俺は負けた、生きるために己の価値観を転じるしかない、それは恥ずべきことだが恥ずべき人間として生きる!

こないだの月曜から夜ふかしの桐谷さんを見て、人生楽しんでいるんだなぁ、いいなぁと羨ましくなりました。
もしかして、年齢なんか本当に気にしないで自分のしたい事をしていっても
いいのかなぁ、許されるかなぁと思うようになりました。
なので、とりあえず世間体というものを忘れて、もう一度生きてみます。
 

 


回復してきたところで「俺は負けた、生きるために己の価値観を転じるしかない、それは恥ずべきことだが恥ずべき人間として生きる」というのを呑み込む作業を行いましょう。めっちゃ喉にひっかかるのでゆっくり呑もう。

 

 

やりたいと思えることが一番重要な才能なのに才能論に流されて趣味に手を出さない人は本当にもったいない
一度経験したら未経験の時より上手くできるという単純な話で多くの経験を積めばなんでも上手くなるのに
どう説得しても納得してくれない人が多くて悲しい

 

アイホンXR買いたいなー
色はイエローだな。
イエローとかあるのね
発売日に買いたいなー

今日はコンビニまでチャリで行って、公園で食べた。
とてもいい風が吹いていて
最高に気持ち良かった。確かな満足。

 

何回も言いますけど精神力、体力、その他諸々人によって違うからあの人はもっと大変なんだから僕は私は大丈夫なんてことはないんだよ。あの人が大丈夫で自分は大丈夫じゃないから自分は駄目な人間だってこともないよ。HP赤ゲージになる前に逃げてもいいんだよ。阻む奴はやむを得ないから消せばいい。

 


当たり前を破る
 昨日まで元気だった人が、朝になったら冷たくなっていた。こういう話を聞くと誰もが驚きますが、ほんとうに驚くべきことは、朝になって亡くなっていたことよりも、朝に亡くなっていてもおかしくない私が、今日もいつものように目が覚めたという事実です。

 


何かを手に入れたら、幸せになれる。

これは、もうそろそろ嘘だと気がつくほうがいいよな。

 


結婚への第一歩。あなたが好きなものに「好き」と伝えてあげてください。
特別な「好き」を発見しようとするのではなくて、「このコンビニの店員さんのちょっと肩の力が抜けた対応好きなんだよなぁ」とかから始めてもらって充分なのです。

 


好きなものに「好き」と伝えていくと、本当に不思議な話なのですが、「この人は好きなものを歓迎する人なんだろうな」という雰囲気が勝手に出てきます。

 

結婚って、「私の好きな時間を、願わくば、大好きなあなたとこれから先も共有していきたい」という切実な願いです。

 

 

特別な「好き」ではなくて、身近な「好き」に、「好き」を伝えていくことを忘れないでいてください。

 

 

「人に相談するとき、私たちはどうすべきか指示されたいわけではない。どう考えたらいいかについて、助言を求めているのだ。

こうしたら、ではなくて、考えの死角を照らしてくれる助言、何が自分にとって大切なのかがだんだん見えてくるような助言が一番良い。」

 

自分のクリエイティブを生む環境って、自分で責任を持って手掛けなきゃいけない」

ということ。

クリエイティブってやはり「どこでも良い」というわけではないということ。

 


知の経験を積み重ねてきた人が「まだ完成してはないが、直感段階で食いついている話」にはものすごい刺激が詰まっている。

 


僕が「立派な人」を本能的に恐れるのは、立派な人って、何かの人格に繋がっていく「くだらないモチベーション」を「それは正しくない」と言って潰してしまうことがあるから

 

愛は出し惜しみしない。大切。

 


まーねそうときもあったね、それもあったから自分を晒すこと弱さやダメな所や、情けないところとか、子供時代にはそうときあったし、それもまー人間らしさだよね、見せたくないとか、困らせたくないとか、それはさ好きだからこそだったりもするから、そういうのも関係なく付き合える人って必ず居るし、それが全員である必要もない。強がるのがダメではないから。
その強がりすらも時には魅力だし、なんかさそれも可愛いじゃん。
カッコつけたかったりさ、人なら誰にでも経験あると思うよ。
むしろ堂々と強がればいい。
なんの問題もないでしょ。

