いつかは死ぬ!その通りです。楽しんだ方が勝ちです。 元気に動ける間に時間とお金を使おう

このゲームは不親切な側面がありますが、疑問点を一つずつ丁寧に解決していくと、しっかり攻略に進めます。ただ、本シリーズの仕様上のクセ(NPCに話かけてクエストをちゃんと読み込む)に気づくまではしんどかったです。ドグマ信者はこの不親切を含め、その先にある何かに快楽を覚え、覚者になっているのかなと朧気ながらに感じました。何とか最後までプレーしてみます。

 


「試したくなる」で自然にスタートを切れます。

「試してみたい」と思うものだったらなんでもいいわけです。

新しい技法を覚えたとか、

自分にとっての新しい武器が思想や哲学でもいい。

 


人は遊ぶために生まれてきているのだから、いくつになっても遊びたい。

ただ、平日に仕事に追われて、週末は疲労回復に努めている、都市部で忙しく働いている人の中には定年退職して仕事がなくなった時に呆然とする人がいる。

だから、趣味は退職してから探すのではもう遅いのだ。

趣味を問われて「特にありません」という人は常に上級者がいることに怯えているからだ。

そうではなく、今ハマっているものはコロコロ変わっても良い。

遊びは究めてはならないのだ。

 


笑ったのは、著者の『ファイナルファンタジー』へのハマりっぷりだ。

その時にはすでにマイクロソフトはやめていたというが、投資コンサルティング会社の社長で、出社もせずにゲームにハマっていたという。

社長であるにもかかわらず、社員からいくら呼ばれても会社に行かなかったという。

飽きるまでやって、飽きたので会社に行くようになったのだとか。

ここまで遊びに没頭するというのは羨ましいというかなんというか。

著者のこういう自由な生き方が好きだ。

 


この本では一貫して「遊びはテキトーでいい」「遊びなんだから途中でやめても誰にも迷惑をかけない」と主張されている.

それに救われる.

そしてそのように「別にいつやめたっていいや」「つまんなかったら別の遊びしよう」という心構えを持つと,心から力みが取れ,楽しむことができるようになる.

これは主人は趣味・娯楽ではなく自分であるということを思い出すことにも起因していると思う.

 


徹底的に気楽になること.

途中で投げ出してもいいんだ,とゆったり身構えること.

これは何も遊びに限ったことではなく,人生の多くの場面で適用できる思考法だと思う.

 


「自分にはこれしかない」と背水の陣で物事に臨むのはかっこいいし,それで結果が出る人はそうすればいい.

 


しかしそういう心構えで挑むと義務感からパフォーマンスがガタ落ちしてしまう人は多いと思う.

パフォーマンスが落ちるだけならまだしも,日常のあらゆる面において義務感が顔を出し,精神的に,結果的には肉体的にも息苦しくなってしまう人.

自分はそのタイプだ.

そういう人は著者の言う通り,テキトーに気楽に物事に臨めば,自ずと良い結果がもたらされると思う.

 


「いつやめてもいい」これを合言葉にして生きていきたい.

 


までクソ真面目であり、真面目はクソなんだということをこの本から教わりました。

具体的に真面目というのは、

・何をやるにしてもやりすぎる(結果、なぜか全く楽しくなくなる)

・趣味をやれば世界を目指してしまう。(結果、趣味が仕事みたいになってしまい、苦しみが伴う)

・規範や決まりごとを守りすぎる

そう、僕は悪い意味で”大人”になってしまっていたのです。それを、「もっとテキトーでいいんだよ(笑)」この本がブチ壊してくれました。

本の内容を実践しているうちに「成功」とか「人生論」とか、幸せになるためには何か難しいことなんだと思っていましたが、「なんだ、子供のままでいるだけでいいんか(笑)」と、めっちゃシンプルなんだなと。

今では、「成功するため」を理由に全くしていなかったゲームをはじめ(PS3買いました)、歌舞伎にも興味を持ち、小説を読み、そういった”無駄に思えるけど楽しいこと”をしているうちに、感覚的にですが子供の頃のワクワク感のようなものが蘇ってきていて、人生の素晴らしさというものを味わっています。

 


そうすると不思議なもので、いろいろと仕事でもいいアイデアが浮かんできたり、人間関係は良くなったりと、まさに人生が変わりました。

 


肝心なのは、遊びの本質。日本人はまじめでオタクになりやすいので、趣味にしても遊びにしても、すぐにムキになって頑張ってしまう。頑張れば優劣をつけたがる。それが嫌なら、「私などまだまだ初心者ですので~」とへりくだる。遊びはゆるゆると少しずつ上達するのが良いと、この本は説く。成長の余地があるから、遊び。なかなか簡単に言えることはないと感心。

 


著者は、一つの遊びを極めるのではなく、本を同時並行的に乱読するように、広く浅く手を出す遊びを提唱している。一つと決めると、周囲の人間との競い合いに発展し、リラックスできる遊びが、徒労感を生み出す行いへと変貌してしまう。自分が興味のある遊びに首を突っ込み、遊びは無駄なものと割り切りながら、我を忘れて打ち込める遊びに時間を割くことが、人生を楽しむために寛容なのである。

 


「遊んでいる人は魅力的だ。」これはどうやっても否定出来ない。

遊んでる人に対する印象は、遊ぶ余裕があるというだけでうらやましいとか、遊びの話が面白くてもっと聴きたいとか、何かやらせたら面白くしてくれるんじゃないかとか、友達になりたいなど、良いことづくめ。

