他人からとにかく吸収する。なんならパクる。
これまでの自分に多くの人が縛られ、可能性を押し込められている。
自分を捨てるのは自分の限界を高めること。


今のままがいいという願望はいかにも儚く難しい。
変化を拒否しても、時間が人間をひきずっていく。
だから、ひとつの人生訓として

「このままじゃヤバい」は意外と悪くないんじゃないかと思う。


子供が学校がすべてと思いこむように大人も就活や会社、結婚がすべてではないことを知るべきなのではないでしょうか。

 

若い人は希望があるなんてことはなく、悩み苦しんで成長する時なので、
そういう生きていく力を十分に付けさせる。
見守ったり相談に乗ったりする大人が必要だと思います。

そういうところから、自ら考えて行動して、必要な時には他人に頼ったり
甘えたりすることを学ぶ第一歩が「死にたい」なんじゃないかと思いました。

 


自分の置かれた立場や人生について、生真面目すぎるほど真摯に考えてしまう若者ほど
生きることに追い詰められてしまうということ。
自分の20代を思い出しながら見てました。
本当は、ぼーっと生きてもいいと思うんです。ダメな奴でも、不完全でも
自分に生きていいって許すことがこんなに難しくなっているのはなんなんだ?

 


ある日突然、一気に転落していく事態になるのはごく普通です。それまでの生活水準を保てなくなる。仕事以外で人との繋がりを作らなかったために一瞬で社会から孤立する。


なんとか横のつながりを作って生き延びてください。

 

人間は社会的な生き物。つまり元々助け合って生きていくようにできているのです。
上手に助けを求めれば、あなたにとって価値のある人間関係が広がり、人生がもっと豊かに、そして楽になります。

 

人は死んだらどうなる?

新聞の意見のとこから抜粋

 

「人は死んだらどうなる?」17歳女の子

 人は死んだらどうなってしまうのか。
空を飛びながら、生きている人たちを見ているの?
記憶は全部なくなって、何かに生まれ変わるの?
何もないきれい場所に行くの?
それとも暗くて黒い穴へ消えてしまうの?

 今まで歩いて、喋って、感情を持ち、欲を満たしたり、いろんなことをしたりしてきた人間という生き物が、心臓が動きを止めた、ただそれだけで何もしないものになってしまう。それまでは何だってできたのに。

 死ぬのが怖い。命を捨てたいと思う人たちを理解できることはきっとないだろう。だって自分が消えたあとから、世界がありえないくらい楽しくなったらどうするの?消えることはできても、戻ることはできないのに。

 お化けが怖いのは、いるかいないか分からないから。それと同じで死んだ人が「天国はあったよ」って教えてくれることなんてないから、だから分からなくて怖い。

 今、生きている時間が楽しくても、あるいは苦しくても、全部消えてしまうのがとにかく嫌なんだ。

 

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「自分の存在どこかに残る」16歳 女の子

 先日、「人は死んだらどうなる?」という投稿を読んだ。それから「人の死後」について深く考えるようになった。

 昔から私は、人は死んだらどうなってしまうのかと考えることがあった。死んだ後の四十九日間をこの世で過ごすのか、それとも成仏できずに、この世をさまよい続けるのか。天国というものが存在し、そこで暮らすのか、はたまた地獄に落とされ、永遠に苦しみ続けるのか。

 そして霊についても、いるのかいないのか分からないが、私はいるものだと思う。確かな証拠とは言えないが、私の姉が時折、すでに亡くなった祖父母が見えたと言っていたからだ。それが見えるのは、身内に何かあった時や初七日や四十九日だった。それを聞いてから私は霊がいてもおかしくないと思っている。

 誰も死んだ後のことは知らない。だからこそ死ぬことは怖い。それでも、自分という存在は残された人の中に残っているし、自分もどこかで残された人たちを見守ることができるはず。そう思えば、あまり怖くないのかもしれない。

 

ここ最近、
車に鳥の糞がよく落下してくる
運がないのか

それとも運がついてきているのか・・・

笑うことはすなわち前向きな社会へのコミットである。

これでどうやって勝負しようか
ないことを嘆くのではなく
あるものを見つめて下さい。


人間はワクワクするために生まれてきたんだから、ワクワク感じることをすればいいって誰かが言ってたな


思った。
世間体とか人と比べて私はマシ、みたいなことに縛られて生きて死ぬのがバカみたいなことだとそろそろ気づかないと。


ちょうど一週間前に母が孤独死した。
1日遅れの発見。
最後に話したのは電話で大げんかして、
お母さんの娘に産まれて本当最悪。だった。
後悔しても、しきれない。
お母さんの娘に産まれて本当幸せだったと今更言っても届かない。
お母さん本当ごめんなさい。
大好き。お母さんがお母さんで良かった


