いきラク

生きるのを楽に

自分が信じた道をゆけ  行けば分かるさ。  ただその道をまっずぐに歩み続ければいい。

その先にはきっと誰かが待っている。まだ見ぬ誰かが。必要としていくれる人。

 

俺のやること、役割みたいなものが見えてきた。(気がする)

 

いまのあり方ってのには全体的に疑問があるんだ。

 

みんながんばっている。でもそれってあってる?

 


周りを見てそう思う。

 


もちろんがんばっている周りの方が上手く社会で立ち回っているように見える。

 


しかしなんて言うんだろうか?

 

おれの中の感覚的なものが、なんかこうね・・・・・・


違うんじゃねーかなぁって思うんだよなー


もっといいやり方があるよって。

 

まぁ現実見てないのは俺の方かもしれないけど。

 

でもそのやり方じゃ続かないし、長い年月をかけてみたとき、それ間違っているよ
って気がするんだよな。

 

まぁ俺の感覚でしかなくて、正解がどこにあるのかわかんないけど。


俺は俺の感覚に従ってみるけど。

 


「炭鉱のカナリア」って概念があって

 

昔、炭鉱を掘りに行くとき、炭鉱夫の人たちは一匹のカナリアを連れて行ったんだそうだ。


炭鉱を掘る作業は洞窟の中で行うため、ガスがたまって空気が非常に悪くなるらしい。

その空気の中で作業していると、死人が出るほど。


だから空気が悪くなる前に逃げないといけないんだけど、


その空気の悪さにいち早く気づくのが「カナリア」なんだそうだ。

 

毒ガスが充満する前に連れて行ったカナリアが鳴き声で教えてくれる。


「ここはこれ以上いると危ないよ」

 


そんな炭鉱夫のお供だった「カナリア

 

俺の中にもあるような気がする。


「なんか今のやり方違うんじゃないの?」

 

そう鳴き声が聞こえる。

 

俺はそれに従ってみようと思う。

 


人は仕組みの中に押し込められていく。そして社会的に「あるべき姿」を押しつけられる。

 

その「あるべき姿」に押し込められて、抑圧させられる。


そして限界がくると爆発する。

 

周りの人は俺以上に優秀で、みんな我慢している。いや、我慢というか適応している。
ように見える。適応しない人は“大人げない人”“ダメな人”ということになる。

 

 


それ本当か?

 

間違うにせよ、正解にせよ、なにはともあれ、

人生は一度きりだ。

従うべきものは、自分の内的感覚だ。そうすりゃ後悔もちっとはマシになるだろうよ。

 

 

 

「このやり方は違うよ」

 

カナリアが鳴いている。