 

 

ずーっと強がって生きてきた~
だって「しっかりしないと」って思ってたし言われてきたし、、、
自分が、自分でやる、超得意~

今日も「あなたの立場だったらちゃんとしないと」と言われて、なんだかなーと思った。
いつもの自分だったら、
「気をつけないと」ってぐっとこらえるんだけどね。

だって、わたしだってちゃんと出来ないこともあるよ。
人間だもの!
っていうか、私だもの!!
っていうか、わたし、そーゆー人だもの!!!
って今日は思えた。

ちゃんとしてもいい、
ちゃんとしなくてもいい、

どっちも言えると癒える。
「そんな自分が、自分」って認めてあげる。
気づいて、傷ついてた自分がちょっと癒やされたかな。

 


私は助けてくれる人だと思っていた人に、助けを求める方法を間違えた

私を助けてくれる人に「助けて」が言えるようになった
私を助けてくれる人に出会う事が出来たのです

「助けて」を言えるようになると本当に人生が変わりました

 

 

がんばらない!をぐーっと頑張りすぎてしんどいのは、罪悪感の川の真っ只中にいるからなのか、まだ我慢していることがあるのか気付いてない腑に落ちてないことがあるのかもやもやな毎日ですが、そんな自分でもいい、なんだなーと、少しずつ実践していく日々です。

どこかでぐるりといつもと真逆のことしてみるかな!

 

 

ぢんさんの「大丈夫」は現代の「南無阿弥陀仏」だ!とこの前の法事の席で、お坊さんの話を聞いていて思いました。
通称「大丈夫だの歌」をぢんさんが「お経」みたいなものと言うのも勝手に納得しました。
仏教の場合は阿弥陀如来さんによって既に救いの手を差し伸べられている。私たちは知らなくても。
で、同じように今だってなんか知らんけど私たちは既に「大丈夫」なんだって訳かな~と。

 

今日、ちょっとしたミニバンジーを飛ぶことにしました。
子供の笑顔を守るため、「いい親」を辞めて、
「好きなことやろうぜ」、
「怒られてもラーメン食べようぜ」ということです。(ラーメンよりケーキ派です(^_-)-☆)

私は娘の「成功」より、
娘の「幸せ」を選びたい。
だって、幸せだったらもう成功してるから。

私を信じる。
娘を信じる。
大丈夫。

 

 

何かしんどいなぁ

いつもギリギリ低空飛行で、墜ちないようにして来たけど、墜ちてヘラヘラしてる奴らもいるし。

何も考えてない感が羨ましい。挙げ句パパがいてたり、ヒモだったり。

墜ちてなお、デカイ態度。

そこに行けば笑えるかなと、バカっぽい事やってみても、全く楽しくない、嫌になる。

飛ばない特徴の、24時間思考作動中。

ここに来て、考え過ぎて解らなくなった。

飛部族になりたい。

何でこんなにしんどいだろう。


 

私も 同じでした(笑)

生きるのは闘いなんだ(今 思うと 何と闘うのか?ですが) という前提で生きていたので、重装備。

闘いのアイテム揃ってないと 不安だから(笑)

それは 自分が出来ない、のは ダメ…だと
出来ない子、は 愛されない…と思っていたからでした。

でも、心屋さんのブログをキッカケに楽になり
2年近く掛けて アイテム無くても、失敗しても、大丈夫…と 分かった。

前提変えたら 愛されてる…が 沢山集まってきて
その 愛されてる…ことも 以前は 拗ねてて 受取拒否していたのを

今は 素直に ただ受け取ること が
出来るようになりました。

そんな自分が 嬉しい この頃。

ずーっと発信し続けてくださることに感謝を込めて