前に進むエネルギー

正論にしたがう必要はない。


相手が真っ当で正しくても、話しは聞かなくていい。その理由は二つある。

一つは、正しさは唯一無二じゃなくて無数にあるから。

真反対なのに「どっちも正しい」なんてのは、たくさんあります。

 

上司にはっきり意見を言う  ただハイハイと機嫌をとる

真面目に誠意をつくす人が成功する。  ずる賢い人が成功する。

この仕事を選ぶべきだった   選ぶべきではなかった。

環境が悪い  自分が悪い

何かしろ   何もするな。


こんなの、「正しい」から全部素直に従っていたらどうなるのか?


スイカ割りで全員の声を信じるようなものです。

その場でうろうろした挙げ句に、どこにもたどり着けずに転ぶのがオチ。

 

たまに「ぼくの言うことが正論だからしたがえ」とばかりにキツく言う人がいますけれど、そんなの気にしなくていいんですよ。正しさってどこにでもくっつくんです。

 

どこにでもくっつくという意味は、ちょっと深いです。


つまり、ダメ人間だと自覚している人だって、自分なりの意見を持っているわけです。


その人にだって、正しさがあるんです。


あなたにも、わたしにもです。


自分も、それなりにニートと労働者を往復したので言えますが、ニートのときにおかしいと感じたことは、だいたいおかしいんですよ。


自分の意見に自信をもっていいと思います。

 


「相手が正論だから、反論していけない」なんてこともない。


「相手の言うことを聞かなければいけない」なんてこともない。

 

丸々すべてを受け止める必要なんてないんです。特に自分が受け止めることによって大きく凹むようなら、なおさら。

正しさなんて、そう重要じゃない。

前に進むエネルギーにはなりえない。

 

 

もう一つの理由は「正論は解決策ではないことが多い」から。


過去に対しての意見だったり、現実的ではない意見だったり、抽象的だったり、理想論だったり、そもそも提案ではなかったり。


つまり「お前はあのとき、ああすればよかったんだよ」とか「五年かけて資金をためて海外に出ればいい」とか「死ぬ気で頑張れば成功するよ」とか「就職すれば解決するから就職しろ」とか「恋人がいない?だからお前はダメなんだよ」とか、これらは「正論」ではあるかもしれないけれど、だからといって現状を脱するのに役に立つかというと、まったく役に立たない。

 

今、自分の置かれている現実というものがあるんで、今、自分にできることを具体的に言ってくれないと、動けるはずがない。

 

あと、多いのは否定論ですかね。

「そのやり方は間違っている」だけでストップ。
「それを言われてどうすればいいんですか?」と問えば、「自分で考えろ」

「何も思いつかなかったら?」と問えば、「それはお前のせいだ」。

そう言われてもね。

 

・・・・・・どうしようもないでしょう。こんなの。


代わりに「何もするな」とでも言うのか。

それを真摯に聞いて、何か自分の役に立つのか。


いや立たない。だから正論は虫。虫である。

 

 


たとえば、「いずれ死ぬから、今死んでも同じ」。これだって正しいですよね。でも、それを聞いて何かプラスになるかというと、なるわけがない。

俺は、ダメな感じになりやすい人って、真面目で誠実な人が多いと思っています。

だから、「自分を否定する正論」をたくさんまともに受け止めてしまって、前に進むエネルギーを消耗してしまっている人が、結構いるんじゃないかと思います。

すくなくとも自分はそうでした。

 


「やらなきゃいけないことが分かっているのに、やれない人間をダメ人間って言うんだ」
「二十代後半にもなって、まともに稼いでいないなんて、人として恥ずかしい」
「そもそも元々の人間性がダメなんだ」
「とにかくなんでもやれ。やれないのはやる気がないんだ」


あまつさえ、それを人から言われるどころか、自分で自分に言う始末。「言われていること自体は正しい」から聞く。まともに受けてとめてしまう。自分がダメと言われたらそう思う。

でも、こんな正論、何の役に立つんでしょうか?

単なる弱い者イジメの道具じゃないですか?


正しさってそういうふうに使うもんじゃない。

 

ここまでに挙げたように、正しいから聞かなきゃいけないなんてルールは、一切ないです。いろんな正しさがあるから、道に迷います。

解決策がないから、エネルギーも失います。大事なのは、正しさじゃない。正確には、正しさだけじゃない。


正しいから聞かなきゃいけない、受け入れなきゃいけないってことはないんです。正しさの上に、楽しさや興奮などプラスのエネルギーを与えてくれるのが、本当に受け取るべきアドバイスです。

 

正しいから聞けって言われても聞く必要はないです。正しいだけの意見なら、誰だって言えるんです。正しさを盾に非難されるようであれば、即刻距離をとるなどするといいでしょう。

結局、その意見で救われることは絶対にないんで。

 

その意見を受け入れると、前に進むエネルギーをもらえそうですか?楽しくなりそうですか?それがないなら、無視していいんですよ。だれの意見でも。