せっかくもらった人生、せめて残りの時間だけでも自分らしく生きようって。
私は今心からそう思っています。逆に若い時にもがき苦しみ続けたからこそ遅咲きでも輝けるのかもしれません。

 変化することが大事なんだ。少しずつでも、時間が立てば、その積み重ねで、だんだんと本当に変化していきますから。無理する必要はありません。今から少しずつ始めてください。
刺激や痛みを受け入れるような行動もしてみてください。

すぐ辛くなるのは当たり前だと思って、悲観しない。挫折しても、前を向いて淡々と行動をしていきましょう。

絶対に重要なことは「自分を許す」ということです。何度失敗しても、自分を許すことができれば、早く立ち直りますし、すぐに前向きになります。すぐに次の行動に移せます。

失敗はします。必ず。その失敗を自分自身でどう捉えるか。
今が0として、明日が1になるように頑張ればいい。それを意識すれば、
一週間後には3になり、一ヶ月後には10になり、一年後には50になる。

 

一方、絶対にやってはいけないのが「他人と比較すること」他人と比較するから劣等感を感じます。他人と比較すると、今の状況が0ではなく、マイナスからのスタートだと感じてしまいます。


自分自身が自分の敵になってはいけない。つまり、どんなときでも自分自身は自分の味方でなければならない。ということです。


自分を許す。自分を受け入れる。自分を好きになる。
これがとても大事だと思います。できるだけそう考え、意識しました。
それに伴って、自分の人生が本当の意味で好転していきました。

それだけ、自分を受け入れられるかどうかは大きな影響があると私は考えています。

 

たくさん経験してみる。イベントに出まくったり、本を読みまくったり、触ったことのないツールも沢山つかったし、
「こんなの、自分の歳からやる意味ない。」

とか考えずにガンガンいろいろやってみた。

 

 

 

 

出会いと会話のネタが広がるからネタを手に入れることが出来るという視点。
資格にチャレンジするときも、新しい出会いの場に足を踏み出すさいにも、結果はともあれ
話のネタが入手できるというメリットを常に意識しています。

新鮮なネタを手にするためには、洞察力や好奇心を常に働かせる必要があるので、おのずと感性や知性が磨かれます。

そして、ネタをアウトプットするために、誰かに会いたくなるような気力と行動力も向上していくわけです。

今ある条件を使ってできることがいくらでもある。


20代のころの貯金なんて人生の面白さに変換されなかったら死に金。

30歳で自殺したあいつの貯金額は300万円だった。もったいない。
死ぬ前に使ってしまえば良かったじゃん。

ほったらかしにして、遊びの部分を残す。


人生は暇つぶしだと思ってから急に自分が軽くなって、新しいことをどんどん始められるようになった。たかが人生おどらにゃそんそんである。

どうせ劇も始まったことだし、思い切り舞台の上で暴れてみようか。

オプションを持って「あえて」という感覚で取り組むことの強さがそこにあるような気がする。


自分の自信の核になっているのは、勝ったことではなく、負けを受け入れ、そこから立ち直ったこと。


勝負に負けたことくらいで傷つかなくなったことである。
人生は長く、勝負は無数にある。負けない工夫より、負けにふてぶてしくなるほうが最後は強い。


柳のように受け流しとけ。

 

ナポリに行き、自分がいかにつまらない自縄にしばられていたのかつくづく考えた。
いいのよ、人生なんて生きたいように生きたが勝ち。
早くわかっていたら、くだらない後悔しなくて良かったのに。
人に迷惑をかけぬなら、好きにやったほうがいい。

とりあえず眠る。本当に嫌なことからは逃げていいと思う。死ぬのだけは辞めよう。

 

ほんとーにくだらないんだけどさ、ネットで見た方法が私にはドハマり。
苦しくて苦しくて死にたい時ってあるじゃん?そんな時に
「ああ、死にたい・・・ついでにおっぱい見たい」って呟くとなんか自然にニヤニヤして
死ぬのがどーでも良くなるwww
多分男の人がやるんだろうし、キモいのは承知だけど、心が軽くなるのは事実ッ!!

