ふもと 750

圏外なき教え

 どこまでも便利さ、快適さを求め、迷うことなく瞬時にして知ることの出来る情報が氾濫する現代にあって、今や私たちの生活から切っても切れないツールとなった携帯電話。迷うことを忘れ、見たこと聞いたことに振り回される私たちは、何を人生の指針として生きているのでしょうか。
 ビルの谷間で携帯電話を持つ親鸞聖人。誰もが当たり前に使っている携帯電話ですが、圏外に入るとまったくの無用の長物と化します。 ところが、親鸞聖人があきらかにされたお念仏の教えに圏外はありません。つまり、お念仏の教えは、ここでしか聞けない、あそこでしか聞けないという場所の限定を許さず、いつでも、どこでも、誰にでもはたらきかけて下さっている教えです。
 いま、ここ。私が身を置いている場所が聞法の一等席。
 こんなに進んだ時代の今だからこそ、親鸞聖人が発信するお念仏という受話器に耳をかたむけたいものです。

 

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酒はこれ忘憂の名あり

 「まあ、飲めよ…」。何をやってもうまくいかず、やけっぱちになっていた私を説得するでもなく、父はただ酒をすすめてくれました。 もとより下戸な私は酒豪の父にはかないませんでしたが、いま思うと父らしいなぐさめ方だったなぁと思い出されてきます。

 親鸞聖人の言葉に「酒はこれ忘憂の名あり。これをすすめて笑うほどになぐさめて去るべし」とあります。
 この言葉に出逢ったのは父が亡くなって、しばらくしてからのことでした。「人生は嬉しいことや楽しいことばかりではない。悲しいことや辛いことも容赦なく起きる。そんなときは、どんな慰めの言葉も届かない。悲しみに沈む人を前にしたときは、ただ黙ってそばに座り、お酒を飲み交わすがよい。」
親鸞聖人の言葉が不器用な父の姿と重なり、私の中によみがえってきます。
 私一人の前には、お念仏を喜び生き抜かれた先人が無量無数におられます。そのご苦労が、今日の私の口をついて出てくださるお念仏です。

 

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