今の努力をやめてみることが、今やっていることだけを楽しむことが 次のステージへの切符なのかもしれません

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これは問題にしなくていいんだ
今、十分、ある
そう思えないものを思ってみる、そうしてみる。
そして、その前提で行動する、その前提で引き算する。
今の努力をやめてみることが、今やっていることだけを楽しむことが
次のステージへの切符なのかもしれません

 

 

 

子どもも正直だよね
子どもと関わる仕事してるけど、身なりには気をつかってる
ケバくない程度にメイクもするし、動きにくくない程度におしゃれもする
反応が違うんだよね
男子だけじゃない、女子からの反応も違う
顔立ちだけでなく、人から良く見られたいならやはり身綺麗にしておくべき

 

 

 


私も逆してます。
楽しいこと、
やりたいこと、
楽なことばかり。

でも、決して堕落的とか、
だらしないではないです。
(まあ、かなりだらしない時もあるけど。)
たのしー。
そして、自分の内側に応えて
生きるって、
凄く知性的で、
洗練された生き方ではないのかと
おもいます。


今までは
とにかく体をやすめたい、
のんびりしたい、
いたわりたいが強かったよ。
家で気が済むまでのんびりしてた。

昼寝したり、
だらだらしたり、
かじさぼったり。
お菓子たべたり。

今は、その段階を越して
楽しみたい、
遊びたい、
人とつながりたいがでてきたよ。

どんどん楽に、
自然に、
沢山豊かさを受け取って、
愛に包まれて、
ゆるーく、
笑って
生きていくよ。

 

 

 

今思うと自分自身に興味を持ち始めてから、旦那の考え方や興味のあるものに注目するようになりました

 

 

 

うちもー
全然話聞いてくれないし、嬉しいこといっても一緒に喜んでくれないし、悲しいこといっても一緒に悲しんでくれないし、なんにも共有してくれない

毎日悲しくて寂しかった

でも逆もそうで、わたしも相手の喜びも悲しみも共有してないからなーと。

お互い相手に関心がないんですよね。

自分がよければいいわけですよ。

だから寂しいんだなーと思うわけです。

結婚式の定番の誓いの言葉とか、笑っちゃえ。

やめるときもすこやかなるときも

喜びも悲しみも分かち合うみたいなやつ

だって面倒だし。
てゆうか、意識しなくても、言葉にならなくても、たぶんもう、そこに存在してるだけで、共有されてるんだろうなと。

めちゃくちゃ省エネですね笑

 

 


私は、今までたぶんずっと、
「断るときはちゃんとした理由がいる。」
と思ってた気がします。
感覚や直感で、「なんか嫌だな」「べつに行きたくないな」と思っても
予定がなくて、いこうと思えば行ける状況だと
「ちゃんとした断る理由ないし、時間もあるし、断るのは私がのりが悪いとか、私の性格が悪いからじゃないか」と思ってました。
でも
時間もあるけどなんか乗り気じゃない、でも断る理由でいいんだと最近気付いたんです。

もっと、自分の気持ちを受け止めてあげようと思いましたー!

でも相手を傷つけずに、上手に断るのがうまい人って羨ましい。と思ってしまうんですよね。

 

 


「自分が行動しないと、叶うものも叶わない」
「カフェに行って注文しないで待ってるのと同じ」

そうだなーと思って、
これでもか!ってくらい
自分の気持ちや要求を叫び続けた。
がむしゃらに行動してみた!

でも、ふと
「お姫様になってもいいか~…」
と思った。

ぜんぶ向こうからやってくる。

豪華なお城も
白馬に乗った王子様も
美味しいお料理も
素敵なドレス(仕立て屋)も
舞踏会の招待も

ぜんぶ向こうからやってくる。

向こうから「ぜひあなたに!」と持ってくる/やってくる。

そんなんでもいいんだ~。
ただ、ぜんぶ受け取らなくていいだけで。

「好意だから/私は恵まれてるんだから、受け取らなきゃ…」なんて思わず、好き嫌いどころか気分次第で断ってもいい。

 

 


従業員にとって、「自分の好きなことに使える時間が必ずとれること」そして、「会社が必ずそれを認めてくれること」は、日々の暮らしを成り立たせる、とても価値ある安心材料なのです。