オレと田んぼ

なにかふと「自分」というものが分かった。そしてその「自分」というものを精一杯生きればいい。ということを思った。今日は曇りで、少し肌寒い日だ。秋と呼ぶにはちょうどいいような日であろう。田んぼには稲がところどころにあり、それぞれ実をつけて収穫を待っている。ところどころということもあり、もう既に収穫を終えた田んぼは役目を無事に果たしてほっとしているような、さみしそうなような。

 自分というのもこの田んぼのように春に稲を植え、秋に実っていくような存在と何も変わらない。だから、ただ淡々とやることをやればいいのだ。やることというのはすでに自分の中にあるはずだろ?自分が生まれてきたその種の中にすでに存在している遺伝子の意思みたいなものに身を委ねて、そのままでいけばいい。そう思う。秋ですし。関係ないか笑

オレが住んでいるところは田舎と言われているところだ。ここには何もないとか言う人もいて東京に出ていってしまう人もいる。でも、オレはここが好きだ。なぜかって?それは故郷だからだろう。理屈じゃない。

 
 東京に出て行く人を責めたいとかは何もないよ。だってあそこもきっと良い場所だろうよ。なにかがいろいろいい場所なんだろうよ。刺激的だろうし。オレも一度だけ行ったことあるけど、面白い場所だったなぁ。人もいっぱいいた。外国人も。すごかった。


オレの住んでいるところはお米を作って生活している人が多い。でも最近はお米の値段も下がってきていて、離農する人も多いな。これから米農家減っていくだろう。


 オレは田んぼのある風景で育ち、その中を散歩することが多かった。だから自然とそんな景色が好きになっていった。田んぼの風景が一年の季節のサイクルを彩り、オレに伝えていた。そんな一年の季節の移ろいに心奪われるようになったのは、しかし最近のことだ。あらためて自然は美しいなと思うようになった。朝日や、夕日、それはどれも美しいし、人工的には絶対にできないような美しさを持っている。


 冒頭で「自分」が分かったって言ったけど、なんというか悟った。まぁそんな大それたものではないのだけれど、なにかふと、腑に落ちたんだ。ああ、これがオレなのかって。それは案外、いや、存分に安心感のようなうれしさがこみ上げてくるような感覚であった。このままの「自分」で生きよう。そう思った。

 

f:id:rockmanlife123:20170928055404j:image

耕して、また来年

 

 

    ★カメハメハ打ちて

なんやかんやありますけど、ここにあるもの、ここにないもの、それで「全て」です。

今言えること、生きていくことと、死んでいくこと、それくらいです。

他にも 何かないかと思いまして ブログ書いてるわけです。

一応、千記事作成を目指しているのです。

でもべつに達成されなくてもいいわけです。ただのベンチマークといいますか、ただの指標って感じだけですから。一つの一里塚でしかないわけで。こうして記事を書いている「今この瞬間」が最も大事でありますので、たとえ何記事書こうがどうでもいいのです。ただかこそ、適当に宣言します。
「千の記事」を書きますよっと。

しかし、おれのこの駄文を「書く」というのは楽しいからというのもあるけど、今思ってみれば、「苦しみ」から逃れるために書いて部分も往々にしてあると思う。この「生きている」という苦しみから逃れたい。その逃れる術のなかで自分なりに一番しっくり来るのがこの「書く」という行為なんだと感じる。そうでなければ、なぜこれほど毎日毎日意味のわからない、生産性がないことを俺がやるのか理解できない。でも理解なんてしなくてもとうにやってしまっている。それは痛みから逃れるため。書くことの根本的なモチベーションはそこにあるかもしれない

 そしてなにか書くことを通して「救い」や「カタルシス」みたいなものを欲しているのだろう。

  なんちってっーーーwww
  まぁそんな難しく考えなくていいんだけどねww

   そんな、こんなでこんなでこんにちは

  

内容もアクセスもあまり関心を持たず、とにかく書く。その営みを純粋に楽しんで参りましょう。

     なーーーん ちってねっ♫

   ではでは失礼。