狂狂狂

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夜の出航

 

先入観という決め付けの世界から
偏見という偏りの世界から

飛び出すことが
「真実」をしることになるから。

 

知る → やる → 知る → 変わる


これが「変化」であり「進化」です。

 

試行錯誤と
失敗と成功と
感情を伴いながら

自分を知り(気づき
「考え方」が変わり、

自分の変化と進化を
止めずにいくのでしょう。


それが
「自分らしくなっていく」ということ。

 

先に自分の「あり方」を

「自分はどんな状態でも素晴らしく、愛されている」に
変えてしまう、そういう「こと/前提」にしてしまう、
という秘密の方法なのですヽ(´▽`)/

 

「だからこそ、できること」

そして

「いましか、できないこと」
もあるはずです。

 


人生が転換するときのひとつのキーワードは
「もうだめだ」と絶望した時です。

 

夢をかなえるのは

イメージ「する」のではなくて
イメージ「しているもの」が叶うのだと。


かなう夢は
「いつもイメージしてしまうもの」
「馬鹿げてると思いつつも、想像してしまっているもの」

 

「勝手に浮かんでくるもの」

 

「実はお前はもっとひどい奴なんだよ」
「実はお前はもっと素晴らしいところもあるんだよ」


ダメなやつ、大嫌いなやつを
師匠として、自分を知って行こう、
そして、その人と同じことをやってみよう。

 

チャンスは
毎瞬、来ているんだ。

それを
「いつもの自分」に逃げ込むのか
「チャレンジ」したり
「無茶したり」

できるのか、
やるのか、

それだけで
人生は簡単に
変わるのです。

 


「わたしは、こう思う」
「だから、こうする」

 

自分の人生(ドラマ)を自分で動かせる感覚が大きくなっていくほど(主人公)に、死を意識し始めるのよね。
 
 
 
逆に、
 
 
 
死を意識し始めるほどに、自分の人生(ドラマ)を自分で動かせる感覚が大きくなっていく(主人公)のね。
 


死を意識するような出来事にであうと、
自分の人生を生きるようになる。
 

 

「自分にとって、安全で、苦しくなくて、努力も我慢もせずに今のままの場所で楽にやれる範囲のチャレンジで変われないかな」
それは無理よ笑

 

どんどん
新しいことをしてみよう

どんどん
チャレンジしてみよう

どんどん
恥をかいてみよう

どんどん
痛い目をしてみよう。


そんなことを怖がるよりも

「やってみたい」と思った
その気持ちを大事にしてね。

 


「進化=変」

ということです。


そう「変な人になる」

ということ。

それが
「自分らしく」ということ。

 

自分に対してダメ出ししてる部分を癒し、
自分の凄い部分を受け入れ認めて行く。

 

全てを捨てて
産まれ直す、

自分本来の姿
自分本来の生き方に

産まれ直す。

 


いままで自分にこびりついていた、
そして、よいと信じてつけ足してきた
そういったものや、

小さなころから
身に沁みついた

親の価値観
世間の価値観
正しさ
常識
自分の決めた限界
自分の決めた劣等感や
欠乏感や罪悪感
誰かの期待

誰かを助けたい
誰かに喜ばれたい
誰かの役に立ちたい
という思いさえ削ぎ落したとき、
自分の「本来の才能」は開花する。


「使命感」や
「誰かのため」の裏側には

強烈な「劣等感」
強烈な「罪悪感」

がこびりついていることがあるのです。

 


テンションの上がらないもの
実はやりたくないもの
頭で考えたもの

をやめる。

やった方がいいもの
やらないといけないもの も
やめる。

これってすごく勇気がいる。

損もするし
人に迷惑もかけるし
常識から外れることもある。

究極のわがまま坊主ですわ。

 


ほんとは、みんな
一つのことしかできなくてもいいのかもしれない

ほんとは、みんな
変態・変わりモノでいいのかもしれない

 

今までの常識、
正しいと信じてきたこと

大半が間違っています。

その最たるものが
「自分は嫌われる存在」
「自分はダメなやつ」

というものです。

常識でうまくいかない時は
非常識で行こう!

 

 

人生は

自分がゴミだと思って捨ててきた、自分の一部と
忘れてきた自分の素晴らしい宝探しをしながら

自分というひとを
完成させていくという
楽しい遊びなんだなぁ、と思う。

 


だって、
結局は

自分が変わるという「決断」
今までのものを捨てる「勇気」
リスクをとる「覚悟」

ダメな自分を信じる
という「チャレンジ」

がないと
なんもかわらんでな。

 

 

自分の弱さや
自分の出来なさを

認めたうえで
楽しんで頑張る

笑顔をエネルギーにした
「夢中」

 

こんな自分でも
あんな自分でも

どうせ、愛されてるし
どうせ、愛されてきたし。


そう
つぶやいてみるだけで
自分の周りの世界が変わる。

 

自信を持つことに対する
「常識」が邪魔をする世間、

そのことによって
みんなが自分に自信を持つことを恥じたり
傲慢だと言ったり、バカにしたり

そういう風潮が変わればいいなと思います。

 


ダメダメな自分
いまいちな自分だけど

それでもなお
「自分は素晴らしいらしい」と
信じてみる。

だったそれだけで
人生は変わる。

 

自分の持っているものを
世の中に広める「仕組み」がビジネス。

そのビジネスが回り出したとき
「お金という豊かさを受け取る楽しさ」
「お金という豊かさを、出す楽しさ、喜び」

それが回り始めます。

 


自分が
そこに向かう

みちしるべとして
灯台として

「すごい」
「うらやましい」
「あこがれ」
「ああなりたい」

を使えばいい。


そして
「自分にもその可能性がある」
「自分にもその資格がある」

そう、思うだけでいい。

 

あなたが、
そんな自分を否定して

あきらめて
全力で抑えつけない限り

あなたが
そうなることは

決まっているのだから。

 

 


勇気を出した人を
神様は絶対に困らせない。
あなたには
あなたのやり方があり、

あなたの人生の主役は
あなたなのだから。

誰かに育てられたり
誰かを育てたりしなくていい。

 

 

自分がやりたいこと
自分が伝えたいことを

一方的に伝え


自分の都合を
最優先し

自分の興味と
テンションを最優先し

 

カリキュラムを減らし
遊びたいところに遊びに行き

自分の歌を歌ってみたり
字を書いてみたり


それでも
良いって人だけが
来てくれた。

 

『これが現実なんです』

って、実は

『私は、自分の人生の責任を自分で取ることを諦めているんです』

『私は、不幸なこと、支配されることばかり考えて生きているんで
す』

つまり

『私は、親の言いつけだけを守って生きていくのです』
...
という宣言をしているようなものです。

 


宗教って、そもそも
生き方であり、哲学だと思うのです。

如何に生きるのか
如何に「ある」のか

僕は大好きです。

 

「わたしは」どうしたいのか
「わたしは」どうするのか

与えられた環境の中で
与えられた境遇の中で

「わたしは」どうするのか。


夢中にやっていると
役に立とうとしなくても
誰かを喜ばせなくても

勝手に人は
喜び
巻き込まれ

一緒に幸せになっていくから。
---
誰かに
認めさせるためにがんばっても
誰も認めない、ダレも幸せになれない。

 


毎日やったから

それだけなんだ。


ただ
それだけ。

 

 

 

ある時から


腹をくくった。

 

人に迷惑をかけて

わがままで

正しくないことをし

ふまじめに

頼りなくて


傲慢に

贔屓して

無駄遣いして

好き嫌いで生きる


感情的に

泣いて、怒って、

そして笑って


ひどいことも言う。