ならばどう遊ぶか。それを教えてくれる本でした。

遊びはまじめに続けるような物ではなく、「やめてもいい」「飽きるまでやる」。

すでに遊びとして定義されているものを始めなくてもいいし、自分で名前をつけてしまえば、オリジナルの遊びになるという考え方はとても楽しい。

百名山を上らずに見るだけ」それも遊びなのだそうだ。

 


やりたいからする、遊びは人生を豊かにする、

義務感に追われてやるようなものは、遊びでなくなってしまう、

気楽に、楽しめる遊びをいろいろ見つけて、

今人生を楽しまないと、もったいないよー。

 


「何か自分が生き生きしたいな」と漠然と思うことはあっても、「よし、遊ぼう」とはなかなか思えない。

ところが筆者は、オリジナルの遊びの開拓者となるべき、これは、イノベーションにもつながると、爽やかに伝えてくる。趣味と趣味の意外な結びつけを見つけても良い、百名山を登らずに撮るでも、旅行に行ったら必ず市役所の写真を自撮りで撮るでも、面白いという。「こんなの、遊びなのか?」と思えるのだが、遊びに名前を付けると、立派な遊びになるのだそうだ。「積層系」(時間のかかる、盆栽や歌舞伎鑑賞)は、早めに始めたら良いと、背中を押してくれる。

本書を読むと、「遊び」を難しく考えずに、自分の思い通りのこと(さらにそれに微妙な味を加えて)をすれば良いだけであると、背中を押された。クリエイティブな積層系を始めてみるのも、面白いなという気持ちでいる。

 


『「できないこと」を無理に「しよう」とする必要はないのです。「できないのが当たり前だ」という感覚をぜひ忘れないでほしいです。』

そしてなるべく若いうちからしたいことを見つけること。

 


年齢を重ねるほどに、人生は「ありとあらゆることが実験だ」と思うべき

●60代以降が日々を楽しく暮らす上で最優先すべきは「やってみたかったことをやること」

●何よりも大切なのは「体も脳も使い続けること」

●「他人と比べる価値観」をいち早く捨て、とらわれなくなった人こそが、本当の勝ち組

 


日本人は元々心配性でストレスが溜まりやすく死因も癌が多い。

日本の医学会は西洋人の生活習慣病重視の考え方が持ち込まれ日本人に合わない。

心配性の日本人こそバランス的には『やりたい放題』と考える位がちょうど良い。

 


特に注目したのががんへの考え方。

がんになったら治療をせずに思う存分に生きようと書かれていて、確かにそうだと思えました。ちょうど兄ががんと闘病の末亡くなったばかりで、痛く染み入りました。

 


いつかは死ぬ!その通りです。楽しんだ方が勝ちです。


元気に動ける間に時間とお金を使おう


じっとしていることで何かに出会う人もいる

自分は、だれも求めていないようなものを、求めてもいいはずですし、他人が嫌うようなものに、意義と価値を見出しても構わないはずです。

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ジムに通うなど現役時代の感覚と肉体を失わないようにすることは案外重要です。精神は肉体に宿る。

 
私もあなたと一緒。ゴキブリ精神でともにフリーとして這いつくばっていきましょう。

 


自分は、だれも求めていないようなものを、求めてもいいはずですし、他人が嫌うようなものに、意義と価値を見出しても構わないはずです。

 


幸せの量に合わせて福が来るのであれば、小さな幸せを積み上げたほうが、たくさんの福があなたに降り注ぎます。

 


一言でいうと、最近のぬるいゲームに一石を投じた本当の意味のロールプレイゲーム。

俺もゲームは遊びじゃないって部類のマニアックな人間ですが、ドグマ2はかなり高評価です。

これからあの街まで長い距離歩かないといけない、ちゃんと薬調達しないといけないな。

もしかしたら死ぬかもしれないから高い金払ってでも宿に泊まるか。といった駆け引きが無茶苦茶おもしろい。

普通のゲームだったら空気になりがちなパーティーメンバーにも普段から気をかけておかないと、取り返しのつかないことになる緊張感(竜憑き)

セーブデータが一つしか無いのも、何度も巻き戻して自分の気の済むように、なんて生ぬるい事を許さない開発の意図が読み取れる。

皆が不満に思ってる、ファストトラベル、セーブ、竜憑き、全てにおいて緻密に計算されていると思っている。

言われてる通り万人には受けないし、寧ろ7,8割のユーザーには拒否されると思いますが。本当に刺さった人は心から評価してると思います。珍味みたいなもん。

 


待ちに待った作品だが、個人的には満足の出来栄え。

しっかり熟成し、期待を越えてくれた。

確かに最近のオープンワールドと比べるとプレイのしにくさもあるかもしれないが、「ドグマ」としての続編を望んでいた身とすれば、これぞ正統続編と言える。

良い意味での変わらなさは評価したい。

自身、前作は3つのハードでやるほど好きで、長期に渡りハマっていたが、本作でまた向こう10数年は遊べるかと思うと嬉しい。

一部、カクつき、モーションブラーなど不満を持つ人もいるようだが、正直自分はなんとも思わないのだが、、

これまで現役でダークアリズンをやってたせいかもしれないが、全然快適にプレイできている。

前作ファンなら間違いなくオススメできる。

ただし、快適なオープンワールドを期待しているならちょっと違うのかもしれない。

ドグマらしさ、という点ではプラスになる評価も、人によってはマイナスになってしまうだろう。

システムを理解して購入するといいと思う。

 


キツイ重量制限…

いやいやドグマやってない勢の

お言葉ですな。

重量制限やファストトラベル

荷物預けのシステム

これぞドグマの世界観ナンデスヨ!

