究極の酔拳使いにオレはなりたい。いつか。

まあ、でも楽しい人生じゃなくてもいいんじゃない?
つまんなーいって言いながら暮らしてりゃいいよ。うん。


オレは素材でしかない。

人生なんてまともに向き合わなくてもいい。
まっとうな戦略でクリアできないのだから。


辛くならないように、必要最低限のことだけをして生きていくのがいいだろう。


結婚、これはムリっぽいな。諦めよう。

と言ってもまた迷う。諦めるなんてできない。グズグズしている。

仕方ないさ。今日は諦めよう。また明日がんばってみよかな。

 

やり直す事も
生まれ変わる事も
出来ない人生だが
これからでも
今からでも
歩める道がある

 

 

こんなはずじゃなかった。

思いは事実に裏切られ、

身は事実を受け止める。

 


考えても意味ないしな〜
酒でも飲めさ🍶


私が生きているという不思議。これ以上の不思議なんてあるのだろうか?

酔拳使いになりましょう。


先日ジムでとても素晴らしいご老人にお会いしました。
そのご老人は、ジョグマシーンで私より先に走り始めていたのに
私が1時間走ってもまだ余裕で走っておいででした。
とても興味深かったので、終了されてから声をかけました。
お年寄りでも走ることが好きで、考えることも好き。
一歩前に踏み出すたびに、何もかもが初めてのような新鮮な感動を毎日頂いている
とおっしゃっていました。
よくそのお年で、と失礼にも申し上げましたが、ご老人は一つも気にせず
ご自身の体験をお話下さいました。
自分の限界を打ち崩したのは自分の内なる声を無視して挑戦した自分だった。
今の世の中は核家族化や少子化、情報収集の簡易化が進み過ぎて、
自分の声に耳を傾ける時間が多すぎる。
自分の声をいつも聴いてやるのは自分への甘やかしでしかないのだ。
辛い、辞めたい、悲しい、逃げたい、アイツが憎い。
聴いているうちに自分は弱音を吐く天才だったとわかった。
しかしそれをまともに取り合っていたのも、誰あろう私でした。
生きるのが辛いと自分が言い始めた時、走り始めた。
はじめは誰しも走るのは辛い。辛くて走るのを止めたくなる。
しかし、この俺は今さっきまで、生きるのが辛いと嘆いていた俺だ。
生きることに比べれば、走ることなどわけのないことで
それすら満足にできないのに生きることなど到底できんのだろう。
それから毎日走り始め、段々と弱音を吐かない自分に変わった。
そのうちに走るのが生きがいに変わり、生きがいは自分に
輝きと喜びを与えてくれるようになりました。
ご老人はそうおっしゃっていました。

あなたにも夢中で過ごす自分だけの特別な時間が必要なのだと思います。
長くなってすみません。

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