成長とは引き算

成長とは、引き算。
成長とは、許すこと。

「成長」というものに対して、みなさんはどのようなイメージを持っておられるでしょうか。

サラリーマンを長年やっていた僕にとっての成長は
「何かができるようになる」
「何かの能力が身につく」
「できることが増えていく」
という感じの、「武器を増やすこと」、そして「素晴らしい人間になること」というイメージでした。

 だから、成長というのは、努力して、勉強して、学んで、訓練して・・・・・・という「過程」」が必ず必要と思っていました。
 そう、「強くなること」が成長だと思っていました。

 その信念のもと、僕は努力し、ときに挫折し、また努力し、結果を出し。結果が思うように出ず。と、うまくいったり失敗したりしながらの「成長」をしていると思っていました。
 そして、
「成長することが正しい」
「成長すると認めてもらえる」
「成長すると幸せになる」
と信じて頑張りました。
逆に言えば、「成長しないとダメだ」という恐怖との戦いでした。

「結果が残せないとダメだ」
「できないことはダメだ」
「役立たずはダメだ」
「弱音を吐いてはダメだ」
「弱いところを見せてはダメだ」

 と、じつはただのヨロイを着込み、仮面をかぶり、重い武器を引きずって、へとへとになりながら戦っていたのでした。
 そして、それだけ戦っていたのに、まだ「思うような結果が出ない」「思うように人に認めてもらえない」という焦りと欠乏感から、「これは、努力が足りないのだ」と考えて、さらに「がんばる」しか方法を知らなかったのです。

 そして、「がんばったから」今の結果を、今の立場を、今の承認をもらえているのに、もしここで、がんばらなかったら、結果を残せなかったら、役に立たない人間になったら、迷惑をかける人になったら、もう人生は終わりなんじゃないか、という恐怖との戦いでもありました。
 泳ぎ疲れて、でも、泳ぎを止めるわけにはいかなくて、むしろ、もっと「速く泳ぐ」ということを目指して、学んで、みんなから認めてもらえ・・・・・・るはずでした。
 なのに、自分が望むような結果が一向に手に入らず、周りの人と比べては、ため息をついて、嫉妬して、毒を吐いて、なんとか自分を保つ。そんな日々を過ごしていた。
「もっと成長しなければ」と、さらに自分の「武器を手にする」ために、時間とお金を使い、「すごい自分」という張りぼてづくりに日々時間を使っていました。
 ウソの人生、自分らしくない人生、休めない人生を送っていたのですね。
 でも、そんなある日、ふと思ったのです。
「それ、本当か?」と。
 そう、僕が長年信じてきたこと、「成長しなければダメだ」「役に立たなければいけない」「まだまだ努力が足りない」って、ほんとか?と。
 そう、言い換えると「ほんとに、そんなに、自分は、ダメな人間なのか!?」ということでした。「そんなにがんばらないと、ココに居られないのか?」と。


 考えてみれば、毎日のようにブラブラしているのに、大したこともしてないのに、みんなに愛されて認められていて、結果まで残している人がいる。
 こっちのほうが結果を残しているのに、こっちのほうが真面目に働いているのに、こっちのほうががんばっているのに、おかしくないか?
 でも、そこには、自分自身の中に、言葉にできないほどの恐怖がありました。
「こちらのほうががんばっているのに、がんばっていない人のほうが認められているということは、自分という人間に、どれだけ魅力がないということなのだろう?」という恐怖でした。
 だから、その「魅力のなさ」をカバーするために、魅力のなさを認めたくないために、「ただ、必死に」走り続けていたのです。
 そして、そのことに気づいたとき、気づいてしまったとき、ありえないほどの絶望を感じました。そして、その絶望を感じ、感じきったときに、ふと思ったのです。
「それ、本当か?」と。

 そこから僕は、「成長する必要はない」「そんなことしなくても、自分は愛されている、認められている」という「前提」に変えたのです。
 今までは「成長しなければ、そのままの自分は嫌われて見捨てられる」という「前提」、おそろしいほどの自己否定感を握りしめていたのです。
 それを180度、裏返してみた。
 そうすると、今まで読んできた、ポジティブな本や、自己啓発書に書かれているような「成長」と、今回お話する「本来の成長」は、まったく意味が違うということに気づいたのです。
 それは「大前提の違い」でした。

 そこに気づいた直後から、僕の身の回りに起きる出来事は激変しました・・・・・・

 今までしていた努力を、学びを、武器を、全部捨てたら、まるで重りをはずした気球のように大空高く舞い上がることができたわけです。 さあ、そんな「がんばり」とは対極の「新・成長論」。ここから順にお話していきたいと思います。