従来のRPGがやりたいなら

ドグマは向かないです。

自分は甘甘システムRPGが好きじゃないので。

四次元ポケット持ってんのかい?的な

何時でも何処でもひとっ飛び

ぬるい世界だ…

もともとドグマとは苦行を強いられる

作品。

ちゃんとドグマという作品を

調べてから

プレイして欲しい…

 


最初は、とにかく不便、面倒。

 


エストをこなしていくことで、徐々に不便さが和らぎ、武器防具もそれなりに入手と強化が可能になり、気付くと貧相な服装から、ゴツゴツの鎧装備に。

 


目的達成感を急がず、一つ一つのクエストを、コツコツとやる気持ちで進めていけば、だんだんと自然に、時間を忘れてのめり込める、不思議な魅力が備わっている。

 


コンテンツボリューム盛り盛りで、道筋をある程度決められてしまっているような、導線が引かれた風呂敷全開のゲームのように「やらされる」わけではなく、目の前に用意された広大な世界を、己の力で少しずつ切り開き、少しずつ成長していく。

苦労を敢えて感じることで、それを乗り越える達成感と成長と喜びを感じられる、そんなタイトル。

 


ストーリー、世界感は、前作同様に過剰なファンタジーさはなく、硬派などっしりとした西洋風ファンタジー

 


広大なフィールドを歩けば、自ずと様々な出来後や洞窟に遭遇し、開拓心がそそられる。

モンスターの倒し方や攻略法は、同行するサポートキャラクターである「ポーン」によっても、決して一つではないので、様々な経緯や結果が発生する。

迫力満点の大型モンスターも、時には誤って?自ら川に落ちて、勝手に謎に倒れていくような笑えてしまうケースも。

 


不便、というキーワードはネガティブに見えてしまうかもしれないが、その不便を和らげる、もしくは乗り越えられる解法が、このドラゴンズドグマ2には

備わっていると思う。

宿屋宿泊費用は確かに高く、最初は憤慨したが、この怒りがあったからこそ、自分の家を買えたときに、その怒りからの開放感を味わうことができた。

 


アクション操作の気持ち良さは、流石のカプコンなので、充分にもともと備わっている。手触り感でストレスを感じることは少ないはず。

情報量はそれなりなので、UIがある程度複雑になってしまうのは、その他の魅力と相殺する形で許容範囲かと。

 


楽しむための敢えての不便さ、ストレスだと捉え、そして焦らず遠回りしながらでもクエストをじっくりクリアしていけば、

気付いたときには、この世界にどっぷり浸かって、さらなる冒険がしたくなって仕方がない気持ちになっている、そんな魅力にあふれています。

 


オープンワールドが好きなものの前作はやっていない自分ですが、不自由さが面白い、とか、好き嫌いが別れるゲーム、とか耳にしていました。

いざ、プレイし始めたらめちゃくちゃハマってしまいました。

他のRPGと違い、ファストトラベルなるものは簡単には出来ない&荷物の重さ、持ち物にも常に気を配らないといけない&外ではどこでもキャンプできずキャンプエリアでしか宿泊できない&急にめちゃ強のモンスター現れたり奇襲も多くて気を抜けない!などなど…その不自由さが、なんだかリアルで、すごく面白さを感じます。サブクエである場所に行かないといけない……どこだ…わぁ遠いな……準備しないと……みたいな、さぁやるか!とひとつのクエストにも腰を据えてやるみたいな感じで、でもクリアするとその相手との関係が深まったり、そこから新たな事実が分かったりと、ちょっと頼まれたものがどんどん進展していくのもとても楽しい。色々シビアで、ある人をどこかに連れていく依頼では、奇襲によってその人がいつのまにか〇んでしまってクエスト失敗となりますし(生き返らせるやり方もあったりしますが、どこに行ったか分からなくなることも)、セーブも1個しかできず詰みかけたとき慌てますし、急にメインポーンが崖に落ちていなくなり、慌てて戻って復活させにいったりも。その時の不安と寂しさたるや……メインポーンやポーンたちがいてこそ旅が楽しく、成り立ってることを実感。。探索はとても楽しくてつい洞窟など寄り道してしまうけど、奥のモンスターにボコボコにされたりしますので、簡単には行きませんし、戦闘を頭を使ってやったり、とにかく色々考えながら進ませるような奥の深いゲームだなと思います。

そういうところを楽しめる人にはもう最高でしかないです。逆にぱっぱと先に進めたいような人にはイライラするかもしれません。

キャラクリとグラフィックが神がかってるせいで、美男子を普段も、ムービーでも堪能できて幸せ…。欲をいえば、装備の非表示設定ほしい。。せっかくのいい顔が装備によって一切見えなくなるの辛いです。まだまだ序盤だと思うので、これから先の冒険も堪らなく楽しみです。

自分のために演奏してあげることで、心のエネルギーが回復することを認識できると、もっともっと音楽演奏の幅が広がります。

音楽の演奏とは、誰かのために行うことも一つの側面ですが、それはあくまで一つの側面にすぎません。観客がいなくても、演奏は成立します。自分のために演奏してあげることで、心のエネルギーが回復することを認識できると、もっともっと音楽演奏の幅が広がります。

 