とにかく今ある道を進むしかねぇのよ、歩け歩け。
意味なんて無い。


進んだら何処かには辿りつくだろうし、その先で何かはある。だから進もう。

兎に角進もう。まず一歩目から。
千里の道も一歩から
チリも積もれば山となる。


その虚しさは大切な感覚だし
だからこそ、その虚しさ故に歩め。次はまた違う景色が開かれるはず。

だから歩め。一歩ずつ。

小さい歩幅でも無意味なんてことは絶対にない。

 

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大丈夫だ。

曖昧にすることの効用

曖昧力

曖昧力は日本人力

日本人には、もっと堂々と世界に対して発信すべき
「ものの見方・感じ方・考え方」がある。

いい加減のようでいて実は融通無碍(一定の考え方にとらわれることなく、どのような自体にも滞りなく対応できること)
「あやふや」なようでいて実は柔軟でしたたか
「優柔不断」に見えてじつは悠々の自然体。
「宙ぶらりん」と見えたのは、じつはよりよい結論を導くための段取り。
成り行き任せに見えたのはじつはより高度な戦略性・・・・・・。

現代、ともすれとないがしろにされがちな、この日本人本来の資質、「曖昧さ」は、じつは
中国陰陽五行思想の「陰陽」のように、表面的な“弱み"の裏に意外な“強み"を持っていると私は考える。

 

その曰く言いがたい力のことを、私は「曖昧力」と呼ぶことにした。


「曖」は覆い隠すの意味
「昧」は夜明けのほの暗さ

を表す。

暗くおぼろげではあるが、明けていく期待のようなものを感じる。

 

西欧的な二元論、二者択一の理論の破錠


自分の信じるものが絶対に正しく、他者の信じるものがそれとは違う場合は、断固拒否し、排除するという「原理主義」が、果てしない争いの世界を生み出している。


「なんとなく」というニュアンス

一見いいかげんな雑談や情報交換のやりとりを通じて、なんとなくお互いの気心が知れてくる。この「なんとなく」というニュアンスが大事で説得というより聞き上手の構えをつくるのである。

 


そもそも、今、効率主義がよしとされているのは、狩猟民族を祖とした欧米人たちの発想である。今日、獲物が捕れなければ、家族や自分が餓死をすることもあるのだから、これは獲物が逃げる前に、また何者かに奪われてしまうまえに、とにかく最速でしとめなければならない。

そんな彼らにとっては、農民の春に植えて秋の収穫を待つというような、成り行き任せの発想は死を意味する。しかし、逆に、自然環境の変化に身を任すしかない農耕民族の生き方にとっては、「白黒はっきり、何事もきっちり」の効率主義は本来なじまないものなのであ。


曖昧ではあるが自分の目や耳や鼻を信じて、その教えるところに従って行動してみる。すると次第に自分の勘や感覚が生き生きとしてきて、人間が持つ本来の動物的本能のようなものが蘇るのだ。

 

ものづくりには直感が大事。
「これは、なんだかおもしろそうだからやってみようw」くらいの感じでだいじょうぶ。

売り上げや経済的なことを気にするあまり、チャレンジ精神を失えば、それはいずれ衰退していくのだ。

 

「とりあえずやってみる」という拙速主義の効能。
境界の取っ払いがすごい効果を生み出す。湯布院。

 


一直線にスパッと言い切ることがよしとされていて、ただ結論を先に言って、論理を運ぶというスタイルにみんな傾倒しすぎている。


「間」を持つ文化には、語られた言葉以上にさまざまな思いや考えが込められている。
まさに、この「間」の中に、深く広がりを持つ曖昧力があるのだ。

 

「遊び」の余裕がなければ、常に細かい修正の連続になってしまい、運転が極めて困難なものになってしまう。

多少のブレがあることで、舵取りにも余裕が生まれ、安定走行、安全運転ができるのである。

とりあえず保留にする。適宜に処理するという曖昧さが、車の「遊び」と同じで人間関係を円滑に維持するにあたっても必要と言えるのだ。

 

国連にて・・・・・・
「西欧の皆さんには立派なバックがあるが、私はこんな小さな布きれで、地球を包めますよ」と言って
そこにあった大きな地球儀を風呂敷でぴったりと包んでみせて、
会場から驚きと賞賛を受けたという。

それにしても、地球を包み込むなどとは、 なんとも大風呂敷な話である。

 

若者「最近いろいろ考えちゃって、人生に意味なんてあるのかとか。係長はどう思いますか?」

係長「おい、おまえは意味だけで生きているのか?」

若者「いや、だいたいは寝て、飯食って、風呂入って、仕事して、遊んで生きていますね。言われてみれば『意味で生きている時間』ってそんなにないっすね。気づかなかったっす」

 


ザキヤマさんが
「寝るまでは考えてみる!あのときどーすればよかったのか、これからどうすればいいのか。それで見つかれば次からそうすればいいだけ。わからなかったらもう自分には一生できない事だって諦めて寝る」的なことを言っていて、さすがだなと。

あと、
悩みはありますか?って聞かれてて、

「ありますよ~僕にだって!!ん~~悩みが無いっていうのがねww」
って言ってて、

考えても導き出せないなら諦めて投げすてちゃう方が楽ちんだなって思わされた。

 

 

結局、文字を収集したいってことなんじゃねーかな?


