寅さん達のtalk

「私たちみたいな生活ってさ、普通の人とは違うのよね。それもいい方に違うんじゃなくて、なんていうのかな、あってもなくてもどうでもいいみたいなつまりさ、あぶくみたいなもんだね」

「うん、あぶくだ、それも上等なあぶくじゃねぇよな、風呂の中でこいた屁じゃないけど背中のほうに回ってパチンだ」

 

「考えてみますと私達の人生は、泡みてえな、アブクみてえなもんじゃねぇかと、決してまともな暮らしなんてもんじゃねぇ。お宅のようなこういう生活こそ、ほんとうの暮らしっていうもんじゃねぇかと、そう思いまして」

 

 


「いいわね、旅の暮らしって」

「手前が好きでとび込んだ稼業だから今さらグチも言えませんが、はた目で見るほど楽なもんじゃないんですよ。そうですね、例えば夕暮れ時、田舎のあぜ道を一人で歩いていたんですね。・・・ちょうどりんどうの花がいっぱい農家の庭に咲きこぼれている・・・・・電灯は明々とともって、その下で親子が水入らずのご飯を食っているんです。・・・そんな姿を垣根ごしにフーっと見た時に、あーこれが本当の人間の生活じゃねぇかな、フーっと、そんなこと思ったりしましてね。

 ええ、仕方ねえから、行きあたりばったりの飲み屋で無愛想な娘相手にキューと一杯ひっかけましてね、駅前の商人宿かなんかの薄いせんべい布団にくるまって寝るとしまさぁ。なかなか寝付かれねぇ、耳にも夜汽車の汽笛がポーっと聞こえて来ましてね、朝、カラコロ下駄の音で目がさめて、あれ?俺は今いったいどこにいるんだろう・・・・ああ、ここは、四国の高知か・・・」

 

 「俺には七つ八つ年下の妹がいてな、さくらって言うんだ。十年も十五年も昔、よくそいつに説教されたもんだよ、そんな暮らしをしていたらお兄ちゃんはきっと今に後悔するよって。何しろ若い頃はまじめに働いている奴はバカだと思ってからな、俺は。おおきなお世話だ、オレァ太く短く生きるのよーーーそう言って相手にもしなかったんだが、ふと気がついて見りゃ気のきいた仲間はとっくに足を洗ってほどほどの女と所帯持って堅気の暮らし、いい歳こいて渡世人稼業をやってるのはオレみてえな馬鹿ばかりだぜ」

 

 

「患者の病気を直して寿命を伸ばすのは、もちろん医者の仕事だけど、同時にどう安らかに死を迎えるか、という患者の心の領域に立ち入るも医学のうちなの。だってそうでしょ?いずれ死ぬときまった患者に口や鼻から管を入れて言葉を出ない状態にしておくより、その人が長い間住みなれた家で、家族にみとられながら息を引き取るほうが幸せにきまっているもの、あなたもそう思いませんか?」

 

 

「おじさん、人間は誰でも幸せになりたいと、そう思っている。僕だって幸せになることについて、もっと貪欲になりたいと考えている。でも、それじゃあ幸せってなんだろうな?泉ちゃんは、お父さんは幸せそうに暮らしているといったけど、あのお父さんは本当に幸せなんだろうか。おじさんのことについて言えば、タコ社長は、寅さんが一番幸せだよとよく言うけど、おじさんは本当に幸せなんだろうか。仮におじさん自身は幸せだと思っていたとしても、お母さんの目から見て不幸せだとすれば、一体どっちが正しいのだろうか。人間は本当にわかりにくい生き物なんだなぁと、近頃はしみじみ僕は思うんだ」

 

 


「よくわかったよ。幸福というのは金じゃないんだな」

「そうよ。だってお金は使ってしまったらなくなってしまうでしょう? 幸福っていうのは使ったらなくなるような形あるものじゃないじゃないかしら?」

「つまりよ、ああ生きてえなぁとか、生きててよかったなあとか、そういうことだよな。・・・だからよ、つまり幸福っていうのはな、・・・つまりさ、ああ、なんて言えばいいんだ。オレわかんねぇよ。江利子、代わりに言ってくれよ」


「だから、それをわかるために勉強するんじゃないの? それが勉強じゃないの?」