音楽を演奏するというのは、決して特別な行為ではありません。昔から様々な行事や儀式などで、誰もが歌い、演奏する機会がありました。それは喜びを表し、ときに悲しみを表し、それは人を慰め、言葉にならない感情を外に放出する手助けをしてきました。音楽を奏でることは、誰もが行ってきた、自然な行為なのです。

 


できないことをやろうとするときほど、気分が悪くなることはありません。そんなときは、「やらない」と勇気をもって答えていいんです。 「心地よくなることをすべてやる」「自分に噓をつくのはやめる」「できないことはやらない」。この3つをやり始めたら、すごく心が軽くなりました。

 


困難な状況になったら、自分の力ではどうすることもできない膨大な縁を思い、「なるほど、これではしかたない」と明らかにした上で、潔く諦めることは大切です。自分でどうしようもないことは悩まずに、さわやかに生きていきましょう。

 


一念発起して、自分だけの「荒れ地」に出て行くか。

 


自分がもっとも自分のサービスを好きであること、これがお金をいただくために大事なことなのです。

 


自分で稼いだ金を、なんの得にもならないものに、還元するなど、この利己主義の社会では、本当に馬鹿げたことに思えます。

 


ここで大切なのは、感性(=センス)の革命です。

 


長く楽しく自分らしくやりたいからこそ、少々のムダやだらけは、むしろウェルカム。逆に、ムダな時間を楽しめなくなったら、要注意。

 こういった心がまえでものごとに取り組めば、はっと気づいたときには身も心もボロボロに……といった事態は防げると思う。

 


膨大な時間こそが、あなたの財産。
外で働く気がない者は、昔の貴族の様に
時間をかけなければ習得できない技芸と、
その技芸を起点とした人脈を作る事を心がけるべきである。

 


結局のところ、素敵な人生っていうのは、稼いだお金ではなく、安定した人生でもなく、貪欲に何かを追い求めていた必死になったユニークな出来事の積み重なってできるものだと思っています。

 


遊びにおいても上達する過程を実感するのは、最高のご褒美である。そうであるなら焦ってスキルをつけ過ぎないのも方法論として有り。 一気に上級者まで駆け上がれば、その先の伸び代は限られてしまうのだから。 従って、上級者になる為に時間とお金と体力を集中投下するより、中級者レベルの遊びを複数かじっていた方がより一層楽しめるのである。

 


谷が深くても、「つらい!」と逃げるのではなく、「高い山があるのだから、深い谷もあるよね」「こんなに深いの? そんなん、知らんがな……」とつぶやきながら自分の道を進んでいけたら、そのプロセスすべてに肯定的な意義が生まれます。

 


「人生の意味」を感じるために必要なのは、「外部世界にあるなにか素晴らしいものを獲得すること」よりも、「外部世界の課題に取り組む、自分自身の働きの姿勢」ということになります。  私たちの外部につながるときの姿勢が、真摯・真剣・熱意・犠牲を厭わない思い・心からの感謝・熱い祈りと願いの込められた・心からの愛情と配慮に満ちたものであるほど、私たちはその働きから「つながり感」を得ることができ、それを通して「人生の意味」を実感することができるのです。

 


これまでの歩みもまた自分の大切な一部であると受容して、更にこれまでの道を極め、深化させていく

 


「私なりの道」「私なりの真理」「私なりの世界観」「私なりの独自性」といった、他者と異なっている自分自身のオリジナルで主体的な選択や思考といったものを信じて個性化の歩みを深め、極めていく、というところに中年期の歩みがあるのではないでしょうか。

 


自分を大切にできない患者さんに今日も話した。「今やっていることは外国に引っ越すようなものなんですよ。新しい言語や文化になじむのはそれなりに努力が必要で、古いところに戻りたくなる。でも、自分を大切にできるようにするには、苦労しても新しい文化に慣れなければいけないんですよ」頑張ろう!

 


世間体とか気にしてもおまえらのこと助けてくれる人いねえから

 


「死」への執着が強かった時は、もう何しても死ぬしかなかったんですが、今は「死」だけにこだわらなくてもいいかな、辛かったら寝ればいいし、酒飲んじゃえばいいし、好きな動画延々と見てりゃいいよ。どうせ人生、いつか勝手に終わってくれるし。って思っています。選択肢が増えて、「死」への執着が消えたら、テキトーに人生やれるようになったんです。

 


生き方においては、自己満足を目指したヤツが最強だ。
自分を楽しませることさえ出来ていれば、まわりに素晴らしい仲間が集まってくるようになっている。

日々の暮らしを楽しむには、もっと非効率に、もっと不合理に暮らしたほうがいいです。

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本物の贅沢は、知恵と時間こそを使い、お金はかからない。

 

ところが残念ながら多くの人は、それを「面倒くさい」という。

あるいはまた、買った方が安い、という。

 


大自然の厳しさもあるのは事実ですが、

花のあいだを飛び渡る蝶、

木のうえで毎日楽しげにさえずる小鳥、

彼らのように、日々、自然生命は生きていけるのです。


そして、

仕事も、遊ぶように戯れるように働いてこそ、創造性も生産性も高まるものだと思います。

 


伝統は、ただ継承するだけでは古びていくのみです。新しいことにどんどんチャレンジする。そうした試行錯誤の結晶こそ、伝統の真髄であります。科学の躍進や技術の向上が伝統を支えます。

 


わたしはゴロゴロして浪費してるだけのうんこ製造機です ゴロゴロ最高! 浪費最高に幸せですけど何か? そしてもっと好きなこと楽しいことやりたいことやっていこうと決めました。

 


客は店で何か起きてるぞと気づいて、確かめたくなったんだ。

 


重要なのは、どの工程も自分にも未知の「どうなるんやろ~?」というワクワク感がある事。
このワクワク感が小さくなってくると、仕事に向かうエネルギーも比例して小さくなる。
一人でも延々と作業が続けられるポイントは?
自分にも分からない未知の事に取り組む好奇心だ!