 

死にたくなったら「ナニクソ、ここでくたばったら今まで耐えた意味がないじゃないか。見返してやる。」って思って耐えています。


できるだけ人と関わるとか、仕事に没頭するとかが一番いいらしいね。ひとりの暇な時間が続くと暗い考えしか思いつかなくなるから。


自分の許容量以上のことまで考えすぎちゃうのね。
だからバーストして泣いちゃうんじゃないの。
ただ、野生が足りない。あなたのように、起きていないことを考えて不安になるなんて馬鹿馬鹿しいと健全に言える程度の強さはほしいですよね。

結局、自分で答えを探さないといけないという答えを見つけた。
渾身に力をこめて何かを表現してください。表現することは生きることです。


生きているだけでかけがえのない存在ということです。
一度きりの人生。生を受けた限り、生きているからこそできる気分転換や楽しいことをしつつ、生きていきましょう。

 

でも、生きているんです。わからないことだらけだからこそ生きるしかないんです。
先が見えたら逆に生きる意味もないなって気づきました。
わからないことだらけだから人生は面白いって言えるかもよ。

 

立ち向かうことが必ずしも正解という訳ではありませんし、私たちも所詮生き物。弱いです。自分を守るために逃げることのどこが悪いのでしょうか。

 

あなたは十分に頑張っていきてきたでしょう?耐えられなくなったら、逃げてください。
自分が壊れてしまう前に。
逃げて、逃げて、逃げて、そして落ち着いたら、その時にゆっくり考えればいいのですよ。

だから出来たら生きながら逃げてほしいです。
生きている間の苦しみは、逃げ切ることができます。暇つぶしに人生を生きてみます。
人生に少し期待し過ぎていたのかもしれません。だけど、逃げる方法に死を選ぶのは少なくとも良い方法ではないですよね。

 


生まれてから死んでいく。それだけでもたいしたもんだ。
どうせ死ぬなら、その前に仕事をやめて旅に出たりしたいと思う分、前よりずっと図々しくなれたかな。死ぬのは今日でも明日でも実行に移せる。
だからとりあえず今日を生きて、また次の日の一日を生きてみてそれを続ける。
時間が経てば、傷もカサブタになって痛まなくなる。

なにもかも嫌になったら良くなろうとしなくていい。無になろう。そこからだ。
とりあえずみんながんばるな。

 

おそかれ早かれいつか死ぬんだし、テキトーに暮らしたらいいや。
やりたい事を全部やってから死んでも遅くないさ。やりたい事がなければずっと寝てるのも悪くないさ。

 

良いことも悪いこともずっと続くわけじゃない。死ぬのはすぐできるんだから明日でいいやって思って毎日を過ごせば、そのうち楽になるよ。

先のことを考えているから楽しくないんだよ。今楽しいことをやればいい。
どっちみちお先がないなら今から悩んでも仕方ないし。

 

 

 

楽な姿勢をとって、今の一秒を意識してほしい。
ほとんどの悩みは過去と未来を一瞬に詰め込んで、爆発しそうになる苦しみだから。
昔の失敗を思い出してももうどうしようもない。
この先が不安でも、今現在君を責める人はいない。それを意識してほしい。

自分の成長を判別するのは自分の「内的な評価」であって、外的な評価に依存しないことを知っている。

 

だから、外野からいかに批判されようと、基本的な対応は決まっている。

 

言葉は悪いけど

 

「知るか、バカ」

ということだ。

 

勝ちだけを意識した取り組みでは強くなれない。成長しながら力をつけることで自分が楽しいし、いい結果が生まれやすい。

 

最終的に自分の身を守ることになるのではないかと思う。
行動力がない人には共通点がある。
リスクと捉えるものが多すぎること。

 

読みや直感は、行動に移さないと鈍る。動くことで自分の能力がフルに発揮されることを強いプレイヤーは知っている。

小さな気づきを見逃さず意識できるようにする。

 

成長できたとしてもむやみにハードルを上げない。

目的は成長のループを安定して継続することにある。

刺激に対する敏感さを持つことは成長の大きな助けになる。


成長するためには、持っているものを一度全部捨て去る必要がある。将来勝つために敢えて敗北を受け入れる必要があり、これを『負の投資』と呼んでいる。

 

