つらい、さみしい、悲しい、もうダメだあああ

スポーツクラブに入会して、勤務の帰りとか休日など、時間の合間を利用して通ってみたらどうですか。まず体の中からすっきりさせてみると、前向きの気持が湧いてきて、その先を見つめたくなっていくだろう。急にはそうならないかもしれないが、新しい世界は自分で作っていこう。とにかく体を動かして汗をかくのは快適だ。まずは健康第一。人生はこれからも続いて行く。いつか、無駄にしてしまった時間に臍(ほぞ)を噛むより、将来の自分に、今から「すこやか貯金」していくこと。

さあ、立ち上がって行動しよう。




他の人の幸福なんて、何の足しにもなりません。

開き直って、好きなように生きていればいいと思います。

どうやって生きるか。そのままで何の問題もありません。





これは受け売りだが、その通りなので記載する。


ピザが欲しければ「ピザが欲しい」に伴った言動をとる他ない。

何も発動しない限り「ピザを与えたい」人に繋がる可能性が

失せてしまうのは当たり前の摂理。


あなたが今発してしまっているのは「私はピザを得られない人だ」という断定の嘆きであって、傍から見れば門を自ら閉じてしまっているかのような様でしかない。それだと誰もあなたの本当の切望に触れてあげるこはできないよ。


自分がマイナスと感じていることが、果たして周囲に転がる可能性を100%拒絶しているかどうか? 世の中って人一人で断じられるほど単純じゃないよ、思っているよりは多様だよ。






あー、私も今日同じように焦りました 一瞬ドン底気分に陥り、そのあと昼寝して、すっかり忘れてましたw 考えても仕方ないし、今から踊りに行って酒をしこたま飲んできますo(^o^)o






結婚て現実なんですよね。夢の様なドレスを着て披露宴をしても後は現実のみ。

他人と暮らすなんてとても苦労が多いと思います。

私なんかは料理が不得意です 苦笑

結婚なんかできないのではないのではないかと思ったりします。

悩んでもしょうがないから、毎日を一生懸命生きる事にしました。

妊娠・出産のニュースの裏に離婚のニュースもあります。

あまり結婚ばかりに固執せず、自然体でいいのではないでしょうか?

高齢出産なんてもう珍しくありませんて聞きました。


結婚→出産・・・その後のビジョンありますか?


お互い自然体でその時を待ちましょう・・・今を一生懸命生きましょう。







20代の頃は、遅くまで残業して同期の誰よりも

男性社員と同等に仕事をしてきたつもりですが、

この年齢になると、

ふと「私の人生、コレで良いの?」と思います。


「結婚だけが全てでは無い」と自分は思っているけれど

世間はそれを許してくれない...。


メディア等では気落ちするような報道が多いし、

20代女性の年の差婚・リスペクト婚なんて

「はぁ?」って...「喧嘩売ってんの?」って思います。


普通に仕事してたら出逢いは先ず無いので

決死の覚悟で結婚相談所に入ってみても

芸能人の年の差婚のおかげで

40代・50代・60代の男性会員の第1希望は「20~25歳」


自分では、決して

高望みしている訳では無いと自負していますが

これだけ成果が無いと

やっぱり高望み? してるのかなぁ~と...(-_-;)


30代半ばなら、大抵1度は

同じ思いしたコト有ると思います。


あまり深く考えないで、お互い

女子力アップに頑張りましょう。


結婚してても結婚してなくても

「素敵な40代女性になれたらなぁ~」

と私は思っています。






結婚。結婚と色めき立たれると男目線で正直引くと思います。

まずは結婚を意識しすぎず、焦らず自然体で人との出会いを楽しんでみては如何でしょう?(老若男女問わず…)

新しい人間関係は人を豊かにします。

そこから思いがけず「出逢い」があることもありますよ。








あああ、もうダメだあああ_| ̄|○ああああ




 

やりたくないことをガマンしてやってること

やりたいことをガマンしてやってないこと

 

それを「しかたない」とあきらめてること

ジブンより他人の迷惑や評価や期待を優先していること

成功や愛されるという麻薬を追いかけ続けていること

 

それらのために「がんばって」いること

「がんばればなんとかなる」と自分を酷使していることです。





人と会うこと 

素の自分を出すこと

 

それだけ!

 

実は

だいたいの悩みって

これだけで

解消できます




ぢんさんに

 

「死にたい っていう相談者が来たら


 どう答えるですか?」


 って聞いた時がある


マスターコースの最中だったかなー



そうしたら


「ワシには 


”死にたい” 

 っていう 言葉は


”生きたい”としか聞こえん」



「カウンセラー自身が

 不安になってどおーする?」





「死にたい」の 

その言葉に裏側 


心の奥底の眠る願望は

「生きたい」 なのだ


「自分らしく生きられていない」 


から 

それだったら もう


「死にたい」「消えたい」


なのだ





までの自分の偏りの真逆を知るために

苦手なこと、未体験のことに

損する覚悟でチャレンジを続けることで

中立を知っていくのか、



という、


実はとてもエキサイティングな人生を

選ぶことになるのです。


そのうえで、両方の偏りを知り

両方の正しさを知り、



自分に起こる出来事を肯定し

他人の生き方を肯定していくことで



目の前の相手の中に本来ある素晴らしさ、

その人が否定してしまっている素晴らしさに

共振、共鳴していくという「技術」のことを


カウンセリングの 「あり方」というのです。



「問題を解決」

「何かを変える」


ことがカウンセリングではないのです。


なぜなら、

結局は こういうこと であり


本当に 誤解 勘違いだったんだな


そこに気付いてもらうだけで

終わるからなのです。


カウンセラーがこの仕組みを知らず、


「自分の力を見せつけたい」という

「あり方」の偏ったまんまで


いくら素晴らしい「技術」を駆使しても

偏りが加速するだけです。



だから、カウンセラーという生き方を選ぶということは

とてつもなく厳しい生き方であり、




常に、自分に正直に

常に、自分にウソをつかないで


常に、自分が歪んでないか、

拗ねてないか、溜めこんでないかを確
認し、



常に、自分のやりたいことをやる、

常に、自分に与えられたものをすべて飲み込んで楽しむ、


そして、その姿を見せ続ける


その楽しみを分かち合い発信し続ける。