心踊ればみな同じ〜♫

どんどん緩んで、自分のままでいることに安心できるようになったら、次は、好きなことや、やりたいことにどんどんチャレンジしていって欲しい。

それも、自分自身を出していくことだから。
遠慮せずに、自分のすばらしいところを表現していくことを思いっきりがんばってくれ。
 

 

①新しいことには一応首を突っ込んでおく、無料のサービスは一応使ってみる
②全力でヒマを作る
③いやなこと、向いていないことはやめる
④いつでも仕事をやめられて、いつでも新しいことを始められるように貯金はしておく。

 

 

他人は自分の人生に責任なんか取ってくれないから好き勝手言うてくるし、だから別に今の自分で良いや\(^-^)/って開き直ってなんだかんだ楽しいです。周りからみたら寂しい奴って思われてるかもやけど、はいはい寂しい寂しい、言いたい様に言ってくださーいバカにしてくださーいって感じになってます笑

 

 

自分の為に生きる
周りから避難されてもやりたくないことはやらない
大人になったらこっちの物
わたしの主導権はもう誰にも渡さない
そうする事で物事がスムーズに進むようになったよ

 


何でもない日常に耐えきれない人は多い。
だからsnsで加工した人生をアップするんでしょう。
無駄なことや余白って発狂防止のために必要だわ。

 


ある程度の年齢過ぎてから生まれて来てしまったから、死ぬまで生きていようと言う感じで人生どうこうとか思わなくなりました。
 


今考えてる自分というイメージも、そこから生まれた考え方も、気の遠くなるような思いも、ウソじゃないんだけど、”自分”という大きな世界の、ほんの一部にすぎないんだっていうこと、知ってほしい。

 


あと、書きこんでる人自分を大切にして。自分のことゴミみたいに扱ってたら他人からもそう扱われるから。
宝石のように大事に扱うと他の人にもそう扱われる。
世間体は気にする必要はないよ、意味ない。
人と比べるのを辞めたら少しだけ世界は変わってくる。

 


疲れたら休んでまた、頑張る。それの繰り返し。
それから別に頑張らなくても大抵はうまくいく、肩の力を抜く。

 

なんでだろうね。何かすごく大事なもの無くしてるような気がして焦るんだよね。もっと自分を好きになりたい。変な意味でなく、もっと馬鹿になれたらいいんだろうね。

 


あなたは間違っているから直してあげましょう」というエネルギーが乗っかった言葉を受け取ると、人は自分を守る為に防御の姿勢に入ってしまう。また、他人を「正そう、直そう」とする人は、自分の人生から目を逸らすために、他人の領域に首を突っ込んでないか見直すこと。

 


夢と言うと大げさですが、「こうなったらいいなぁ~」と素直に感じられること。その瞬間に不安や絶望がまとわりつくことなく、ホワワワワ~ンと頭の周りにお花を浮かべられる人は幸せ。

 


色んなことを許せるように成長したら
何かが変わるんじゃないですかね?

 

まぁ、わたしも似たような気持ちに
なったことあるし、


なぜか独身貫いてしまってるけど、
ラクリというか仕組みが
なんとなく分かってきたから、


今は独身という自由を目一杯楽しんでます。
楽しむ自由が「あった」から。

 

もうなんていうか、余裕みたいなものがほしい。休みや遊び。気楽に気負わず日常をすごしていきたい。がんばるとか、精一杯とか俺はもういいかな。そういうのはもっと若い人がやればいいと思う。

 

 

もっと意地悪な人間になって見れば?
生きずらいのは周りに気使いし過ぎる証拠だと思う
死ぬ前に思いっきり図々しく生きてみれば?
喧嘩売る事無いけど無愛想だっていい

 


人間も100年後にはほぼ皆いないし、自分の財力、体力、判断で、なんでも動けるのはそう長くない。 
いつかやろうと先延ばししていることは、やっていかないとできなくなると最近思うようになった。 
趣味も、やりたいことも、見たいこと、アルバムの整理も。 
整理どころか見返す時間も減っていってるんだなと

 


簡単なこった。
他人なんかど────でもいいんだ。
他の誰が何をしてようとどうであろうと知ったこっちゃない。
自分さえいればいい。自分だけいればいい。自分がよければそれでいい。
ただひたすらに自分、自分、自分。
それを極限まで突き詰めるだけだ。
簡単だろ?

