「わたし、もう、自分責めんの、やーめた」

その
「落としてきた自分」を
「ひろって戻っていく」のが

「ほっとく」なのです。


頭を
洗い直しです。

 

1. 自分は楽をするのだと決める
2. それを悪いことだと思うのをやめる
3. それを、夫にきちんと伝える
4. 伝えたら、粛々と(時にはゲリラ的に)実行する

 

 

「大人」って「生きる」って、楽しいんだよ、

って教える仕事なのかもなと思うのです。

 

「役割」に追い立てられて
「人間」を忘れてきてしまう。

 

人間を忘れたら
自分の「魅力」もなくしてしまう。


そしたら
ひとは離れていきます。

 

そんなに
「立派ぶらなくていい」

 


会社」を辞める決断より先に
「いいひと」をやめんかーい。

 

 

自分を責めるのが好きだから
責める罪状がいるわけよ。

病気になってみたり
学校やめてみたり
家にしかおれんようにしてみたり


「世間」では
それはダメだといわれるようなことを
「わざわざ」やらかして

「よし、これでまた自分を責められるぞ」と
にんまりする。

 


なんでもしていいんや、なんでも楽しんでいいんや、って嬉しいんです。

 


「好きなことだけしていいなんて、みんながそんなこと言い出したら、世の中むちゃくちゃになりますよ」

なんて、
筋違いもいいところです。


そんなことのできる度胸のある人、
素直で、自分に正直に生きる人が
世の中に増えたら


むちゃくちゃいい世の中になりますよ。

 

じゃ、それを
もっと大きくしてもいいんじゃないか?


「自分は素晴らしい」という前提

「自分は愛されている」という前提も


できるんじゃないか?


幸せの先取り。


自分がもう、
ずっと何十年も

同じ額の幸せ、
同じ量の愛情、

になるとしたら


先にそれを先取りして
行動してしまえ。

後で分割して
幸せを払えばいいんだ。

 

「わたし、もう、自分責めんの、やーめた」

 


努力と苦労をしなくなって
楽と遊びと楽しむことをし始めてから
突然世界が変わったのです。

 


「その考えが自分を苦しめている」
「その“正しさ”が自分を追い込んでいる」
「その“正しさ”が“正しくない人”を呼び込んでいる」

 


自分の能力や才能、魅力や優しさは
「努力や苦労で身につけて」いくものではなく
...

「もともと持っているもの」
「持っているのに気付いていないもの」
「持っていないのに使っていないもの」

を、

勇気を出して緩めて楽しんで
開いて発見していくものだ。

これが「開発」

 


簡単に言うと

「信じて頑張ったのに報われないという思考ぐせ」

をやめん限り、


どんな素晴らしい方法を試してみて
どんなにがんばってみても

絶対に報われないんじゃよ。。。

 


遊ばないといけないこと
心のままに、楽しいと思うことをしないといけないこと


「しないといけないこと」っていう表現が
いまの私の気持ちなので、そうかきます。


そうしないと、私の心が死ぬんだ。

 

楽しくないことで、人生の時間をけずっちゃいかん。
それは、私の心が生きるか死ぬかの(死んだように生きるかの)
瀬戸際の、切実な、大事なことなんだ。


しかも、解決方法は、
嫌なことをやらないでいい、
好きなこと、楽しいこと、心が楽になる方にいけばいいという(笑)

 


こじらせてるひととか、自分で自分のことを
非モテとか、おっさんとか言うひとって

今からダメな私を見せますが受け入れてくれますかギア

を入れちゃうんです。

何とも思わない、どちらかというと好きじゃないひとには
こんなギアはいれません。

だから自然なんです。

 

あのね

「わたしは、もう、苦労好き、やめる。」

「わたしは、もう、人に頼って、怠けて、ひらひらと幸せになる」

自分で決めるだけで

環境なんていくらでも変わるんですよ。

 


自分の中に、全部ありましたわ。

今もまだ不安定なところはありますが、
まだまだこんなもんちゃうぞ、全然いけるぞ、って気してるし。

根拠ないんですけどね。

 

あれがない
これかない

と言っている間に


早く
やっちゃいましょう(*'▽')


きになってたこと。

 

自分本来のチカラを引き出すには
自分の本来の性質を知る必要があり、

「あるのに気付かず使っていない」自分を
知って使うだけで「チカラ」は必要がない。

 


「力を抜いてみる」
「手を抜いてみる」
「正しいと思ってきたことをやめてみる」