上品は下品(ゲス)に負ける。
 努力はエコ贔屓(他力)に簡単に負ける。

ずっとDVする人って怖い、おかしいって思ってた。でも今の彼と出会って感情ぶつけたり、殴ったり叩いたりするようになった。こういう気持ちで人は暴力ふるったりするんだなって思ったらそんなに怖いことじゃないかもって思った。だって私が彼にぶつかる時は自分を見てほしい時、かまってほしいときだから…。子供と一緒、好きな子に嫌がらせしちゃう男の子の気持ちみたいな感じっていうのかな?だから世の中ってそんなに悪意だらけじゃない気がした。

f:id:rockmanlife123:20181220080524j:image

 

 


何故か娘には大らかでいられて。 なんだろう、この子の責任は引き受ける、って、どこかで覚悟してるからなのかな? こないだ中学生の娘が、3時間目でお腹が鳴るのが恥ずかしいからと、「学校に飴を持って行く」と言いだしました。もちろん校則違反。 どうやって持ってくの?と聞くと、 「ポケットに忍ばせて」 「トイレでこっそり食べる」 「あ、でも包み紙がカサカサするから、なるべく音がしないのを」 「飴は時間がかかるからタブレットにしようかな」 なーんて色々と作戦を練っている。 それが可愛くて可笑しくて、ニヤニヤしながら聞いてたら、 「ねぇ、普通、止めるよね?(笑)」 って。おい(笑) 「だって止めても持ってくんやろ?いーよ、自分で考えてそれが良いと思ったんなら。 けど、もし見つかって学校に呼び出されたら、お母さんは『まぁ、何てことを!先生に謝りなさい!』って言うからねー」 って言うと笑ってました。 で、結局あれやこれや考えて翌日ドキドキしながら持って行ってみたら、何のことはない、休み時間に友達から飴を差し出されて「食べるー?」と言われたらしく、一気に気が抜けたらしい(笑) それから娘は何も持って行っていないようです。理由は知りません(笑) 覚悟を決めるって、言葉にすると重いけど、行動は軽いんだなと思います。責任を取るって決めてると、人のすることを笑って見ていられる。 仕事なんかでも、娘の責任を取るくらいの気持ちで臨んでみよう。怖いけど(笑)

 

 

 

 

自分は素晴らしい
自分は愛されている
自分は豊かである
自分は既に健康である
 
自分は今すでに、幸せである。
 
「ことにしよう」
 
それだけで
人生は変わる、
 

 

 

 

余裕が生まれると 問題を作って努力に逃げてしまいます。 空っぽのままほっとこう…

 

 

 

最近常々思うのは、 『上品は下品(ゲス)に負ける。  努力はエコ贔屓(他力)に簡単に負ける。』 ってこと。 いいか悪いかは別にして、誰かに認められようと 承認を得る為の努力や行為は、往々にして残念な 結果になりますね。 随分悔しい思いをして来ました。 でも、その前提(在り方)が間違っていたんですね。

 


「歳をとって、よく人間が枯れるなどといい、それが尊いようにいわれるが、私はそういう道はとらない。それは間違っているとさえ思う。あくまでも貪欲にして自由に、そして奔放に、この世をむさぼって生きていたい。仕事をする以外に私の枯れようなんてないんだな。」

 

 

 

 

わたしは
逆?なのかなと思いました。 じんさんの言ってること実施したらどんどん楽になって、 どんどん楽になって、今はルールが何もない。 まるで宇宙の中にいるみたい。 何もない。 なんかやってみるって、何をやれば? 好きなことはその都度やってる。楽しい。 でもそうしてる自分を上から見おろしてる気分でもある。 楽しいけど人生が充実してるわけじゃない。 けど充実させたいわけでもない? 多分自分にはルールが何もない。 最初は問題があって悩んでたけど、自分で可能な限り人生を変えられることを知って、 大きな問題が少なくなり、ただ悩みたいだけの人間になってしまった気がします。 それも何が問題なのかもよく分からなくなるぐらい、だだっ広いです。 ぐるぐるです。 結局、剥いても剥いてもまだあるたまねぎみたいに、 人生ってものがそういう仕組みなのかも? 逆って言ったが結局みんなと同じかも。

 

 

 


大した変化はないというすばらしい変化
なんでもよくてなぜだか仁さんに言いたくて

 

季節の移り変わりを感じるようになりました。夏が秋に変わっていく感じ、冬の寒さをうれしいとなぜだか思うようになりました。

秋はとても色とりどりで、とてもまぶしい。

冬は光が突き刺すようで、今までもそんな風に感じてはいたのだろうけど、

秋は切なくて、冬は終わりでもの悲しいというのが大きかった。

 

冬の光がとてもクリアに感じられるのは、たぶん夏のように地上が太陽の熱を反射することで空気を揺らがすことがないからかもしれないなぁ。

風がふくと、夏のように葉っぱの音がほとんどなくて。 だからとてもしずかで。

でも川の流れる音とかして。 この“自然”だとか呼んでる“なにか”の四季の移り変わり。

これずっとあったんです。ずっとずっとあったんです。

それにオレはなにもしてない。

自然がそうする“ため”に、オレなにもしてない。

なんだけど、そんなものすごい変化がどの葉っぱにも草にも木にも、自然に起きてる。

もちろん、それが“変化してる”と思えるこの脳だかなんだかしらないけど、

すごい“なにか” 人生は大したことない。

“今”も大したことない。

オレも大したことない。

すばらしいものがまるで大したことないように、簡単に冬になって、春になって

“ここ”はそんなとてもとてもすばらしいものが大したことないく見えるくらいにたくさんたくさんある場所なんですね。

 

どれだけやっても虚しいなんて、なんてすばらしいことなんだろう。

自分がちっぽけで大したことないなんて、なんてすばらしいことなんだろう。

自分を限りなく0にして、自然に変化していく“あなた”の美しさをただただ見ていたい。

明日は今日よりももっとすばらしいものがくる。

それだけでとてもワクワクする。

幸せでいいんだよ とあなたに教えてもらって(ほんとはオレがそう仕組んだんだろうけど 笑) なんだかここまで来たよってうれしさを伝えたいのかな

 

 

 

自分に必要な人を探し辿り着くのが人生なら、ネットの世界も同じことだと思います。自分に必要な意見や、情報に辿り着くことが大事だと思います。それは、その人の人生をより良くするものであるはずです。