 

よし、失敗してやろう。ダメになってやろうと覚悟を決める。うまくやろうとするからダメなんだ。成功するためではなく
「うし、失敗してやろう。ダメになってやろう」と覚悟を決めれば
不思議な力が湧いてくる。

 

「絶対、やっちゃいけないと思っていたことを、片っ端からやってみましたよ。
 そうしたら、気がついたんです。私、我慢していたことを。
 自己犠牲の上に成り立っていたんです。社会貢献が・・・・」
 

 


そうやって、ずっと自分と向き合ってこなかった。
そうやって、ずっと自分をそっちのけにしてきた、
そうやって、ずっと自分が自分を構ってあげてこなかった、
そうやって、ずっと、気にもとめず、気にもかけず、お構いなしで
他人のふりをして、自分のことなのに・・・
いつか誰かが、いつか誰かに、って誰か任せにして自分を放棄してきたみたいな・・・

 


たくさんの未消化の「やりたい」があったんだな~って思います。
自分でも意識していない、本当の本当の奥の方に・・・

 


本当はねすごく私・・・ズボラなのにね、
それをずっと隠していました。
 
 
ズボラだったから・・・
逆に、ちゃんとしなくちゃいけないって思っていたんです。
だから、社会のルール、常識、周りの人たちの目、
そんなことを物差しにして、
自分を見張り、周りを見張り、家族を見張り、
笑われないように、
恥ずかしくないように、
目立たないようにして生きてきました。

 

存在しちゃいけないのに、存在しているから「責められる」
存在しちゃいけないのに、存在するためには「ルールを守る」
存在しちゃいけないのに、存在してもいいって言われたいから、「他人の評価」
(自分の意志では決定できない)
存在しちゃいけない私は、必要ない人間、役に立たない人間、嫌われる人間・・・
 


まずは・・・「ブレーキを外せばいいだけです

 

それには、「自分責め」とか「自分をこの程度」とか
自分をそこそこに扱うというブレーキをはずすことが
いちばん最初にやって欲しいことです。

 


子供の頃夢中になってやっていたこと、
もしかして、今、それにワクワクしないかもしれないけど、
なんか、恥ずかしかったり、バカみたいって思っていることに
ヒントがあるのかも?

 

だから、私は・・・これからも、ここで勝手に踊ってます(笑)
だって、それにつられて気がついたら、
周りで踊っている人がいるんだもん(笑)

 

楽しく人生を送りたいのなら、
楽しそうなところに行くのがいちばん手っ取り早い。
 
 
今の自分を変えたいのなら、
今の自分が行かなそうなところに行ってみるっていうのもある。

 


そんなことよりも
まずは自分自身が楽しもう、

そうだ、岩戸の前で
いっぱい遊んで、ギター弾いて歌ってればいいんだ、と。
南の島でごろごろしてればいいんだ、と。
美味しいもの食べて、楽しいもの観て、遊んでればいいんだ、と。

思ったのです。

 


わたしね、ただいるだけで なんにもしないで
あれしたい これしたいって 言うだけにしたよ。

 


うん、この世の中は

「してあげる方」が偉くて、立派で
「してもらうほう」が、弱くて、情けなくて

「あげるほう」がえらくて
「もらうほう」が、そのいうことを聞く、

そんな風潮がないかな。
お金もそうよね。

 


「あげる」ひとは
「もらう」ひとがいないと成り立たない。

「もらってあげる」ひとがいないと
「あげる」ひとは、存在できないのです。

 


自分がなんとかしよう、という「自力」が
素晴らしいという価値観があると、

先ほど書いたように
自力でなんとかできない自分はダメ、となってしまう。

 

「迷惑をかける勇気」

これが

自分本来の
「存在給の高さに気付く」

方法なのですよ。


「結果」なんて出さなくても
結果を出してあげようとしなくても

あなたはの存在価値、存在給は
変わらないんです。