 


頑張ろう前向きに!系じゃなくて、人生なるようにしかならんし適当にな、って方が自分のやれることしようって気になれる

 


人生は死ぬまでの暇つぶし、生まれてしまったから生きてるだけと開き直ると少しだけ気持ちが楽になる。世間は何だかんだ言う人もいるけど、好きで生まれたわけじゃないもの。

こうしなきゃ、あぁしなきゃ、なんで私は駄目なんだって無駄に気張って、強迫観念に囚われてたことに気づいた。
開き直ったからと言って幸せになるわけではないけど、辛くても心を無にして小さな楽しみ見つけて生きてくしかないんだろうなぁ。

 


あんなにがんばったのにほめてくれない。求めれば求めるほど辛くなるんだ。
日常そんなんでみんなイライラしている。
だから。必要なことを必要なだけすればいい。
結果を出そうとして無理な目標出したりするじゃない。
そうじゃなくてほどほどでいい。できる範囲でやればいい。
持てる範囲で持てばいい。
 

 


うちの義理のおじいちゃんの節約術
1.買うな。
2.消耗するまで使え。
3.修理しろ。

 


シンプルな生き方から私たちを遠ざけ、人生を複雑にしている要因をただ1つあげるならば、それは
「抱えすぎ」
という事です。

 


忙しさのあまりに、家事が後回しになっていませんか?かつての私はそうでした。  例えば「仕事」を優先している場合、しっかり働き「結果を出す」ためにも、「家事」に少しだけ時間を充てられるよう、調整してみてください。全体がうまく回るようになれば、一番優先したいもの(=仕事)の効率も上がり、あらゆることが楽に感じられるようになります。スキルアップや収入にも繋がっていきますよ。

 

 

時間に追われていると思ったら、立ち止まるという事、ゆっくりするという事をしてみませんか?そうする事で見えてくる事、感じる事があると思います。お茶を飲みながらゆっくりとする事や自然を眺める事は、自宅で5~10分の時間で簡単にできると思います。


日々の暮らしを楽しむには、もっと非効率に、もっと不合理に暮らしたほうがいいです。


大切なのは、なにが与えられているかではなく、与えられたものをどう使うかである。

誰かになりたがっているのは、ひとえに

「なにが与えられているか」にばかり注目しているからです。

そうではなく

「与えられたものをどう使うか」に注目するのです。

あなたが 自分のこと大事にして どうでもいいことで 心や体を埋めなくなったら 「豊かな」現実が あなたの「想像」と「理解」を 超えたところからやってくるから 楽しみにしててくださいね。

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自分自身やあなたの人生に自分が課す期待や要求を変えることもできるはずです。 厳しいルール、いきすぎた期待、罪悪感の元となっている希望を手放せば、心が軽くなり、喜びが訪れることでしょう。

 

 


「たとい雨降、雪降ともおもしろかるべし。童心の時には雪遊びをせしものと思い出すべし」

 
「なんとなく楽しそう感」が人を集める

 


そう、つまり、「ストレスを感じる」というのが、「流れに抵抗している」と同義だと思うと分かりやすいのかもしれません。
流れに乗って、生命の川を下っているときには、「ほっとする気持ち」「安心感」「なんかやってみたい、楽しそうと思う気持ち」がベースです。

 


「ない」ということの中に、実は無限の可能性があったんです。

 でも私は頑張って「ある」世界を追求してきた。「ある」ことが豊かだと思い、そのために働いておカネを一生懸命稼いできた。しかし「ない」ことにも豊かさがあるとしたら、それはいったい何だったんだと。

 
「なくてもやっていける」ことを知ること、そういう自分を作ることが本当の自由だったんじゃないか。

 


無職になってみると、料理、掃除、洗濯ができるということの強みをしみじみと感じます。

 


他人や企業やお金に頼らなくても自分で自分の身の回りを快適に整えることができる。よく考えてみれば、人生は快適であればいいのです。ことれ以上人生に求めることってあるんでしょうか? そう思うと怖いものがなくなってきます。

 


世の中に寝る程楽は無きものを
知らぬうつけが起きて働く

 


他人に何を言われようとも興味持ったものを極めろ。それは奥深い。そして生き甲斐になる。それは年老いた自分を救ってくれる時がある。

 


車と家と飲み代は出来るだけ節約しろ

そこに金使うほど貧しくなる

 

 

 

価値観が重要だと気づいた。

自殺する人が価値観に殺されてるくらい人生、欲、考え方などに大きく直結してくる。コントロール出来れば人生の幸せのための強力な武器になる。

 


いやいや、人生、楽しいぞ。10代よりも20代、20代よりも30代、......、40代よりも50代が、積み重ねさえ忘れなければずっと楽しいぞ。

 


平均値にこだわって落ち込むくらいなら

自分にしかできないことを探してください。

私の大好きな利用者さんのお婆さんに教わりました。

 


30歳で自殺したあいつの貯金額は300万円だった。もったいない。

死ぬ前に使ってしまえば良かったじゃん。

ほったらかしにして、遊びの部分を残す

 


回復してきたところで「俺は負けた、生きるために己の価値観を転じるしかない、それは恥ずべきことだが恥ずべき人間として生きる」というのを呑み込む作業を行いましょう。めっちゃ喉にひっかかるのでゆっくり呑もう。

