愛は理論を越える。理性を越える。愛は究極のエコヒイキである。

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彼女いない歴=年齢を更新中の童貞男と、女性経験のある男の大きな違い。 | 変態紳士 白嘉の価値観 | 小説投稿サイトのアルファポリス

 

 


放っておいたら,先延ばしにしていたら心が歳をとるのだ.一生で得られる幸せを最大化するには幸せを一番感じられるときに,幸せを感じる必要があり,そして心自体も老いないようにしなければならないのだ.諦めさえしなければ青春は続くし,後悔からくるこじらせたような歳のとり方をしてはいけない.

 

 

 

 

 

思うに、愛は究極のエコヒイキである。世界中の誰が何といおうとも、自分の奥さんは世界で最高の美女であり、最高の妻であり、最高の母(子供にとって)であると言うこと。宣言すること。それがとても大事だ。と結城は思っている。誰からどんなふうに言われてもかまわない。私の家族は世界最高。

 

 

 


愛は理論を越える。理性を越える。愛は究極のエコヒイキである。私はそれを心から信じている。三浦綾子さんだったかな。夫が泥棒するなら、妻は見張りをする。みたいなこと書いてたの。それは極端だけれど。私は夫婦としてアリだと思う。

 

 

 

自分が(少なくともこの世で)使える時間には限りがあるのです。貴重な貴重な「時間」です。その一部を他人のために使う。これは大いなる愛だと結城は思う。あるときにはその「時間」は「お金」に換算される。別のときには「時間」は「細やかな配慮」に換算される。いずれにせよ「命」の形である。

 

 

 

 

このツイートを読んでいる若い未婚の方々も多いと思うけれど、結城は「プロポーズ」というのは「命を相手に捧げること」だと思っている。少なくとも、それはキリスト教的には真である。愛は命を相手に与えること。そして深い真実の恋愛をしている人は実感としてそれを感じるはず。

 

 

 

 

愛は、性愛の話(だけ)ではなく、命の問題なのだ。人はみな、一人にひとつずつ命が与えられている。この世では限りあるものだけれど、本人には大切な命である。結婚なりプロポーズなりというのは、その命を「あなたの好きにしてもかまわないと宣言すること」だと思っている。

 

 

 


そこには信頼があるだろう。見識も必要かもしれない。失敗や危険性もたくさんある。そこには「賭け」の要素もある。未来は誰も知らない。自分がプロポーズしている相手が将来どんな人になるかは世界の誰もしらない。保証できない。でも、私は「この相手に賭ける」と思う。それがプロポーズである。

 

 

 

 

話を戻す。愛は究極のエコヒイキである。理論も吹っ飛ばす。理屈も吹っ飛ばす。私は、とにかく、この人を愛する。愛したい。そしてこの人に賭ける。自分の命が掛け金になってもかまわない。それが本当の愛の姿である、と結城は思う。少なくとも私はそう思って、彼女にプロポーズした。

 

 

 


各個人の信仰に対する「責任」は誰も取ってくれない。「私がこんな目にあったのはこんなことを信じていたからだ!」と訴えても誰も取り合わない。自己責任の重み。仏教かどうか、キリスト教かどうか、という個別の宗教に限らず「自分は何を礎(いしずえ)として生きているか」を自覚することは大事。

 

 

 


時間は限られている。自分の能力も限られている。とすれば、選択が必要なのだ。選び、である。そこで優先順位が必要になってくる。優先順位?そう、それが信仰に他ならない。

 

 

 


「心が歳をとる感覚」は、簡単に「物事全般に興味を失っていく感覚」と言えるかもしれない。歳をとって身体が動かなくなるのと同じように、心が動かなくなるのだ。しかも、自分では「あれもこれもわかっているから」と勘違いしているかもしれない。あるいはすっぱいぶどうのように考えたり。こわいな。

 

 

 

楽に生きる方法の一つは、流行りものを一切無視すること。服や音楽に食べ物。流行りとはたくさんの人が好きだというだけであって、別に自分が好きだという物ではないのだから、追うだけで時間の無駄である。ワシはどんなにバカにされても、自分の好きな服しか着ないし、好きな音楽しか聞かない

 

 

 


いろいろ手を出してみて、その中から結果、心からやりたい、人生の貴重な時間をかけるに価するコトを見つけたのなら、その他のことは惰性で続けることなくスッパリ切った方がいい。そこまでマルチタスクに動けないし、軸がぶれる。

 

 

 

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