もうダメだな

多分、何かをすることの醍醐味は、「成功すること」の中にあるのではなく、
成功しようが、失敗しようが、結果には関係ないところで
「俺はやった」と思える清々しさの中にある。

私は多分、過去にふたつとても大きな覚悟を決めた。
一つ目は「死んでもいい」という覚悟
二つ目は「ひとりでもいい」という覚悟
になる。

いくら失敗したって、人の記憶は曖昧なもの。
最終的に成功すれば「成功者」として上書きされるんです。


こいつら生き残る実力があったんだな。
頑張っているんだなと思ってくれる。
だから、そう思ってもらえるまで、同じことをやり続けなくてはいけない。
「耐える」って意味では、「時代待ち」みたいなところもあるかもしれません。


私たちが何かの結果を導き出そうとすると、かえって力を削がれることになります。
逆に自分の行いに対する、いかなる結果も成果も望まない時に、そして
その行為に全ての力を集中するときに、正しい結果が生まれてくるのです。
結果がどうなるのかを気にしないでください。


一度きりの人生だ。ひとりの自分である。自分が自分のまま咲き誇ろう。

他人の生き方にああだこうだと口に出すより、
自分の日々に集中すること。周囲に期待することをやめた瞬間から
みんな幸せになるような気がする。


何もしていない自分には価値があないという考え方は幻想だ。自分の価値を自分の功績で補おうとすると、多分つぶれる。


最高の概念は「遊ぶ」だと思う。
がんばる必要もないし、良い子を演じる必要もないし
表現する必要もない。他人を蹴落とす必要もない。
必死とか努力とか、我慢とか、そういう類いのものでもない。

肩の力を抜いた状態で、「どれだけ遊び抜けるか」が試されている遊技場として
世界は再認識される。

 

生き延びようと思うから迷う。
自己ベストを更新することに集中している印象があり、そこがいい。

みんな同じであることの安心は、自分であることの喜びを剥奪する。


どうにもできない過去や未来に縛られて、現在を犠牲にしてはならない。
あるのはこの瞬間だけであり、目の前の今日という一日を思う煩うことなく
確実に生き抜くこと。明日のことは明日にお任せして、
昨日のことは昨日に任せて、
他人のことは他人に任せて、
自分の命を生きること。


生存ポイント日々加点。

一回死ぬことで開く扉がある。
何かがあるよりも、何かが無くなってからのほうが面白い目に遭遇することができる。

あんまり先のことを考えても、足がすくむだけなら考えないで動いたほうがいいぜ。
恋愛にしろ、仕事にしろ、自分の見える範囲にとらわれないほうがいいぜ。

世の中は広いんだぜ。地元がダメなら県外へ、
国がダメなら、世界へ。
どこかで誰かがきっと必要としてくれる。
自分を信じろ。そして、裏切るな。
自分の人生だ。楽しく生きようぜ。

 

もしかしたら失敗してしまうかもしれないけれど
いいじゃん。やり続けたってことが大事。

あきらめる理由を探しているのか?
そうでないなら自分が納得できるまでやり続けろ。
世間は成し遂げた人には喝采を送る。
ぼくがこれから戦っていくのは、
ありそうでない、なさそうである
幻想的な
「世間体」なんだと実感した。


年齢とかにこだわらずに、なりふり構わず他人の利益を最大化することに尽力すれば
自然と周りが持ち上げてくれる。


大事なのは勇気を持って行動すること。いずれは死んで無になるんだから、
失敗なんて恐れているのは馬鹿馬鹿しい。

価値ある人間にならなければいけないと悪戦苦闘を重ねたけれど、ある日を境に
「無価値で何が悪い」と開き直るようになってから楽になった。