 


やりたいと思えることが一番重要な才能なのに才能論に流されて趣味に手を出さない人は本当にもったいない

一度経験したら未経験の時より上手くできるという単純な話で多くの経験を積めばなんでも上手くなるのに

どう説得しても納得してくれない人が多くて悲しい

 


私も 同じでした(笑)

生きるのは闘いなんだ(今 思うと 何と闘うのか?ですが) という前提で生きていたので、重装備。

闘いのアイテム揃ってないと 不安だから(笑)

それは 自分が出来ない、のは ダメ…だと
出来ない子、は 愛されない…と思っていたからでした。

でも、心屋さんのブログをキッカケに楽になり
2年近く掛けて アイテム無くても、失敗しても、大丈夫…と 分かった。

前提変えたら 愛されてる…が 沢山集まってきて
その 愛されてる…ことも 以前は 拗ねてて 受取拒否していたのを

今は 素直に ただ受け取ること が
出来るようになりました。

そんな自分が 嬉しい この頃。

ずーっと発信し続けてくださることに感謝を込めて

 


遠慮せずに、自分のすばらしいところを表現していくことを思いっきりがんばってくれ。

 


あなたが

自分のこと大事にして

どうでもいいことで

心や体を埋めなくなったら

「豊かな」現実が

あなたの「想像」と「理解」を

超えたところからやってくるから

 


楽しみにしててくださいね。

 

 

 

「必要以上」の豊かさは要らないのかもしれない。

「必要以上」の結果は要らないのかもしれない。

そもそも「結果」は要らないのかもしれない。

だから「努力」も必要ないのかもしれない。

「それ」がなくても、

「すでに」幸せなのだから

それ以上の結果を残すために

死に物狂いにならなくてもいいのかもしれないし

結果を残せないことと

自分の価値とをくっつけなくてもいい

 


行動範囲が広くて 、顔が広くて 、話が面白くて、 いっぱい笑って、 外食で美味しい料理食べて 、自分が大好きな人に囲まれてて 情熱家で

大人になったら こんな自分になることが 成長することだと思ってたけど

 

キャパが狭くて 自己完結。

人といる時間の後は その倍くらいの一人の時間を要する 。

外食でも家食べでも 食べたいものを食べられたら満足で

人とワイワイ食べるお客さん側よりも スタッフ側の立場の方が居心地よく

お喋りするとエネルギーすぐなくなる

黙ってるとエネルギー復活する

基本こどもの頃と全然変わんない

静か 大人しいって もっと自己表現しないと って焦ってた

げど 性格変わった時あったけど 辛い 辛くてやめたら 元に戻った 、

結局 静か

 

なーんにも 変える必要なかったんだな ホントは

 

でもさ 何にも変えなくていいんだよって 分かるには ジタバタしたり、 失敗したりしたから、

自分の体や心で 分かったのだと思う 。

だから 「よく頑張ってきたね」と 自分が自分に言ってあげられる ようになってきた 。

やりたいことやる前に ホンマにやりたくないこと やめる方が早いなと思って

それって些細なことで ほんとは静かにしてたい ほんとは黙っていたい なら 喋りたくないのだから 喋るのをやめること 静かにする より 喋るのをやめる みたいな 喋らない 心地いい なんか 人間関係よくなってる みたいな 口からそんなに 喋らなくてもいい人って いるのだと思う たぶん わたしもその一人だと思う うまく言えたかわかんないけど ラクに生きていいんだ。

 


厳しい自分ルールを作り上げてずーっとそれ握りしめて生きてたら、とうとう心も体も壊しました。 頑張るのやめようって決めたら、自分の中の誇りだと思ってた看護師の仕事、幸せだったと思ってた結婚生活、信頼できると思ってた人間関係。 強制終了にあい、何にもなくなりました。 で、今コロナ騒動で更に手放したものもあり引きこもりLife満喫中。 今まで気づかなかった花や空の美しさやご飯の美味しさに感激です。 今が1番幸せです。

 


「本当に万が一のとき、みんなが食うに困ることのないように、うちの家庭菜園でとれた野菜をみんなにお裾分けするぞー!」 と、2年ほどほったらかしにしていた家庭菜園を復活、フル稼働モードにしています。 はじめの意気込みはかなり気張っていましたが、いざやり出すとふつうに楽しいです(笑) 癒されてますw

 


自分の「好き」や「得意」から生まれた商品ならばうまくいきますが、先に商品があり、商品に自分を合わせようとすると無理が生じてしまうことがあるのです。

皆違う初期値、違うHP、違う環境。不公平な才能。不公平な運。だとしたならば尚更、人生ゲームを完走できれば、それはそれで評価されるべき事だと思うダス。

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身内に何も持って無いのに人生めちゃ楽しんでる人がいるんだけど、見ててすごく思ったのが、結局悲観しない人が最強で一番幸せなんだなと。

私は悲観タイプだから全然人生楽しめてないし生きてるのが辛い。

人生90年(ぐらいか?)、ポジティブに生きるって本当に重要。

 

 


よーく考えて見ると、いくら美味しい物をたくさん食べても、好き勝手なことをしても自分の心は満足しないかもしれませんね。自分なりに一所懸命生きてきたことを誰かに知ってもらいたい。自分が生きてきたことを忘れないでもらいたい。切羽詰ると、願うことは、自分の存在を残していきたいと思うのかもしれません。

 


