気怠な日々だが、体を引きづりなんとか耐えよう

人間だれしもが幸せになることは可能だが
幸せの型は人によって異なる、と考える

例えばブサメンがイケメン的幸福を得るのは不可能
いいか、絶対に不可能だ。彼女が出来るとかそういうレベルではなく
イケメンにはイケメンにしか出来ない恋愛がある
ただし、その逆も然りだということを忘れずに

幸せかどうかを決めるのは他でもない自分である
ということを理解しなきゃいかん

 

親父曰く、「運と言うのは待ち受けの広さ」らしい。
「真正面しか見ない奴より、足元まで見る奴のほうが落ちてる小銭見つけやすいだろ」と聞いて、なるほどど思った。

 


必ずしも人生は楽しむ必要はないと思うよ
というか「楽しみ」の枠を狭くとらえ過ぎているのでは?
理不尽さと向き合って、考え抜いて死ぬのも、俺はいいと思うね

一見他人が楽しそうに見えていても、陰で悩んだりも
してるかもしれないから、君の見方は決めつけがましい部分があるね

 


たぶん人間にとって幸せとは 余裕 だろうな
明日は休みだから夜更かしできる
とか
リラックスした時間のときに一通りの満足感がある
とか
その程度
一瞬かもしれないが不安が一切なく安心した時に感じる余裕みたいなもの

とりあえず一度絶望の底を味わえば大概のことなら楽しめるようになるよ
というかいかにその状況を楽しむかって感じかな
俺はそういう価値観持つようになった