「それがなくても幸せ」という境地に 「大した結果もないうちから」「先に」幸せになってみる。 幸せになる「覚悟」

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『学校』
自分にとっては窮屈すぎた。 認められる価値観は狭い。 その中に押し込まれる。 こーゆーとこだと思ってる ↓ 子ども達をずらーっと集めて、「皆さん、このSサイズのTシャツを着れるようにガンバって下さいね」 このちっさいTシャツを着れる子は、出来る子でいい子。 見渡すと、大きい子、小さい子、細い太い、高い低い、みんなそれぞれ。 「僕は全然着れない。人としてダメなのかもしれない…」と体格のいい子。 細身で長身な子が、 「〇〇ちゃんはがんばって着てるのに、私は着れない…」 (〇〇ちゃんは中肉中背) ぼく(ニート) 「サ、サイズが合ってないだけでは?」 「体格に合う、M~L用意すればいいだけじゃないの?」 大人な人 「すぐそうやって学校や教育制度のせいにしたい気持ちはわかる」 「学校はSサイズのTシャツ着るためにあるんだ」 「最初は誰だって難しい。だけど、毎日少しずつ、SサイズのTシャツを着れるように努力すれば、生地が伸びて着れるようになるかもしれないだろ?」 うーん、変なトコだ(-_-) ちなみに『SサイズTシャツ』は、[従順、みんな仲良く、自分を出さない、記憶力、計算得意、運動できる、などなど] 大人になれば、[仕事出来ない、稼げない、時間守れない、とかとか] そんな学校や社会の言う事を真に受けて、サイズの合わないTシャツを着れない自分を責めて、パニックになり体調を崩し、ニートをしています。 (T^T)しくしく だから、(合わない子が)学校行きたくないのは、おかしい事じゃなく、ふつうで当たり前な事に感じます。 後、それぞれの好みや資質に合わせた教育をするようになったら、今のこの特殊な経験は出来なくなる、とは思う。

 

 

 


何もしないって怖いと思ってた。 動いてないと、生産性ない時間とかもったいなくない?って意識高い系のフリしてて。自己犠牲とか我慢、努力してればいつか報われるって思ってたけど、どんどん辛くなってた。 このままの私じゃ愛されないし、何にもしないで幸せになっちゃったら努力してきた私の価値ってなに?って抗ってた。 もう、やめる!頑張るのも、努力して幸せになる事を抗うのもやめる! そのままの私でいる事を許して、幸せになる♡

 

 

 

楽に生きて お金使い放題使っちゃって 好きな事だけして したくないこと全部やめて 幸せになるって どうよ! って思っていた。 我慢して努力して 忙しく働いて 自分よりも他人を優先 そんな人が素晴らしい人だって なんか全部全部間違えて覚えてきたみたい。 幸せになればいいだけなのに それが なかなか半端なく勇気がいるわ。 しあわせになりたい やりたいことだけして お金沢山いただいて 自由に楽しく生きていきたい! ほんとにほんとに そうなりたい!

 

 

 

夢が叶うというのは、幸せのおまけでしかないよ。
 
 

「それがなくても幸せ」という境地に
「大した結果もないうちから」「先に」幸せになってみる。
幸せになる「覚悟」
 
 

夢なんて叶えなくても、私は
すでに多くを手に入れているし
すでに愛されているし
すでに認められているし
すでに尊敬されている。
つまり、すでに私は幸せで安心なんだ。

 

 

 

 

自分にとことん優しく 嫌なことはやらないで お嬢力を発揮したところ 前者がんばる教の夫 周りの5倍働いていた人が 今は給料泥棒。 こんな楽で楽しい生き方があるんですね。 この事がわかって本当によかったです。

 

 


「自分を認める」方法なんて
実は簡単で。

 
「わたし、ダメでバカで出来なくて冷たくて  面白くないやつなんです、わははは」


と笑い...
 
「わたし、素晴らしくて魅力的なんです、わははは」

と笑う。
 
それずっとやってたらいいだけ。

 

 

 

これもうまかった。食べたら運動しなくちゃね

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オーザック好きなんだよなぁ