自分のためにではなく、人のため、社会のために自分の力を尽くすことが、自分がこの世に生きた証を残すことになるのです。

 


衣食住が満たされても、生き甲斐がなければ、人間は楽しく人生を送ることができません。人生の価値は、人のために、社会のためにどれだけ尽くすことができたかによって決まってきます。現在の平均寿命が八十歳位だから、自分はまだまだ五十年や六十年はは生きられるぞ、と思っても、自分の命がいつ終わるのかは誰にも分かりません。長い長いこれからの自分の人生を二週間に凝縮して考えてみましょう。

 


自分のためにだけではなく、人のために何か役立てたいと思ったならば、長い人生があるとは思わずに、いつ死んでもいいように、一日一日を少しずつでも誰かを喜ばすために生きていきましょう。そうした積み重ねが素晴らしい自分の人生となっていきます

 


わたしたちは、死ぬときに、お金も家も車も恋人も家族も、何も持って行けない。自分が着ている服も身につけている指輪も、何ひとつ持って行けないのだ。持って行けるのは、もう持ちきれないほどたくさんになっている思い出だけだ〜中略〜よき思い出を作ることだけが、人生でできることなのではないか、そう思う。      人生の旅をゆく より

どんなに気に入って手に入れた器もあの世には持っていけない。でもその器を眺めてうっとりした幸せな気持ちや、楽しく家族と食事をしたことや、そんなことはきっと思い出として魂に蓄えられてあの世に持っていけるのかもしれない。

そうであるとしたら、魂レベルで思い出に残る、そんな物しかもう増やしたくはない。そんなことを思ったりした。それは高い、安いではなくて。

 


年齢にこだわったり、それによって行動を制限する必要はありません。人生でたいせつなのは、「今まで何をしてきたか、そして、今何をしているか」です。

世間一般で正しいと言われる方法や順序なんて、無視してしまっていいのかもしれません。ゴールさえ明確に見えていれば、そして「いつかそこにたどり着いてやるんだ!」と信じていれば、たとえ回り道をしたとしても、いつかたどり着けるはずですから。

 

 

 

人は後天的に頑張ったところで、それほど劇的には能力が上がらない

 

結局どれだけ目標を大きく持っても、その人にはその人なりのキャパがあります。

大社会から距離をとって生きることで、目の前の小社会から安息を手に入れることはできます。

 


みんな余裕ができてから欲求を増やせばいいのに、諦めない人が多いから、人生序盤からコストがかさんで無自覚のうちに人生をハードゲー化しちゃってる。

 


「気づいたら自然の自分に備わってる謎なスキルと欲求」=「性癖」に従って生きれば、毎日がしんどくなくなる。

 


要は、あなたを生きづらくしている最大の敵はあなたの中にいる見栄や恥、差別の心なのです。

 


自分にとって余剰のものは、ただ持っているだけではメリットはありませんが、欲しがっている人に譲渡すれば、自分もそこで見返りを得られます。

 


誰かと価値の交換をするときに、あげることでしんどくならないもの、減らないものを相手にあげること

 


価値交換の際に「自分が消耗する嫌なことを極力避けられれば、人生はどんな場面でも黒字化する」ということなのです。

 


生存さえしていれば次がある。

 


妖怪になるためのポイント


それは「あきらめた」自分を隠さないこと。


「あきらめちゃった〜!イェーイ!」ぐらいのテンションで生きて、適度に人に助けてもらえばいいのです。

 


あー、できないことやろうとしてたな!! できることだけしようって(*´3`*) そしたらふわって気持ち良くなって

なんかレベルの高いことしよーとしてたよ。馬鹿だなあ。そんなに才能もないくせに。よく見せようとして。喜んでもらおうと、褒められようとして。無理してた。やめやめ。ぜーんぶやめ。できることしかできないもん!!! もっとできることのほうに気づこうって。それでちゃちいことしかできなくても、それがいまの自分なわけだし。何ら恥じることなくどーどーとみせちゃるわヽ(^o^)丿 です!

 


「勇気」って、どうすることなんだろう。
 
それは、簡単に言うと
「信じてきたことを変えること」です。
 
信じてきたことを、
もう信じない。
 
そして、新しいことを
信じるということ。
 
それは
「自分は、傷ついても、失っても大丈夫」
「自分は、失敗しても価値は変わらない」
「自分は、嫌われても愛されている」
 
そう、信じること。
 
逆に
 
「自分は、失ったり、傷ついたらもう終わりだ」
「自分は、失敗したら価値がない、捨てられる」
「自分は、嫌われて愛されない」
 
という信じていることを
「やめてみよう」

 

 

 

所詮、僕らの人生って、

始まったときから、すでに「大ハズレ」なのだとしたら。

 
もう、何したって、大ハズレなんだから。
大ハズレからは、逃れようもないなら。


大ハズレ楽しむしかないよな(・∀・)

 

だから、
諦めて遊ぼう!笑。遊ぼう(・∀・)

 


人生なんて大切じゃねーよ。笑、

 

無駄にしろ、無駄にしろ。笑。

人生なんて苦しむに値するほど価値のあるものじゃねーっってまじで。笑。

 


他人からの期待や評価や、

意見を完全に無視して。

 

とことん

ゴミらしく

堂々と生きてりゃいい。

 

なんか言われたら

「あ、私ゴミなんで、お前の意見とか興味ないから黙って」

でいいよ。笑。

 

 

 

生粋のゴミになるまでは正直数年かかるかもしれないけど。笑。

ゆっくりゴミトレーニングしてたら大丈夫

 