だとしたら、本を買うのもいいけど、図書館で借りると

少しお金が浮くじゃない。別に買ってもいいけどさ。


買うのが目的ではないんだし。


むしろ買わない方が逆にスッキリと暮らせそうな気もするが・・・・・・

なんというか無駄がなくなり洗練されそうなイメージすらある。

 

「所有」ではなく、「使用」することこそが大事でしょ?

 

本は最高のコストパフォーマンスを誇る投資。


断言するが、こんなに効率の良い投資は他にない。

 


(※こんどカラフトのおばあちゃんの話をしよう)

 

ノウハウの吸収には、税金は掛からない。

知識に維持費は生じない。

知恵は何者にも奪われない。

 

 

 

市場に直結すること、自前のビジネスやコンテンツを保有して、世に売り出せ。

容姿と人格の向上に大きなウエイトを割いてほしい。


全ては金と学習でパラメーターはある程度いじれる。

 

 

低コストではじめ、低コストでやり続けることが実はもっとも強力な成長戦略だと感じる。


まずは努力よりも自身の観測方法を確立せよ。あなたの旅路の一理塚をつくろう。

 

 

 

 【行動】 = 【動機】 × 【能力】 × 【きっかけ】

      モチベーション  アビリティ   トリガー

 

飽きさせない工夫が必要。


学習期から安定期に移行せず、学習期を引っ張り続けることが


行動を継続させるポイント。


安定期は、離脱期のはじまりと言えよう。マンネリ感が出たら注意しよう。

 

飽きさせないことの重要性はプロゲーマーの梅原さんも言っていたなぁ

 

飽きないことによって継続は生まれ、継続することにより成長がある。


安定した成長のサイクルがあるということは非常に価値があることだってね。

 

 


事業を安定させるためには、得意先の数が多いことは重要な要素。

 

消費者は価値が高いと感じれば、高いお金を払ってでも、その商品を買い求める。


より多く儲けるために悩み続け、いろいろとトライし続けよう。


いろいろと知恵を絞った経験というのは、いずれ間違いなく成果や成績につながってきます。

 

 

今すぐ役に立つかどうかはわからないけど、本を読むこと。


そうやって、自分の中にたくさんの点を持つこと。それを続けていれば、必ずいつの日か、点と点を結ぶことができます。


ハングリーであれ、愚かであれ。


大愚。


とりま、いきる。

無理して恋人を作らず、まずはさみしさを癒やすことからはじめるのです。
一人の女性に寂しさを癒やしてもらおうと必死になると
女性にも負担がかかり

結果的に女性との関係も気まずくなりがちです。多くの女性の友人を持つことからはじめていくと女性に迷惑や負担をかけることなく

また自分も楽しく、女性の友人と交流しながら自分の中のさびしさをゆっくり癒やしていくことができるようになります。

友達をたくさん作る。経験上、これが一番の得策だと思いました。

 


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わたしに似た人へ


若い頃は自分と似た人を探して安心しようとしてた。

でも今思えば、自分には理解できないようなことを息をするように考えたり

やったりしている人にもっと興味を持つべきだったよ。

 


それで

「あっ、それもアリなんだ!」っていうのを

もっとたくさん目の当たりにしてたらね


自分に似た人に自分を肯定してもらうのを待つよりよっぽど、自分で自分を肯定できてたんじゃないのって思います。

 


なぜ友達の数を増やすのか

友達の数を増やすことについて抵抗感がある人もいると思います。


「私は少数の深い友達がいればいい」

それも良いと思います。


しかし友達の数が少ない人は、その数人の友達に全てを求めてしまいがちです。


私も割とそうでした。


自分の全てを知っていて受け入れてくれてずっと好きでいてくれて

いつでも遊んでくれて、メールもくれて

長電話もできて、愚痴も聞いてくれる友達。

 

しかし、人は変わります。結婚で変わる人も子供ができて変わる人も。

転勤などで否応なしに遠くなる人も。

この世からいなくなることも。

 

だから私は大人になってから新しい友達を作り続けることに賛成です。

 

