇つぶしだと思ってから急に自分が軽くなって、新しいことをどんどん始められるようになった。たかが人生おどらにゃそんそんである。
どうせ劇も始まったことだし、思い切り舞台の上で暴れてみようか。
オプションを持って「あえて」という感覚で取り組むことの強さがそこにあるような気がする。
自分の自信の核になっているのは、勝ったことではなく、負けを受け入れ、そこから立ち直ったこと。
勝負に負けたことくらいで傷つかなくなったことである。
人生は長く、勝負は無数にある。負けない工夫より、負けにふてぶてしくなるほうが最後は強い。

 

 

あんなにがんばったのにほめてくれない。求めれば求めるほど辛くなるんだ。
日常そんなんでみんなイライラしている。
だから。必要なことを必要なだけすればいい。
結果を出そうとして無理な目標出したりするじゃない。
そうじゃなくてほどほどでいい。できる範囲でやればいい。
持てる範囲で持てばいい。

 

 

だって、この世で真面目に生きていく価値なんてないもん。
クソみたいなこの世界で真面目に生きていくのはもううんざり。こっちが馬鹿馬鹿しいだけ。

 


“目標として自分なりに取り組み、仮に達成できなくてもがっかりしない。残念と笑い飛ばせばいい。いつまでも執着しない。「まじめすぎると人生は楽しめません」

インターネットは魔法の杖」ということができます。これまで手が届かなかったサービスが、あっという間に安価になり、私たちの手の届くところでしかも自宅にいながらすべてが行えるようになるからです。

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「楽する」ことに全力を注いで下さい。
「楽しい」ことに全力を注いでください。

 

 

 

人生はほどほどに頑張って、手を抜けるとこは抜いて、余計な人間関係は切り捨てられるものは捨てて、のんびり生きて行くのがいいよ。
うちは親が早くに亡くなったし、友人も病気したり、いろいろあったから本当にそう思う。
心も体も健やかでいるのが一番。

 

 

 

人生で一番経験値が高いのは「今日」  経験は、日を重ねるごとに積み上がっていきます。  悲しいことも辛いことも、楽しいこともいろいろ経験をして、自分の中で息づいています。  つまり、毎日必ず成長しているということ。

 

 

 

 


不安を消すためには、今を見るのが一番ラクですが、今だけを見ているわけにもいかないと思うので、とりあえず今日一日くらいで全然OKです。  今日一日を乗り越えれば、勝手に明日が来ます。  その明日を乗り切れば、また新しい明日が来ます。 「先が見えなくて不安」とは考えずに、一日一日、その場しのぎでいきましょう。

 

 

 

「自分はもう無理だ」と思えるということは、自分の弱い面と向き合って、それを認めているということ。  それって、すごいことですよ。

 

 

 

人生において、会社や仕事がすべてではありません。自分の心と体を犠牲にしてまで働き続ける価値がある仕事なんて、ひとつもありません。  だから、ちゃんと自分の心の声を聞きましょう。

 

 

 

 家にいるとくつろげるという人が多いと思いますが、これは仕事がないからというよりは、自宅というとても優れた設備があるところで、音や温度、湿度を自身の体調や好みに合わせてカスタマイズした快適な環境があるからです。こんな素晴らしいところを、平日の昼間使わないというのは、実にもったいないと思います。

 

 

 

短時間労働で効率良く働き、最適に手軽においしいものを作る暮らし。常に片付いている清潔な室内で、楽しい運動、楽しい娯楽、そして愛らしいペットと一緒に暮らす

 

 

 

自宅で穏やかに暮らすということは、本当に驚くぐらい、私たちに幸せをもたらしてくれます。幸せな時間や幸せな生活というのはなかなか貯められませんが、自宅がそのステーション、あるいは貯金箱となって、私たちの幸せを応援してくれるのです。

 

 

 

なぜ私たちが働くかというと、自分自身の生活を快適にするためです。

 

 

 

今もパートナーを得るという夢は叶ってないけど、もう頑張らなくていいし、夢を途中で諦めてもよいと「今」の私が1番安心する「がんばらない」選択をして過ごしています。

安らかに、心豊かに居心地よく…そんなことが何よりも大事だったと「今」は思えます。
身体も喜んでいるのがわかります。

 

 

 


何でプロフェッショナルがいいとか、極めたらいい、続けなきゃダメ、結果出さないとダメとかって風潮になっちゃってるんですかね。
原始人みたいに食べて寝て、歌歌って踊ってていいんですよね。

 

 

 

 

 

それが、ある日急に「足りている!」って気づいたのです。 もう十分。もう足さなくていい。 薄味でいい。素材そのまま、つまりいまのままの自分でいいと。

 

 

 

 


抜け出す呪文は
「もっと、怠けていい」
「もっと、さぼっていい」
「もっと、悪人でいい」
「もっと、役立たずでいい」
「もっと、何もできない人でいい」
「もっと、バカで、ダメで、不細工でいい」
「ほんとに、なにもしなくていい」
「ぜんぜん、すごくなくていい」
「ぜんぜん、実績なくていい」
「それでも、あなたは、愛される。
 その方が、あなたは、愛され認められる。
 そして、
 そのほうが、自由に楽に楽しく豊かに生きられる。」
ということです。

 

 

 

 


友人が遊びに来る環境というのは「我が家に来るとどこに遊びに行くよりも気軽で楽しくておいしいものが食べられる」という状況をつくればよいわけです。

 

 

 

リゾートホテル並みの快適さを自宅に導入し、そのリラクゼーションの合間に仕事をする」ようなイメージを持っていただけるとよいと思います。

 

 

 

インターネットは魔法の杖」ということができます。これまで手が届かなかったサービスが、あっという間に安価になり、私たちの手の届くところでしかも自宅にいながらすべてが行えるようになるからです。

 

 

 

 運動の面白さとは何か? というと、

・みんなと一緒にできる

・先生が励ましてくれる

・フィードバックのシステムがある

 


私たちの五感をなるべく喜ばせてあげられるような演出レベルを、ぜひ自宅でも目指してみてください。

 

 

 私が目標にしているのは、まさしくネットサーフィンをやるような気軽さと楽しさで、オンライントレーニングを行っていくことです。

 

 

オンラインで好きな時間に好きなトレーニングを好きな量だけ行えるというのは、本当に強烈な体験です。