 

 

好きなことを仕事にするということが大きな幸福感をもたらしてくれると言うのは全くその通りだと思います。一般的な趣味は、道楽と言うのは、仕事の合間にやるから、気分が変わって、楽しいわけで、四六時中やっていたのでは、それはもはや趣味ではなく、仕事です。

でもその仕事が本当に自分の好きなことだとしたら、これ以上楽しい事はないでしょう。

 

 


あなたが、あなた自身の最大のパートナーとして

いつも共感してあげていること。

それが、人生が自動ドアが次々と開くように

スムーズにうまく運ぶ秘訣だと思うんです。

 


お金が欲しい人だって

結局、お金があれば幸せになれると思って

欲しいと言っているわけで

 

毎日、幸せにウキウキ入られたら

それが実は到達点なわけです(・ω・)b

 


40歳独身一人暮らし。前は死にたいと思ってたけどね。今は週2でバイトしながら暮らしてます。

家賃は25000円。貯金はゼロ。借金はないです。

結婚とか仕事とか全部あきらめたらすごい人生楽しくなっちゃいました。将来とかどーでもいいなもう。週休5日だけど結婚しなくて良かったと思うわ

 


いやいや、皆、世間と自分に洗脳されているから。目を覚ますだす。

そもそも普通の人生って無いだす。

何処にそのような認定機関があるんすかニャ?総務省はそんな認定してますかニャ?

それはチミの頭の中に居座ってチミを苦しめているだけダス。

 

皆違う初期値、違うHP、違う環境。不公平な才能。不公平な運。だとしたならば尚更、人生ゲームを完走できれば、それはそれで評価されるべき事だと思うダス。

 

形に残るものじゃなくて心に残る物に金を使え。

 


与えられた才能を、大事にしてください。人は、自分に与えられた才能を活かすことでしか、本当には生きれないと、私は最近思っています。才能ってそんな特別なものじゃなくて、本人にとっては普通の、当たり前のもので、でもそれを折ろうとする外圧に負けたら、消えてなくなることもあるんです。外圧に負けないで、自分にしか生きられない、いい女の人生を手に入れてください。

 

積み上げてきたものが違うのだから、相手の学力についていこうと無理をしなくてもいい。そのかわり、わたしが持っている面白いものを相手に提供すればいい。やってそう割りきれるようになったの、実はつい最近のことなんです

 

世の中に 寝るほど楽は なかりけり
浮世の馬鹿は 起きて働く

 自分が本当に価値があると思えることでしか、僕らは表現できないのだ。  それは伝わる。

顧客の選り好みが正しい3つの理由

このようなオンリーワンビジネスで最も重要なことは、みんなから嫌われないように無難に装うことではなく、自分が本当に付き合いたい人に好かれることです。

つまり、狭めて捨てる勇気が必要なのです。

なぜこのようにするかというと以下のような社会的変化があるためです。

 

  1. マーケットの縮小
  2. 好みの細分化
  3. 格差社会

 

お客さんにニュースレーターをだし健気にフォローすること。

 従業員を大切に、彼らとのつながりやコミュニケーションを大切にすること。

 

 それをやることであなたは楽しいだろうか?

 お客さんは喜ぶ? 従業員は喜ぶ? 

 

 自分が本当に価値があると思えることでしか、僕らは表現できないのだ。

 それは伝わる。

 

 自身の納得できる商売をしたものだ。 それがブランドになる。 それに気づかせてくれる本だ。

 

 

お客様を選ぶことは大事だと思いました。 フリーペーパーを見れば、恐ろしいほど低価格を競ったお店が並んでいます。

そんなのに魅かれるお客様は、価格に魅かれているのであって、店に魅かれているわけではない。

価格でないところで、勝負するには、店のリアルブランド力。

いかに、自分の店の信念や技術などがいいかをお客様にアピールするか。

 

価値のつくり方─『まちぶせ』に学ぶ

売る側が買う側を追いかけてはいけない。さりげなく商品の価値を認識させながら、最終的には相手から追いかけさせる。

 

 

音を楽しむことを「音楽」と言います。
何かその道のものを楽しむことを「道楽」と言います。

楽しむことを「粋」と言います。

楽しまないことを「無粋」と言います。
という個人的解釈です。

 

”私の思考を変えるしかない。だから今日からの私は
”今この瞬間が、大合格で本当に凄くて、拍手喝さいで、リスペクトで、
誰が何を思おうとベストな大好きな、私なんだ”と思うことに決めました。

 

幸せとは①衣食住を通して生命を維持することができ
    ②誰であろうと他人の意見に左右されず、自由に意思決定ができる
    ③自分を愛しているということ
つまり、何とか生きられて、愛する自分と本当の自分との二人暮らしができると儲けもんだ!ということ。
あらゆる条件を全て手放してみるとびっくりするくらい人生が楽にシンプルになった!

 

幸せと引き換えにあきらめるべき10のこと

1.他人が自分のことをどう思っているのか気にするのをあきらめる
2.みんなに好かれようとするのをあきらめる
3.うわさ話に参加するのをあきらめる
4.心配することをやめる
5.不安を手放す
6.何もかも自分に関係があることだと思わない
7.過ぎたことはあきらめる
8.努力せずに買える幸せのためにお金を使うことをあきらめる
9.怒るのをあきらめる
10.コントロールすることをあきらめる

 

叶わない夢を掲げて死ぬまで絶望するよりも、目の前の現実から地道に不幸を排除していくほうが、はるかに生産的です。