★より上手くころぼう。
成功という執着や今という執着から離れることで、人生が軽くなる。
オプションを持って「あえて」という感覚で取り組むことの強さはそこにある。
今の世の中ってクソ真面目に生きるより少し適当に生きた方が楽かも。真面目に生きると息苦しい。
あれだな、悩みごとがあったらなんとかなると思うと悩む必要ないだろ?
おれはいつもこれだわwww
できることをやろう、落ち着こう。
時間こそが財産。たくさん持っていても、それらを使いこなす時間と心の余裕がなければ意味なし。
たいていのことは時間をかければできる。
降りる道は、急ぐ必要がない。
モノのためには過分に働くことになるし、所有が多いほど、身軽さを失う。
時間と健康な心身があれば、実はお金はほどほどでも、自分の欲することは習得できるし、行きたいところは行ける。幸福と安心は得られる。
考えても導き出せないなら諦めて投げ捨てちゃう方が楽ちんだなと思った。
結局は辞めない奴がもっていくのだ。
選ばれようとしていないか?
選ばれるために自分を捨てていないか?
他人になろうとするものは、自分になれない。
個性は偏りだ。短所から戦略は生まれる。欠点を直すより使いこなす。
世界は広い。そして人生はなんとかなる。見えていない選択肢を見るために、
もっとたくさんおかしな体験をする若者が増えてほしいと思う。
人生がうまい人は変化をつけるのがうまい。少しだけいつもと道を変えて小さな感動を集める。
突き抜け感とは、社会に必要とされる存在を演じる事で社会に居場所を得る生き方から、自分を貫き通し自分が必要とされるかどうか判断は社会に委ねる生き方への転換である。
限界の概念を持って自分の強みを考えると、苦手なものを克服している時間なんてなくて、得意なものを徹底的に伸ばす方向がいい。
物事に因果関係はなくて、いい人が長生きする訳でも、悪い人が罰を受ける訳でもない。
頑張ったから報われる訳でも、努力していないから勝てない訳でもない。
ただ人生で起きる出来事にぼくらは翻弄される。こういう感覚や世界観を無常観と言うんだ、とあるお坊さんに教えてもらった。
本当にひとつの目標を固く決めつけて死守する必要があるのだろうか。
人生には、「仮置き」や「仮決め」という選択があってもいいのではないか。
どうしてもうまくいかない時のは視点をずらしてみたり、大胆に組み替えてみたりしてみることもまた大切な手法ではないかと思う。
20歳か21歳の頃だった。
どこかに「勝てる手法」があり、それをきちんとやった人が勝つという方程式そのものが
間違っているのではないだろうか。
と気づいた。
自分のコンプレックスとは別の領域で、楽しさや達成感や成功感覚を得ることで、コンプレックスそのものを消してしまうことはできないだろうか。