死んだら楽になるなんて。
死んだ人に聞いたの?
唯一楽しいパソコンが嫌になったら死ぬことも考えてみたら?
生きてりゃどうせいつかは死ぬんだから
そう速まらないで
旅でもしてみたらどうですか?
見たことないもの見て、聞いたことない音聞いて、
それでお金もなくなって食べるものもなくなったら
どこかでのたれ死ねばいいじゃん。
親の金かっぱらってでも
どこかに行けばいいと思う。
日本にも世界にもキレイな自然いっぱいあるよ。
海も山もめちゃキレイ。
人生の新しい扉というのは、
自動ドアじゃなくて、観音開きの手動ドアなんです。
手に持っているものを手放さないと開けられない。
明確な目標に執着して、本当に自分がたどり着きたい幸せについて考えない。
このような人は意外に多いように感じます。
チューニングの作業が楽しければ我慢ではないし、苦しければとっととやめましょう。
我慢しないでやっていたら、たまたま期待に応えられる結果が出た。そのように生きることも可能です。
むなしさにも幸せにも実体がなく、儚く意味がない。だから、過去のことや未来のことにとらわれず、「いま」を大切に、精一杯楽しんでしまえばいいと思います。
選択の問題は、どっちでもいい。
問題は、捨てるか維持するかではない。マインドが切り替わらないと、何を選んでも行き着く先は同じ。いい選択をしたから幸せになれる、というわけではないのです。
条件ではなく楽しくなるほうへ。
人生は長い目で見れば喜劇
人生で最も大切な選択基準は、好きか嫌いか一番大切なのは、本人に気持ちです。
好きなことしか続かないからです。
嫌いなことを無理に選択しても、先が思いやられます。
本人に気持ちがなければ意味がありません。
「打って反省、打たれて感謝」
結果にとらわれるあまり、心を大事にすることを忘れていたということに気づきます。自分の心を磨くために、毎朝誰よりもやはく道場に来て、ひとり黙々とぞうきんがけを始めました。
「あいつに勝ちたい」「なんであいつは試合に出て、自分は控えなのか」とか「相手はどんな作戦でくるか」とか、そんな外側の出来事に自分の心を持って行かれるのではなく、ゆらがず、とらわれず、いつも自分が最高のパフォーマンスが出せるように、きげんのいい状態を自分で作る努力をしたのです。
外の世界にゆらがず、とらわれず、きげんがいい状態を自分自身でつくって、自然に身体が動き「結果」がついてきたのだ。
不機嫌になると人間のあらゆる機能が低下してしまうこと。健康が阻害されたり、パフォーマンスが下がって、人生の質が悪くなるということ。
そして、不機嫌の原因は、認知の脳が勝手に意味づけをしたり、期待したり、比較したりしてしまうことで、自分の姿も、認知の脳の思い込みで、そのせいで自分の大切な心に、ゆらぎやとらわれを生み出し、ごきげんを手放してしまっているのだ。
ボクシングのチャンピオン、モハメド・アリは
「勝負は誰も見ていないところで決まる」と言いました。
自分でどうすればいいか分からない時って妙にガツガツしちゃって、ちょっと会えば。すぐに自分の役に立つ情報を教えてくれるだろう。みたいに変に期待しちゃうんですよね。
こんなの倒して意味があるのかとか、もっと効率よくゴールをする方法があるんじゃないかなんてことが頭に浮かぶかもしれないけど、
とりあえず、目の前の敵を倒すことに集中していると、なんだか経験値やお金が入ってくるんですよ。そういうのが自信になりますよね。
スライムを倒すという成功経験を持つ前にスライムを倒す自信を持ちたい、なんて虫がいい話なんですよ。