まじめで成長意欲が高い人ほど典型的ながんばる人
だからつい、自分で自分にダメ出しをしてしまうんですよね。
「こんなにダメな自分」だからこそ、「がんばらないと、認めてもらえない」と思ってしまうのです。
認めてほしくて、走り続ける。
認められるのがうれしくて、走り続ける。
そして、認められなくなるのが怖くて、走るのをやめられない。
今からでも、自分が自分を、無条件でまるごと認めてしまえばいい。
「がんばらなくても、私はすごい」
そう思うだけでいいんです。
「ここがダメ」
「これができない」
と、自分の欠点ばかりをあげるのは、もうやめよう。
あるとき、決めたのです。
「自分はすごいんだ!」
と決めたのです。
それからは、仕事のやり方もまったく変わりました。。
ひとことで言えば、「好きなようにやる」
自分の本音に従って、やりたいことを、やりたいようにやってみようと思ったのです。
「自分はすごい!」
そう思うと、卑屈モードからは抜け出せても、かわりに傲慢になるんじゃない?
そんな心配をする人もいるかもしれません。
でも、逆なんです。
なにしろ、自分で自分を「すごい!」と思えるのですから、もう人に「すごい!」と思ってもらう必要はありません。
偉そうに虚勢をはることもない。卑屈になることもない。偽物の「謙虚」もいらない。。
「ふつう」でいられたんです。
卑屈を隠しているから傲慢になるんです。
「私はすごい!」と思うだけで、人生がブレークする。
ただ、そう思うだけ。
実績もなく、そう思えなくても「そういうことにした」のです。
それだけでブレーク。
能力を磨いたり、何かを手に入れたり、まわりの人を変えたりしなくていい。ただ思うだけで人生にミラクルが起こるのです。
だから、がんばって書かない。
がんばって宣伝しない。
なぜならもう十分にすごいから。価値があるから。
僕はがんばらない人になりました。
次から次へと目の前に新しい扉があらわれ、それが自動的に開きはじめたのです。
大げさですか?でも、これ、本当のことなんです。
ウソかホントか、ぜひ、やってみましょうよ。
すごくなくても、「すごい、ということ」にしてみたら?
セルフイメージのあなたは、アテにならない、架空の人
「自分はすごい、ということ」にできない理由は何なのでしょう?
「すごいという根拠がないからです」
そこで僕はこう質問します。
「なるほど。じゃあ、すごくない根拠はあるんですか?」
すると、たいていの人は
「えっ!?・・・・」
一瞬言葉につまります。
たしかに「自分はすごい」という根拠はないかもしれません。
しかし、「自分は、すごくない」という根拠もないのではないでしょうか。