また大事なのが世代が違う友達です。

これは学校では作ることができにくい種類の友達です。

友達の数というのは「自然減」があるのっで、自分から増やそうとしない限り減る一方なのです。

 

 

ひと昔前なら、結婚していなくても、子供がいなくても

男は仕事さえ頑張っていれば、社会的に承認されていた。

“会社”というコミュニティが男性のアイデンティティを支えていたのです。


でも、今や会社というコミュニティそのものが気薄になっている。

仕事が男性のアイデンティティを支えてくれなくなったことが、迷走を生む一番の原因なのかもしれません。

 

 

現代は「意識的に自分自身をデザインし、ブランド化していく時代だ」と考えている。


天才とか偉人と呼ばれている人は、学ぶことがうまい。あるいは学ぶ情熱に溢れている。
読書のトレーニングは、筋力トレーニングと似ている。


活字量は、基本的にその人の思考速度に比例します。


環境が、激変する現代は「何事にも屈しない鋼のような精神力」より

むしろ、「どんな変化にも対応できる精神力」が必要。

 

脳内と本棚の図書館が貧弱だと、そのときどきの自分の感情が世界の中心になってしまい
すぐに腹を立てたり、絶望したりしてしまいます。

 

やじろべいは腕が一つだけだと、パタッと倒れてしまいます。
腕が多いほど、そして長いほど、やじろべいは倒れにくくなります。
本棚を持つことで、そういう強い心の支えを自分のものにできるのです。


他に従属しない独立自由をめざして、犀の角のように独り歩め。

犀の角が一つしかないように、正しい道を求める者は、他の人からの意見に煩わされることなく、
たとえただ独りであったとしても、自分に確信を持って生きていきなさい、というわけです。


ブッダ
「人が何をやったか、やらないかを気にしないで、自分のやったことのみを見よ」


読書をすることにより、頭の中のイマジネーションの世界に遊ぶ。そんな人にしかできない娯楽を生きている時間内に楽しまなくてどうするんだ。ということです。

 

実に便利に享受できるような遊びというのは、脳を使わない分、やっぱりやりがいに欠ける。喜びは自ら作り出した方が面白い。
受け取ってしまうよりも、やったことのほうが面白い。
だからたぶん、つくるのが面白い。

 

修行時代には、これがどのくらい将来お金になるかとか、そういうことを考えないで、勉強するということが大切なんだな。


言葉の力は偉大です。言葉というものを中心に据え
はじめて、私たちは自らの感覚や思考、個性などを整理し、人間関係能力を高めることができるのだと思います。

 

 

反省させると犯罪者になります。
反省文は、反省文を書かされた人の本音を抑圧させているということです。
抑圧はさらなる抑圧へとつながり、最後に爆発する。

 


孤独になるのが恐かったこと
子供が自分の弱さを言えたとき、聞き手は
「よく話してくれたね」とねぎらいます。

否定的な感情をはき出すことが出発点。
問題行動が起きたとき、その直後に反省させることが
いかにダメなことか。

真の反省は
自分の心の中につまっていた寂しさ、悲しみ、苦しみといった感情を吐き出せると、
自然と心の中から芽生えてくるのです。

 

本音を話し合える時間を仲間と共有できたことへの喜びです。
否定的な感情を吐き出せなかった者も、出せた者も
共通して言えるのは
彼らはみんな
「人は人に頼って生きていく」
という考え方を身につけたことです。

 


自分の生き方の問題点を自ら洞察し、
「ありのままの自分」「弱音を言える自分」でいいという価値観を持つ。
何より人に頼って生きていく方法を身につけることです。
人に頼って生きていくことができれば
彼らは「人」の存在の重要性に気づくことが期待できます。

重要なことは表現すること。

人に頼ることを大切にする。

 

 

 

自分を低い位置に置いて謙遜してダメだダメだと言い続けるのは、はっきり言って時間の無駄です。社会生活を過ごすために、表面的にそんな風に振る舞うのは何の問題もないのですが、こういう「謙遜的態度」が心の隅々まで染み渡って
本気で「自分なんて・・・」とかやっているのなら、それはやめましょう。

 


自分はこの部分が欠けている。他人にはこの部分があるのに、なんで私だけ欠けてなきゃいけないの?という不満です。

 

無いものねだりでスネていじけています。
確かにあなたは完全な人間ではありません。
自分は完全ではないという、ごくごく当たり前のことすら全然受け入れられない程度に
自分に甘いのです。

あなたはあなたなのです。

どんなに暴れようがいじけようが
今あるものだけがあなたのものです。
その事実を受け入れない限り、現実は歪んで見え、この世の不幸やつまらないものばかりが目に映るでしょう。

 

呼吸をとめてなるものか。この呼吸が続くかぎり。


低コストではじめ、低コストでやり続けることが
実はもっとも強力な成長戦略。