1秒前は死んだ。無常の世界でやりたいことはなんだ?

人の役に立たない自分におっけーできる人ってさ、、
人の役にめっちゃ経つよなw 


笑いがほぼ全てを解決すると思っていいわ。笑っときゃどうにかなるとかそんなレベルじゃなくて、、笑ってたら、、どんどん良い方向に進む、笑。

 

 

よっしゃ!諦めよ!うまくいかそうとか、かっこつけようとか、ちゃんとしようとか、尊敬されようとか、やめよ。それよりも結果うんぬん関係なく、ふざけよ、真面目にやるのやめて、楽しも、深刻にならずに面白がろう、どーせ大丈夫、失敗したら、爆笑しよ、間違えたら、踊ろ!!

 

 

 


・失敗しても大丈夫
・負けても大丈夫
・出来なくても大丈夫
・笑われても大丈夫
・惨めでも大丈夫
・凹んでも大丈夫
・嫌われても大丈夫
・貧乏でも大丈夫
・笑えなくても大丈夫
・自分を責めても大丈夫

 


あー、そっか、別に大丈夫かーーwなら、自分の思う通りにやろーー(^^)。

 

 


20代って、思うんだけどさ、
私はなんか残念な感じだったけど(まあ途中で開き直りましたが)、
できれば「何者か」なんてメタ目線で人生を過ごさないで、
対等な目の前の何かに、打算なく取り組んだほうがよいと思う。

 

 

何者かになりたかっただけの人、つまりやること自体は目的ではなく手段だった人ははいろいろと中途半端に年を取るけど、
何かをやりたかった人、つまりやること自体が目的だった人は、それなりに充実していくでしょ。
特に20代で打算なく経験をいろいろした人は、30代から違う気がするよ。なんとなく。
遊び倒しただけでも違うと思う。「将来のため」とか言って自分の欲求犠牲にしてきた人より。

 


好きなことばっかりやってていいのかっていう不安(社会的なあれよね)もあるけどさ、
案外、好きなことに本気になってやったほうがいいような気がしてる、誰もが。
就活であれ婚活であれ打算で何かやる場合には自分がそこに近づいていかなければいけないけれど、
本気で何かやってる人にはそれがどんなことであれ、人や縁が集まってくるしね。

 

 

人間ってさ何かに集中しているとき、自分のこと考えられなくなるでしょ?なぜなら、何かに集中してるってことは、自分を忘れられてるからなんだよ。

 

 

「ただ、生きている」っていう最高の贅沢を楽しまないで、未来が楽しくなるわけないじゃん。「ただ、生きている」っていう最高の贅沢を楽しむってのは「今に集中すること」で、今に集中するためには「今、好きなことするしかないぜ」

 

 


いろんな経験を経て、失敗し、恥をかき、
心が折れて、自分に絶望し、
人生に絶望したんでしょ。
僕もそうですよ。

でもね、そうした苦い経験が、最高の教訓となり、
成長の糧となるとわかったんですよ。
辛い経験をした人ほど、成長出来るんですって。
その財産を活かさないのはあまりにもったいないですよ。

 


ありのままの自分を認めたいなら、まずは自分で自分の体を知って、肯定することから。スピリチュアル宇宙をわざわざ挟まずともそのまま体で感じれます。宇宙なんてやたらマージンをとるでかい仲介業者をいれる必要はこれっぽっちもありません。

 

 


女性に限らず、人間は希望と成功体験があってこそ、前に進むエネルギーを得られる生き物だと思います。望みがずっと叶わない時に自分への信頼を失って不安になって、希望と安心を与えてもらいたいと願うことは自然なこと

 

 


占いは一大産業、「希望・タスク・スケジュールの提示」による「精神の安定」を与えるサービス業であることを忘れてはいけません。占いは不安をつかの間まぎわらしたり共感を得ることはできても「自分の幸せパッケージ」はもらえない

 

 


自分で人生を決めると納得できるし、スッキリ爽やかになります。人生短いんだから、なるべく精神さわやかレモンソルベを目指そう