『おまえさんはルールでいきている。かっこよくなけりゃいけないというルールでな。 しかしアイツにはそんなルールはないよ。』

今、ジムに来ている。

体を動かすのは非常にいい現実逃避だと思う。コスパめちゃいいやん。健康にもなるし。いちいちメンドくさい事考えないし。これはいいぞ。

日常の習慣に取り入れよう。また家から離れるというのがいいんだろうな。物理的に離れる、それが精神的によい。日常から少し離れた環境。それがジムだな。

 

いかに日常と付かず離れずの距離にいるかというのがオレの精神衛生的に大事なんだよな。

 

 

答えを用意してくれるだけの世の中ではない。ときには自分の範囲だけでもルールを書き換えた方がいい。
ということだけでも知っていれば、無いものをあれこれ求めるよりは、あるものでプレイを楽しめる。
人生は長く、世の中は思っているより大きく変化します。
今は仕方なく選んだ手札が、大当たりすることもあるでしょう。
災い転じて福となす、その日まで。
 
人生は舞台の上で、僕は幻を見ている。人生は暇つぶしだと思ってから、急に自分が軽くなって新しいことをどんどん始められるようになった。
どうせ劇も始まったことだし、思い切り舞台の上で暴れてみようか。

 


なにより成長よりも楽しいを優先。
成長するぞ! とか
努力しなきゃ! という意識高い考えは取っ払いましょう。
技芸の向上は積み重ねた時間を比例します。

膨大な時間こそが、あなたの財産。
外で働く気がない者は、昔の貴族の様に
時間をかけなければ習得できない技芸と、
その技芸を起点とした人脈を作る事を心がけるべきである。

要は時間を小銭に変換するのではなく、時間をスキル、人脈、知名度に変換する作業を行うべきであるということ。

 

 


恐怖があってもいい。失敗してもいい。でもそれは
本当は行動の妨げになるものではない。
恐怖がありながらも、失敗した過去がありながらも、
行動に出ることはできるし、希望だって持てるんです。
 
恐怖に目を向けすぎて行動できないのはもったいない。
そして恐怖はなくならない。
恐怖はあります。不確定なものや、目に見えないもの、知らないもの、感じたことがないもの。結果が分からないもの。
恐怖を感じる要素は日常に溢れていますよね。

行動しないと結果は分からない。最初は怖くなて、自信がついてから
なんて思ってたけど、そんな時なんて待っていてもこないんですよね。
恐怖はいつだって心のどこかに潜んでいるんです。
だって行動しないと結果が分からないのだから。
恐怖を感じながらも、きっと大丈夫と希望を持って前に進む事が大事だなと思っています。
 
あれ?今目の前にある問題って、怖い気持ちだけじゃん。
そのときの私には行動できる環境や能力はあったんです。
ん?これって自分の怖い気持ちさえ気にしなければ行動できるんじゃないの?
怖い気持ちと行動って、切り分けて考えられるのではないか?
とふと気づいた瞬間があったんです。
行動した先に何が待っているか分からなくて怖いけど、
それはそこに行かない理由にはならない。

 


不機嫌になると人間のあらゆる機能が低下してしまうこと。健康が阻害されたり、パフォーマンスが下がって、人生の質が悪くなるということ。
そして、不機嫌の原因は、認知の脳が勝手に意味づけをしたり、期待したり、比較したりしてしまうことで、自分の姿も、認知の脳の思い込みで、そのせいで自分の大切な心に、ゆらぎやとらわれを生み出し、ごきげんを手放してしまっているのだ。

 


人生には限りがある。
そして結構あっという間。
誰かの為にイライラしてたらすごいもったいない事に気がついた。
どーせばぁちゃんになるんだったらもっと楽しみたい。

 

別におもしろくなくてよくね?
オレ自身たいして面白い人ではないけど、それでよくね?

うん、別にそれでいいわ。
気負わずゆこう。

 

 

 

 

脳科学だったと思うんだけど、人間って、自分の事を諦めていないから悩むんだって。自分の事が大切だからこそ悩むらしい。

私もうまくいかない人生で本当に笑っちゃうんだけど、寿命がくるまでの辛抱だと思ってるよ。開き直るしかないんだもんw

たかだか数十年だもの、耐えてやるわー!

 

今日も生きている
青信号で道路を渡る私
踏み切りで左右を確認する私
ホームで黄色い線の内側まで下がる私

本当は死にたいんじゃなくて幸せになりたいんだ

 


画像はないけどこれもぼのぼのの名言
自分もこの自分のルールに縛られてるのかも知れない…
 
『おまえさんはルールでいきている。かっこよくなけりゃいけないというルールでな。 しかしアイツにはそんなルールはないよ。』