 

心と時間は並行して走る二つの直線として想定している。

集中している時は2本は併走しているが、心が動揺すると過去に囚われ、時間の流れに遅れてしまう。

そんなときは意識を呼吸に静かに乗せて、心を今という瞬間においておかなければならない。これができたなら、敗戦からも貴重な教訓を引き出すことができる。

 


勝負強い人間は勝負の時、“今”に意識があって、未来と過去に意識が向いていない。


失敗をしたらおしまいだよと言い続けると失敗を恐れ評価を気にするようになり縮こまる。

恐れは心を縛り、動きも縛る。

そもそも、その恐れが何処から来ているのかをよく知っているかが、結果につながる。

結果を出すためには結果にこだわらないで楽しむ。

価値づけるための行為を夢を追う行為だと思っていると、やってもやっても満たされないことに気づく。夢中は価値云々を捨てたところにある。

 

学ばなきゃいけないものはやってみないと見えてこない。学んでから体験しようなんて順序が違う。

アスリートも、楽しいからやっていたスポーツが続けていくうちに気がつくと真面目化して義務化する。義務化したスポーツは創造性を失い、のびのびとプレーできなくなり実力が落ちてしまうというジレンマに陥る。期待されノルマを与えられながら、その中でどう遊び性を保つか。


新しい発想や着眼、クリエイティブなものは、どうしても、いろんな視点に身を置いたり、
普段の発想から外してみたりと遊びの要素が必要になる。

遊び的なものは、いつも非科学的で、非強制的だから、あの選手は真面目すぎて伸び悩んでいるというような表現もぼくらの世界ではしばしある。


真面目さを助長するのは期待。だから遊びを保つには社会からの期待をある程度裏切らないといけなくて、でもその時に自分を縛るのは、
「“期待に応えなくてもなお自分は必要とされるのか”という恐れ」
自分が自分のままでいる事への抵抗感をなくすことと遊びは関係がある。

 

ムラ社会は、一度ムラ社会を外から眺めるまでは、自分がムラ社会にいるとは気づかない。
空気は想像以上に人を押さえ込む。大事なのは外に出ること。ムラがある事に気づくだけでもだいぶ違う。

 

 

もうね、そんなことはどうでもいいじゃないかwww

そんなこと気にしている場合じゃないのですよ。


なんてったって
こちとらしつこい男なのさ
ネチネチ永遠とやってやら


そんで何処までも同じことをやり続けて
今を生きたい。
今に集中していたいのだ

そんで、その結果どうなるのか見てみたい。


きっと凄いことになるぞ〜


このね、
『死にたい』っていう気持ちを上手く利用できればいい。

死ににいく感じってあるじない。その感じを出していけば辿り着くよ。


むしろ、自分から積極的に破滅に行ってみればいんじゃねーだろうか?
死ににいく、というか。


自分から積極的に転落してみる。攻めの転落は怖くない。守りの転落よりは。
転落のタイミングは自分で選べるわけだし。


おれなんかは、もう生きてなくていいかなって思っている口で、

あーめんどくさいなー
生きるのがーって感じよ
だるい。

まあ明日は明日の風が吹くだろけど

なすがまま、なされるがままにゆこう。五月のゆるみ。

幸福の持続を考えないですむためには、今日のこと、今ここだけに意識を向け、日々を充実したいものにしたい。

人は変わろうとする努力をやめた時、初めて変われるのだから。

自分の生き方は独自なものなので、誰か他の人の生き方を真似る必要はないと考えることができれば、自分ではない誰かに「なる」必要はなく。この私で「ある」ことで満足できる。


未来を考えずに、「今ここ」を生きることである。


人は幸福にならなくても  幸福で〈ある〉のなら、生き方も変わってくる。
今ここを生きればいいからである。

問題があろうが、病気であろうが、理想とは違おうが、今ここで供にいられることの喜びをふいにしてはならない。


いつか“何か”にならなくても、今ここで生きられることの幸福を噛み締めたい。


あわててはいけない。先に無限の時間があると考えて落ち着いていなければいけない。


人間はいつまで若いままなのか、と問われ
「自分の前に永遠があると考える限り」
と答えた。


いわば時間を超越して生きれば、いつまでも若く生きることができるだろう。


では、自分が老いていると感じる人は?

