朝起きる時はいつも寂しい


不思議な出来事は起こるということ。いま生きている場所が世界の全てではないということ。
ひとは新しい一歩を踏み出す時、こんな世界もあったのか!という自分の精神世界を拡張する斬新で新鮮な感動に包まれることがある。


何者かになろうとしないひとは朗らかだ。正しさを捨てている人は軽やかだ。
執着を手放している人はかわいい。

私の今世のテーマは「自分で決めない」
私はただ何かしらの出来事が起こりそうな場所に自分を置く。あとは野となれ山となれの精神で、経験則的に基本的にはなんとかなるようになると思っている。


どうにかすると、どうにかなるは似ているけどまるで違うと感じている。

 


正解だとか不正解だとか、謎の基準に惑わされそうな時は、ただ自分の心が楽になる道を選択すればいい。それがきっと、あなたにとっての正解だよ。

 

人の評価なんて割とコロコロと変わるものです。特にサイバイマンからの評価は浮動票だと思った方がいい。
一貫性や筋が通ってないから、それよりも新しいことにトライしまくった方がいい。


誰と一緒にいるかで人生は変わる。ブッタは良き友を持つことは、それ自体が最高の修行だ。みたいなことを言っていた。

 


コミュニケーション欲を満たそう。
人間はお金がなくても生きていけますが、コミュニケーションを取らないと孤独で死んでしまいます。

良い人生をデザインするためには、どのようにコミュニケーション欲求を満たすかを考えるのがポイントです。

適切にコミュニケーション欲を満たしていければ、人生はもっと楽に自由になります。

結局のところ、どうせ人間なんて、いつ死ぬのかわからないんだから、好きなように
好きなことをして生きていくべきなんですよ。
ぼくはこれからも好きなように生きて、勝手に死にます。

 

 

今世はもう十分に生きたから、あとはおまけみたいなものだ。
的なことを書いた。それならば、なぜ生きるのか。
死ぬまでに残された時間をどれだけ遊び尽くすことができるのか、
どれだけ自分の精神を踊らせていくことができるのか。
ということに、自分の主要な関心はある。これはある種の求道的なスタンスと似ているなと思うことはあるけれど、多分、求道の道は道楽の道。
求道の果てに、まだ見たこともない素晴らしい風景が広がっているような気がしている。

 

見返りを期待して、楽しくもないのに苦痛を伴う努力を重ね、恨みをため込むくらいなら、やめたほうがいい。
努力は報われると思う人はダメですね。
努力を努力だと思っている人はだいたい間違い。


好きだからやっているだけ、で終わる方がええね。
これが報われるんだと思うとよくない。
こんだけ努力しているのに何でッってなると腹が立つやろ。

人は見返りを求めるとろくなことにならない。
見返りなしでできる人が一番すてきやね。


「AKB48の場合はダンスがうまい子よりも、できない子のほうがファンの視線を集めることができる」のだそうです。
できないから逆にファンに応援される。
「だから、あんまりがんばりすぎないほうがいい」と。

 


「がんばる」というのは、自分を冷静に見つめる目を失わせるものであり、努力そのものが楽しくなってしまうと、ほかのことが考えられなくなってしまう傾向にある。

 

努力信仰が日本の精神に蔓延るようになったのは、明治時代です。明治政府をつくったのは江戸の武士ではありません。薩長出身の武士たちです。
江戸っ子たち都会人にバカにされてはならない。欧米列強に追いつかねばならないという焦燥感、その圧力によって努力信仰が生じてきたのです。

 

心の安定を優先したためにチャンスを逃す可能性が高まってしまうのです。
時代のせいにしても無意味ですし、その判断は、将来の可能性を奪いという点で、無価値どころかマイナスです。

今ある条件を使ってできることがいくらでもある。

 


マンネリになれば、そのままにするのではなく、ステップアップですよ。より新しい刺激やより強い刺激を求めて前に進みましょう。

元気は人間にとって一番大事です。元気が出ないときは、やらないようにしましょう。
好きなことをして、嫌なことをしないのは、元気になるためです。

人は何のために友達をつくるのかというと、一人ではさみしくて辛いので、元気になるために誰かと寄り添い合うのです。


人生では、諦めずに量をこなすのが大切です。ヒットを出したければ、諦めずに、膨大な
挑戦を繰り返しましょう。


楽しい人は、知的好奇心が旺盛です。
気になることがあれば近づいてみます。わからないことがあれなすぐに調べます。
いろいろ経験してみたいという気持ちがいっぱいです。