心を守るテクニックを習得するためには、何度も何度も練習することが大切です。
「これで大丈夫だ」というまで練習を重ねてください。一度ためしてみたぐらいで、
「うまくいかないわ」なんて言っているようではダメです。

情に流されるとき、人はなんらかの責任感を感じてそうなってしまうのですが、そんな責任感などは嘘っぱちである。
特定の会話のパターンをつくりあげて、徹底的に頭に叩き込む。泣くのは相手の自由。
自分はやりたいようにやる。
相手から操作されたり、圧力をかけられたら、
とっさに反応せず、まずは間をとる。黙る。

「それについてはゆっくり考えてみます。」これで十分。

非人情というのは、「相手の情に流されず、もっと自分を大切にしていいんだよ」という考え方。悪意を持つ相手を理解して許すよりも、優先すべきは自分の心を守ることです。

非人情になるのは家のドアを閉めるのと同じくらい簡単なこと。

性格は人それぞれだけど、それまでの順調な人生から一転したときにリカバリーができない人っているから、そういう人はもっと図太くなってくれや。
思い詰めず気楽にやってほしい。雑草魂があればなんとかなるだろう。

なにかしら趣味でも始めてみると全く違って見えてきたりするものだよ。


26歳というのは、
新しいことを始めるのもいいけど、自分の手元にある物を見直す大事な時期でもある。
それで手元にある物に気づいたら、それを大切に育てる。
自分はもう〇〇歳だからと言うな。年齢なんか忘れて自分は0歳だからって言える心を持て。
守られた世界を飛び出さないと、自分の広がりを感じることは難しい。広い世界に触れたいという思いもあるけど、その奥の方には、

自分を膨らませたい、もっと自分の可能性に触れていきたいという思いがある。
広い世界を見たいのではなく、多分、広い自分の膨らみを感じたいのだ。

大事なのは勇気を持って行動することだよ。いずれは死んで無になるんだから。失敗なんて恐れているのは馬鹿らしいよ。

世間体なんか気にしないで、何が自分にとってプラスなのか、何が自分を成長させるのかを考えてもいい。言っちゃ悪いけど、世の中なんて自分を中心に回っているもんだよ。

自分らしく生きられないって死ぬほど辛いんだなと思いました。

マジで困窮したとき、お金の援助は意外と無機質なもんで、それよりも体温とか、必要とされている感覚とかを一瞬でも実感できたら、虚ろだった目が大きく開く。

本当にいらないプライドとか、自負とか、思い出ばかりため込んでいたら、その重みに潰されて死ぬ。

とにかく環境が与える力って凄まじいんですよね。
1に環境。2に人。3に仕事なんだなぁってしみじみ思いました。

誰かが作ったこの社会では生きていけないから、自分で「社会をつくりあげる」という自分の周りだけでも「住みやすい社会」にしていく必要がある。

何度も言うけど、最初はムダに思えても、外に一歩踏み出す。無理してでも行かなくちゃいけない。

大事なのは粘りです。

死を意識するとき、生き方に正しいも間違いもないのだということを思う。
はっきりと分かることは「いつか必ず終わりがくる」ということで、いまある命を、いまある瞬間を、最大限に活かしてなければ生まれてきたかいがないではないか。

まだまだやれると思えば絶対にやれます。でも遅咲きの人に対してある種の抵抗があるのでしょう。でも遅咲きの人にとってはもうそんなこと気にしていられません。

今目の前の自分のやるべきことを、やりたいことに集中しているので気にならないということかもしれません。

若い頃は気にしていたかもしれませんが、歳をとった今となっては、もう開き直るしかないんです。そもそも世間の目なんて気にしていたら前に進めないですしね。
いやいや、もうね、そんなことを気にする時間が残っていないですってマジで(笑)