たぶん、彼らは永遠を信じていないのでしょう。

しかし、年齢を重ねることに意識を向けず、余命にもとらわれず、

今しなければならないこと、できることだけを考えて生きれば

人生のあり方を大きく変えることができる。

 

江戸時代、「遊ぶ」ということを尊びました。
遊びというのはプラスの概念であって、教養ある人や余裕のある人にしかできない
高尚で粋なものだったわけです。

その過程で失われてしまった「遊び」のゆたかさや、日本人らしい感性のゆくよかさのような部分が、努力を重視しすぎたあまり貧困になってしまったことは否めません。

遊びは脳の栄養。

生きていくために必要なことしかしないというのは、じつに貧困なことではないでしょうか。

努力というのは生きていくために必要なものですが、必要な部分以外にも
リソースを割けるということが豊かであり、清練されている証拠です。

文化、芸術、形而上のもの。
人間らしい部分がリッチであるというのはそういうことです。


人間の脳は機械のようにシンプルで合理的にはできていない。
努力以外の遊びの部分というのは脳にとってエサともいえるのです。


役に立つことしかしない人間は家畜と同じ。
「日々の生活を楽しむ」という遊びの部分を見失わないように。


一見、損しかしないような非合理的な意思決定をするというのは、
人間に独特なもので、高度な機能なのです。


役に立たないことをリッチに。
自ら「役に立つネジになろう」  「役に立つ歯車になろう」と思ってしまう。

限りある人生ですので、そんな努力をして本当に楽しいのだろうか。
と私は思います。

 


本当に難しいのは、役に立たない部分をリッチにしようとする努力です。

 

ワーキングプアだといって嘆いている人たちには特徴があります。それは働いたら
その分だけ誰かから給与としてお金がもらえる、という発想で働いている点です。

 

起業してサービスを自分で提供するという形なら、いくらでも稼ぐことができる。努力のしがいがあるところです。


実際に貧困だというよりも、発想が貧困ではないでしょうか?


構造を壊すのではなく、利用する工夫を。
壊さなくても、現行のルールに沿って、それを利用することで工夫して稼ぐことは可能です。


自分を取り巻く空気の中に存在している暗黙のルールをいち早くつかみ取り、
それを言葉などによって転がすことで多くの人を楽しませ、不満を解消し
だくいんを下げさせ、そこから利益を得るのです。

時代を斬る感覚が鋭く、
言葉の扱いが巧みな人であれば、
おおきな財産を作ることができます。


才能があるかないかというのは、自分が持っている適正を知って、
自分の評価軸を確立できているかどうかということに尽きます。

評価軸は臨機応変に変えるべき。

 


ものを覚えられないというのも、すごく大事なことです。忘れる機能というのは
精神の安定や運動習慣の最適化に関して重要な役割を果たしているということが、
最新の研究で明らかになってきています。

 

適切に忘れられるという才能というのは

嫌な出来事から早く立ち直れるという心の強さを持っているということに
ほかなりません。

 

理由はいいから早くやれ
欲しいオモチャは我慢するな

人とのつながりが大切なんだな〜とひしひし感じる春。
確か去年もそんなことを感じながら生きてたんだよな。

人とのつながりがあれば死ににくいし、
安心感につながるんだなぁ

安心感を与えてもらってるな無意識のうちにさ
ありがたいことです。感謝。


昨日を乗り切ったのは
デカイ功績だ!

今日も生きる!
呼吸を止めてなるものか。


考えて足が止まっちまいそうになる。
だから考えるなとにかく進もう。
あ、でも逃げること、避けること、無駄を抱えていくことを頭の片隅に置いておけ。

それも大切。


おれはこのままなのか
それともこの先に何かあるのだろうか?

不安だけがある。
しかし先に進むしか選択肢はない。
だからやることは何も変わらないし、
だから迷わない。

不幸になってもいいや
損してもいいや

とにかく進むぞ。

ブロガーになりたいBOY

経験と実績がない
プレイBOY


季節は立夏!いざ参る!