幸福への手がかり。


あなたが「どれが正解なのかわからない」と思うなら、それは正解なのです。なぜなら、正しい選択肢など、考えても意味がないからです。 これに対して、「正しい選択肢が分からない」ことに不安を覚えると、まずいことになります。「選択」という考え方の危険性はここにあります。このような形で自分の状況を認識すると、どれかの選択肢が「正解」で、それ以外は間違い、ということになります。
 ところが人生における選択は、どれが正解だか分からないものです。このわからなさをそのまま受け入れるなら問題ありません。しかし、「正解がわからない」ことに不安を覚えると、冷静さを失ってしまいます。冷静さを失った状態ではいくら考えても無駄であり、本当にろくでもない結末になります。

 実のところ、人生のある局面で「選択」を迫られるとしたら、そのこと自体がすでにまずいのです。

 選択を迫られるのなら、その場を逃げ出すべきである。

 どれかを選択した以上、別の選択肢はもう閉じられている、と感じるのは誤りである。と心得てください。選択という観点から見れば、人生の全ての瞬間が、選択の場面であり、いつでも今のあり方を変更することができるからです。


豊かさは自由を保証しない。

現代日本では、簡単に飢え死にしないから、おびえなくてよい。


人生の目的とは、その人自身の「道」の究極点である。
「道」とは、自分の身体が教えてくれる進むべき、あるいは成長すべき方向」のことだと捉えています。

 一人ひとりの身体のあり方が違う以上、一人ひとりがそれぞれの瞬間に感じる「道」は、お互いに違っています。それゆえ当然ながら、あなたの人生の目的は、ほかの誰とも違っている。


「人生の目的」という大きなものを小型化すると「夢」になります。こうなったらいいな、こんなふうになりたいな、こういう仕事につきたいな、というあの夢です。


夢とは、人生の目的に向かう一里塚である。

と考えればよいでしょう。
 この夢をうまく見ることが、成功の秘訣です。


と同時に、

夢を実現することそのものには、なんの意味もない。

ということもしっかりと覚えておいてください。

なぜなら夢を見て、その夢に執着してしまうと、今度は身体が緊張して動かなくなってしまうからです。夢は楽しく見るものであって、悲壮な決意で見るものではありません。そういう風になってしまえば、物事は決してうまくいかないものです。


夢そのものに意味はないが、夢の実現のための過程に意味がある。

夢をしっかり描き、歩んでいくなら、その夢は実現しなくても、その過程で得られることによって、あなたは次の夢を夢見ることができるようになります。そのような、夢の渡り歩きこそが、あなたの「道」」です。


人間は自信を持ち、自らの精神を自由に広げるときにのみ、なにか本当に意味のあるものを生み出すのです。


抽象的な夢はかなえるとすぐに消えてしまう。
そして自分の前には、次に実現すべき更に困難な「夢」がそびえ立つのです。

人間の感覚というものには、非常に深い計算が込められています。そこから人間は意味をつかみとるのです。それゆえ、人間が世界の意味をしっかりと受け止められるようになるには、自分の感覚を受け入れられるという経験を積む必要があります。そうして、世界と自分との関係を養わなければなりません。

 

幸福とは、感じるものであって、何を手に入れても、そこから喜びを直接感じられなければ、意味がないのです。幸福だと感じれば幸福であり、感じなければ幸福ではないのです。

「夢」というのは、幸福へと至るため「手がかり」として、意味があるのであって、その実現そのものには意味がないのです。