人間が仕事に求めているのは、突き詰めて言えば「コミュニケーション」です。ただそれだけです。やったことに対してポジティブなリアクションがあると、どんな労働も愉しくなります。人にとって一番つらいのは自分の行いが何の評価も査定もされないことです。応答が返ってくるなら人間は何でもやります
生き抜こうとしない者には
奇跡なんか起きないと思え
他者が一方的に与える答えが自分の悩みを真に解決することはあり得ないと痛感しています
ダメでも図太く生きる
「自己責任」は「お前を助ける気はないよ」
「甘え」は「お前の立場に立って考えるのがめんどくさい」
「努力不足」は「お前に労力をかけたくない」
「根性が足りない」は「論理的にアドバイス出せないです~~ミャハ」
の言い換えなので真面目に聞く必要ないよ
大好きな友人のように自分を大切にしてください。健康的で美味しいものを食べさせて、気持ちよく過ごせるよう部屋を整え、お風呂や好きな音楽でリラックスさせてあげてください。気持ちを受け止め、話をきいてあげてください。私たちが“本当にやらなければいけないこと”は、こういうことなのです。
逃げ出すことがあっても良い、それが習慣にならなければ。諦めることがあっても良い、それが習慣にならなければ。嘘をつくことがあっても良い、それが習慣にならなければ。「習慣」になるというのは恐ろしいこと。そして、良いことは、どんどん習慣にする。人生の質は、習慣で決まる。(小池一夫)
家を買うから豊かになるんじゃない。家で団欒があるから豊かになる。
車を買うから豊かになるんじゃない。車で誰かと遊びに行けるから豊かになる。
なので、私は「ローンの返済のために一生懸命に働いて、家族と過ごす時間が2時間減る」ぐらいであれば、「所得が減っても家族との時間を2時間増やす」方を目指したいと思う。そう考えた時、長期ローンとは相入れない。
「死にたい人に何か言うとしたら?」と聞かれて「もっといい加減でいい、もっと不真面目でいいと思う」みたいなことを答えたのだが、真面目に思いつめる人より、ちゃらんぽらんな人のほうが生きやすいのだから、人生とは理不尽なものだ。ずっとそう思っている。
自殺の問題に始まる『シーシュポスの神話』で、人生が生きるに値するか否かを考え抜いたカミュは、不条理に抗って反抗的に生きることは幸福であるという結論に達している。
みんなお金なくなったらどうすんのよと不安になるんだけど。
なくなったら本当に困るのは「意欲」。それさえ大事に守れば後はどうとでもなる。
才能はダイヤの原石なんかではなくて、どこにでも落ちてる道端の石ころを延々と磨き続けることなんだと思う。
そもそもの希少性があるから価値になるんじゃなくて、面倒すぎて誰もやらないから価値が生まれる。
私達は誰しも小さな儚い愚かな存在です。そのような中でも様々なお力添えを頂きながら助けてもらいながら生きています。
私達はそのような中でしか生きられないのかとも思います。
逆にそのような中だからこそ生かされていくのかと思います。
仏様や神様やご先祖様や多くの方々のお力を頂きながら生きていくことができるのです。
あなたはこれから必ず素晴らしい出会いがあり沢山の方々からのお力添えを頂きながら様々な経験をなさっていかれます。そして成長なさっていかれます。どうぞあわてることはありません。どうぞこれから自信持って生きて下さいね。